第22話「エンジニアの箱舟」
外は氷河期へ向かう猛吹雪が続いていた。
この山悟荘は、すでに屋根まで雪に埋もれている。窓の外は分厚い雪の壁に遮られ、外界からの光は一切届かない。雪という最強の断熱材に包まれた、完璧な密閉空間、シェルターなのだ。
その中で、私は異常なほど上機嫌だった。
「ビリー君、見てくれ! このモンステラの葉、昨日より3センチは伸びてるぞ。素晴らしい、すべてが完璧だ!」
私は短パン一丁で、ジャングルのようになった茶の間を踊るように歩き回っていた。
ビリー君ことヴェロキラプトルもまた、アンズ色の豊かな羽毛を逆立てて軽快にステップを踏み、シマエナガの毛玉ちゃんは狂ったように「ジュルジュル!」とさえずり、ハエトリグモのアダンソン先輩は「黒い稲妻」となって天井を高速旋回している。
その動きは、まるで高濃度酸素に昂ぶった植民地海兵隊のバスケスが、見えない敵に向けて巨大なスマートガンを腰だめで、予測不能な軌道で乱射し、空間全体を圧倒的な火力で制圧しているかのようだった。
世界は美しく、エネルギーに満ちている!
その時だった。
ドサッ、ドサッという、上から雪を掘り起こす重い音が聞こえた。
アルミのスコップが凍った雪を砕く、現実的な音だ。
やがて勝手口のドアが外側からノックされ、雪の圧力で「メキッ」と軋みながらも、ゆっくりと開けられた。
「……生きてますか!?」
雪崩れ込んできた冷気と共に現れたのは、スコップを担ぎ、分厚い防寒具に身を包んだ大家さんだった。
彼は勝手口から茶の間に一歩踏み入ったその時、ジャングルと化した室内と、満面の笑みで彼を迎える私を見て、安堵と困惑が混ざった顔をした。
「大家さん! わざわざ救助に? いやあ、見てくださいよ、最高でしょう?」
「……アキラさん、顔が真っ赤ですよ。それに、その薄着は……」
大家さんは心配そうに眉を寄せると、片手に持っていた測定器を宙にかざした。
ピピピ、と警告音が鳴る。
「……やっぱりだ。酸素濃度が28%を超えている。異常値ですよ」
「酸素? ああ、この子が掘り出した装置のおかげかな。白亜紀の空気なんです」
「白亜紀? ……いや、これは危険だ。一種の中毒症状を起こしています」
大家さんは現役時代、地球規模の寒冷化対策に携わっていた優秀なエンジニアだった人だ。
彼は迷いのない手つきで台所へ向かい、床下の点検口を開けた。
ビリー君が立ち塞がり、喉を鳴らす。
「Namoose(おいおい爺さん、そこは僕ちゃんの宝箱だぜ! 勝手に触るなよ!)」
と威嚇しようとしたが、大家さんのあまりに真剣な横顔と、プロフェッショナルな所作に圧倒されたのか、スッと道を譲った。
「この家にはね、私が個人的に試作した『地熱利用型生命維持システム』が組み込まれているんです。深層地熱と共に地下の酸素を吸い上げ、循環させる。……ですが、雪で家が埋まって排気口が塞がったせいで、酸素が室内に滞留して濃縮されてしまったのかもしれません、申し訳ありません」
彼は、私たちが「白亜紀への扉」だと思っていた真鍮の制御盤を操作した。
レバーを回し、吸気弁を調整すると、微かに「シューッ」という音がして、外の冷たく乾燥した空気が混ざり込んできた。
しばらくすると、頭の奥にかかっていた熱い霧が、急速に晴れていった。
脳が冷徹な判断力を取り戻す(……あ。正気に戻る、というのはこういう感覚か)。
高濃度酸素による多幸感が消え、フワフワしていた足元が重くなる。
私は自分の置かれた状況を客観的に検証しなくてはならなかった。。
大家さんが作ったのは、あくまで「高度な地熱暖房システム」ということだ。
つまり――この装置に、時空を超えるような超自然的な機能はない。
ここにあるのは「白亜紀の空気」ではなく、「地下深くから汲み上げた酸素濃度の高い空気」に過ぎなかったのだ。
「よし、これで正常値だ。……しかし、雪を掘り起こして確認に来てよかった。あと数時間遅れたら、酸素中毒で倒れていたかもしれませんねぇ」
大家さんは点検を終え、汗を拭った。そして、傍らに佇むビリー君を見た。
以前と同じように、彼はビリー君を「住人の一人」として自然に受け入れている。
「恐竜さんも、酸素が濃すぎて興奮していたみたいですね。……落ち着きましたか?」
ビリー君は、少しバツが悪そうに喉を鳴らし、いつもの定位置(座布団の上)に戻って丸くなった。
「Vamoose(……ああ、ちょっとハッスルしすぎたみたい。僕ちゃん、少し寝るわ)」
シマエナガも正気に戻ったのか、少し寒そうに首をすくめている。アダンソン先輩も通常の速度に戻り、葉の上で休憩している。
「じゃあ、私はこれで。排気口周辺の雪は除けておきましたから。換気には気をつけてくださいね」
大家さんは優しく言い残し、スコップを手に外へ戻っていった。エンジニアとしての責務を果たした男の背中だった。
扉が閉まり、再び静寂が訪れる。
部屋に残されたのは、私と、三匹の居候。
「……ビリー君」
私は、板の間に寝そべるラプトルを見た。
この家が「エンジニアが作ったハイテクな防寒ハウス」に過ぎないのだとしたら。
この装置が「過去と繋がっていない」のだとしたら。じゃあ、お前は一体、どこから来たんだ?
植物が巨大化したのは、地熱と濃い大気のせいだ。そこまでは科学で説明がつく。
だが、ビリー君のこの脈動、この知能、この存在そのものは、科学的・歴史的な異物としてそこに実在している。
「通気口から漏れ出た白亜紀から来た」という理由が剥がれ落ちたことで、ビリー君の正体は、より純粋な「謎」として浮き彫りになった。
私は台所へ行き、冷蔵庫からゆで卵を取り出して、カチカチと卵の殻を剥く。
正気に戻った指先に、殻の冷たさが現実的に伝わる。
「……まあ、いいか。今は」
理由はわからない。理屈も通らない。
それでも、ゆで卵を差し出すと、ビリー君は嬉しそうに喉を鳴らした。
「Vamoose(細かいことはいいじゃん! ゆで卵、最高!)」
彼はタイムトラベラーかもしれないし、ただの迷子の恐竜かもしれない。あるいは、この終わらない冬が生み出した幻影なのかもしれない。
私は、正常な判断力の下で、正体不明の同居人と朝食を分け合っているという事実に、改めて可笑しさを感じていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
ビリーと過ごす北海道の冬の情景が、少しでも皆様の心に届けば幸いです。
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次話も、山悟荘でお待ちしております。




