第20話「山悟荘のロードショー」
娯楽とは、生存の保証が確保された者にのみ許される特権だ。
外は氷河期へ向かう猛吹雪。風速20メートル、気温マイナス15度。
本来なら、この築古の木造日本家屋は、外気と変わらない冷凍庫になっているはずだ。
だが、床下の「真鍮のバルブ」が稼働している今、家全体が床暖房のように温かく、障子の内側は室温28度、湿度60%の熱帯気候を維持している。
私たちは今、文明の利器である大型テレビの前に集結していた。
茶の間に置いたテレビ。その周囲は、巨大化したカラテアやモンステラが覆い被さり、さながら「ジャングル・シアター」の様相を呈している。
「今日は、これを見る」
私がリモコンを操作し、サブスクリプションで選んだのは、古い西部劇だ。
ビリー君がどこかで覚えた概念「Vamoose(出ていけ/ずらかる)」のルーツを探る、という学術的(?)な意図もあるが、単純に私が観たかっただけだ。
我々のフォーメーションは以下の通りだ。
テレビ前の中央、座布団二枚を重ねた特等席に、ビリー君。
その頭の羽毛の窪みに、白い毛玉――シマエナガが埋まっている。
ちゃぶ台の上、急須の脇に、ハエトリグモのアダンソン先輩。
そして私は、ソファーに背中を預けてちゃぶ台の向こうにいるビリー君の後ろに座る。
(ヒエラルキーが逆転している気もするが、視野角を考えれば悪くない位置だ)
映画が始まった。
荒野に馬の蹄の音。そして、いかにも銃声、と言わんばかりの音響効果。
ビリー君の瞳孔は、画面の光に合わせて収縮している。
彼は狩りの目をしていない。
「情報のインプット」を楽しんでいる目だ。
画面の中で、カウボーイが馬を駆る。
ビリー君の首が、馬の動きに合わせて左右に振れる。
「獲物」として見ているのか、「乗り物」として見ているのか。あるいは、自分と同じ「走ることに特化した生物」としてシンパシーを感じているのか。
彼の喉が「クルル」と小さく鳴った。
「Vamoose(おいおい、あの4本足の乗り物、なかなかいい脚してんじゃん。僕ちゃんも一回乗ってみたいぜ)」
私はボウルに入れたポップコーンを、一つ口に放り込む。
その音に、ビリー君がこちらを見た。私は無言でポップコーンを一つ差し出す。彼は匂いを嗅ぎ、舌で巻き取って口に入れた。
カリッ。
不思議そうな顔をする。栄養価は低い。だが、食感が面白い。
彼は「もう一つ」と催促するように鼻先をボウルに寄せた。
「Vamoose(なんだこれ、スッカスカだけど悪くないね。アキラ、僕ちゃんにもっと寄越せよ!)」
シマエナガも目を覚まし、私の手のひらからカケラをついばむ。
こぼれたカスには、即座にアダンソン先輩が反応し、黒い残像を残すほどの速さで確保(清掃)していった。
映画はクライマックスへ。
悪党との決闘。静寂。早撃ち。
アダンソン先輩が、ちゃぶ台の縁で前脚をピッと上げた。
(バスケス! 彼女も決闘に参加しているつもりらしい。「Let's rock!(やってやるぜ!)」と見えないスマートガンを構える、血湧き肉躍るハードボイルドな立ち回りだ)
ビリー君は身じろぎもせず、画面を凝視している。せっかくのポップコーンが、ビリー君の半開きの口からポロポロとこぼれ落ちてくる。
そして、ラストシーン。
主人公が敵を倒し、銃をホルスターに収め、夕陽に向かって馬を向ける。
画面の中の男が、低く呟いた。
『……Vamoose.』
その瞬間、ビリー君の尾がバタン! と床を叩いた。
瞳が輝く。
「それだ!」と言わんばかりに、彼は画面に向かって鼻を鳴らし、深く頷いた。
「Vamoose(ビンゴ! それだよそれ! クゥ〜ッ、シビれるねぇ! 僕ちゃんも明日からあんな風にキメるぜ!)」
(なるほど。お前の美学の出処は、これだったのか)
エンドロールが流れ始める。
ビリー君は、深く満足したように息を吐き、スクリーンを見つめたまま動かない。
それは完璧な映画体験をした観客の顔だった。
テレビを消すと、画面の黒い四角の中に、私たち奇妙な一家が映り込んだ。
恐竜。鳥。クモ。人間。そして背景の巨大植物。
時代も種族もバラバラな生き物が、古い日本家屋の中で、同じ時間を共有している。
外では風が板塀を叩き、山悟荘特有の「ミシッ」という家鳴りが響く。
世界は凍りついているかもしれない。
だが、ここにはポップコーンと、映画と、温かい仲間がいる。
私は空になったボウルを置き、ビリー君の温かい背中にもたれかかった。
「平和だな……」
そう呟いた時、ふと、軽い目眩を感じた。酔っ払った時のような、フワフワとした心地よい浮遊感。
サッポロビールはまだ一本しか飲んでいないはずだが、今日の酔いは回りが早いらしい。
深呼吸をする。
空気が、やけに甘い。
モンステラやカラテアから漂う草の香りが、映画が始まる前よりも濃厚になっている。まるで、南国の果実酒の中に漬け込まれているような芳醇な匂いだ。
見れば、ビリー君の瞳も、いつもよりとろんと潤んでいる。
シマエナガは完全にへたり込んで溶けた餅のようになり、アダンソン先輩は楽しそうに、目にも止まらぬ速さでタップダンスを踊っている。
みんな、いい気分なのだろう。
ビリー君が私の頭の上に顎を乗せてきた。
ずしりと重い。そして、やけに熱い。
だが、その重みと熱さが、思考を甘く溶かしていく。
「Vamoose(ふわぁ……なんだか頭がポカポカするよぉ、アキラ……)」
難しいことはもういい。
寒さも、仕事も、未来のことも。
今はただ、この甘くて濃密な空気の中で、まどろんでいたい。
私はビリー君の首元に顔を埋め、深く息を吸い込んだ。
ああ、なんて良い匂いなんだろう。
この山悟荘は、本当に最高だ。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
ビリーと過ごす北海道の冬の情景が、少しでも皆様の心に届けば幸いです。
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次話も、山悟荘でお待ちしております。




