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ラプトルの鉤爪  作者: 紫紅葉
第2章:山悟荘の深層
20/27

第20話「山悟荘のロードショー」

娯楽とは、生存の保証が確保された者にのみ許される特権だ。


 外は氷河期へ向かう猛吹雪。風速20メートル、気温マイナス15度。

 本来なら、この築古の木造日本家屋は、外気と変わらない冷凍庫になっているはずだ。

 だが、床下の「真鍮のバルブ」が稼働している今、家全体が床暖房のように温かく、障子の内側は室温28度、湿度60%の熱帯気候を維持している。


 私たちは今、文明の利器である大型テレビの前に集結していた。

 茶の間(ちゃのま)に置いたテレビ。その周囲は、巨大化したカラテアやモンステラが覆い被さり、さながら「ジャングル・シアター」の様相を呈している。


「今日は、これを見る」

 私がリモコンを操作し、サブスクリプションで選んだのは、古い西部劇だ。

 ビリー君がどこかで覚えた概念「Vamoose(出ていけ/ずらかる)」のルーツを探る、という学術的(?)な意図もあるが、単純に私が観たかっただけだ。


 我々のフォーメーションは以下の通りだ。

 テレビ前の中央、座布団二枚を重ねた特等席に、ビリー君。

 その頭の羽毛の窪みに、白い毛玉――シマエナガが埋まっている。

 ちゃぶ台の上、急須の脇に、ハエトリグモのアダンソン先輩。

 そして私は、ソファーに背中を預けてちゃぶ台の向こうにいるビリー君の後ろに座る。

(ヒエラルキーが逆転している気もするが、視野角を考えれば悪くない位置だ)


 映画が始まった。

 荒野に馬の蹄の音。そして、いかにも銃声、と言わんばかりの音響効果。

 ビリー君の瞳孔は、画面の光に合わせて収縮している。

 彼は狩りの目をしていない。

 「情報のインプット」を楽しんでいる目だ。


 画面の中で、カウボーイが馬を駆る。

 ビリー君の首が、馬の動きに合わせて左右に振れる。

 「獲物」として見ているのか、「乗り物」として見ているのか。あるいは、自分と同じ「走ることに特化した生物」としてシンパシーを感じているのか。


 彼の喉が「クルル」と小さく鳴った。

Vamoose(ヴァムース)(おいおい、あの4本足の乗り物、なかなかいい脚してんじゃん。僕ちゃんも一回乗ってみたいぜ)」


 私はボウルに入れたポップコーンを、一つ口に放り込む。

 その音に、ビリー君がこちらを見た。私は無言でポップコーンを一つ差し出す。彼は匂いを嗅ぎ、舌で巻き取って口に入れた。


 カリッ。

 不思議そうな顔をする。栄養価は低い。だが、食感が面白い。

 彼は「もう一つ」と催促するように鼻先をボウルに寄せた。

Vamoose(ヴァムース)(なんだこれ、スッカスカだけど悪くないね。アキラ、僕ちゃんにもっと寄越せよ!)」


 シマエナガも目を覚まし、私の手のひらからカケラをついばむ。

 こぼれたカスには、即座にアダンソン先輩が反応し、黒い残像を残すほどの速さで確保(清掃)していった。


 映画はクライマックスへ。

 悪党との決闘。静寂。早撃ち。

 アダンソン先輩が、ちゃぶ台の縁で前脚をピッと上げた。

(バスケス! 彼女も決闘に参加しているつもりらしい。「Let's rock!(やってやるぜ!)」と見えないスマートガンを構える、血湧き肉躍るハードボイルドな立ち回りだ)


 ビリー君は身じろぎもせず、画面を凝視している。せっかくのポップコーンが、ビリー君の半開きの口からポロポロとこぼれ落ちてくる。

 そして、ラストシーン。

 主人公が敵を倒し、銃をホルスターに収め、夕陽に向かって馬を向ける。

 画面の中の男が、低く呟いた。

『……Vamoose.』


 その瞬間、ビリー君の尾がバタン! と床を叩いた。

 瞳が輝く。

 「それだ!」と言わんばかりに、彼は画面に向かって鼻を鳴らし、深く頷いた。

Vamoose(ヴァムース)(ビンゴ! それだよそれ! クゥ〜ッ、シビれるねぇ! 僕ちゃんも明日からあんな風にキメるぜ!)」

(なるほど。お前の美学の出処は、これだったのか)


 エンドロールが流れ始める。

 ビリー君は、深く満足したように息を吐き、スクリーンを見つめたまま動かない。

 それは完璧な映画体験をした観客の顔だった。


 テレビを消すと、画面の黒い四角の中に、私たち奇妙な一家が映り込んだ。

 恐竜。鳥。クモ。人間。そして背景の巨大植物。

 時代も種族もバラバラな生き物が、古い日本家屋の中で、同じ時間を共有している。


 外では風が板塀を叩き、山悟荘(さんごそう)特有の「ミシッ」という家鳴りが響く。

 世界は凍りついているかもしれない。

 だが、ここにはポップコーンと、映画と、温かい仲間がいる。


 私は空になったボウルを置き、ビリー君の温かい背中にもたれかかった。

「平和だな……」

 そう呟いた時、ふと、軽い目眩(めまい)を感じた。酔っ払った時のような、フワフワとした心地よい浮遊感。

 サッポロビールはまだ一本しか飲んでいないはずだが、今日の酔いは回りが早いらしい。


 深呼吸をする。

 空気が、やけに甘い。

 モンステラやカラテアから漂う草の香りが、映画が始まる前よりも濃厚になっている。まるで、南国の果実酒の中に漬け込まれているような芳醇な匂いだ。


 見れば、ビリー君の瞳も、いつもよりとろんと潤んでいる。

 シマエナガは完全にへたり込んで溶けた餅のようになり、アダンソン先輩は楽しそうに、目にも止まらぬ速さでタップダンスを踊っている。

 みんな、いい気分なのだろう。


 ビリー君が私の頭の上に顎を乗せてきた。

 ずしりと重い。そして、やけに熱い。

 だが、その重みと熱さが、思考を甘く溶かしていく。

Vamoose(ヴァムース)(ふわぁ……なんだか頭がポカポカするよぉ、アキラ……)」


 難しいことはもういい。

 寒さも、仕事も、未来のことも。

 今はただ、この甘くて濃密な空気の中で、まどろんでいたい。

 私はビリー君の首元に顔を埋め、深く息を吸い込んだ。


 ああ、なんて良い匂いなんだろう。

 この山悟荘(さんごそう)は、本当に最高だ。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

ビリーと過ごす北海道の冬の情景が、少しでも皆様の心に届けば幸いです。

もし作品を気に入っていただけましたら、ページ下部のブックマークや評価などで応援をいただけますと、執筆の大きな励みになります。

次話も、山悟荘でお待ちしております。

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