第16話「ジャングルの在庫管理と、プチプチの魔力」
分別の概念を導入してから、この山悟荘の生態系には2つの相反する勢力が生まれた。
あらゆる物質に価値を見出し、廃棄を拒む「在庫管理部門(ビリー君)」。
そして、廃棄ルールを極端に厳格化する「内部監査部門(アダンソン先輩)」だ。
この冷戦を終わらせるため、私はついに秘密兵器を投入した。
「タワー型・多段分別ダストボックス」である。
近所の「DCM」で調達してきた。
今はDCMという名称に統一されているが、我々道民にとっては「ホーマック(Homac)」という響きの方がしっくりくるかもしれない。大型店舗といえば「スーパーデポ」だったし、さらに古い記憶を辿れば「石黒ホーマ」に行き着く。
釧路発祥のこの企業は、北海道のDIYと生活を支える巨人である。
そんな北海道企業の歴史に思いを馳せつつ茶の間に設置した、白く美しいその箱は、このジャングルに文明の秩序をもたらすはずだった。
だが、設置から数分後。
ビリー君が、一番下の「ビン・缶」の引き出しを開け、そこに頭を突っ込んでいた。その横には、回収のために紐で縛ろうとしていたダンボールの束が置かれている。彼はダンボールを背もたれにし、新しいダストボックスを「家具」として査定しているのだ。
「ビリー君、それは寝床じゃない。ゴミ箱だ」
私が注意すると、ビリー君は首を横に振り、引き出しの縁を爪でコツコツと叩いた。
「Namoose(いやいや、この頑丈さと断熱性、僕ちゃんの新しいお城にピッタリじゃん!)」
さらに、上の段の「再生プラスチックゴミ」の引き出しの隙間からは、白い毛玉――シマエナガが顔を出していた。いつの間にか侵入し、ここを別荘にしている。
彼らの中で、このタワーは「廃棄物処理施設」ではなく「高層マンション」として再定義されたらしい。
ビリー君は、隠し持っていた梱包材の「プチプチ(気泡緩衝材)」を、一番下の引き出しに敷き詰め始めた。寝床のクッションにするつもりだろう。
だが、その作業中、彼の鋭い爪先が偶然、1つの気泡を圧迫した。
――プチン!
小気味よい破裂音が響いた。
ビリー君の動きが止まった。彼は自分の爪を見つめ、それから潰れた気泡を見た。
「Vamoose(……なんだ、今の感触は?)」
爪先に伝わる、適度な反発力。それが限界を超えた瞬間に訪れる、一瞬の開放感と破裂の衝撃。それは、獲物の骨を噛み砕く時の快感にも似た、しかしもっと手軽で純粋な破壊の喜びだったに違いない。
ビリー君は、恐る恐る隣の気泡に爪を立てた。じわりと圧をかける。空気が抵抗する。さらに力を込める。
……プチンッ!
「……!」
ビリー君の黄金色の瞳孔が開いた。脳内で致死量のドーパミンが噴出したのが見て取れた。
彼はもう、寝床を作ることなど忘れていた。右手の爪で、プチン。左手で、プチン。プチン、プチン、プチン……。止まらない。
そこには、白亜紀の気高きハンターの姿はなかった。ただ「無限プチプチ」の魔力に取り憑かれ、無心で気泡を殲滅し続ける中毒者がいるだけだった。
「Vamoose(……ああっ、これ最高! 僕ちゃん、もう止まんないよ!)」
リズムに乗って恍惚の声を漏らし始めた中毒患者に、私はため息をつき、妥協案を出した。
「わかった。一番下の段だけは貸してやる。好きなだけ潰せ。だが、上2段は資源ゴミ用だ。ここにはきっちり出してもらうぞ」
ビリー君はプチプチから顔を上げ、充血した目で頷いた。
「Vamoose(オッケー! だから邪魔しないでよ、僕ちゃん今すっごく忙しいんだから)」
彼は適当に足元にあった空のペットボトルを咥え、「これでいいだろ」と私に押し付けた。
だが、ここからが問題だった。
「プラ」の引き出しの前で待ち構えていたのが、厳格な監査官――アダンソン先輩だ。
ビリー君はボトルを引き出しへ入れようとしたが、先輩が上段から糸を引いて降り立ち、投入口の前で前脚を大きくクロスさせてブロックした。
先輩はボトルの口元まで登り、飲み口に残った「プラスチックのリング」を指し示した。キャップを外した後に残る、あの厄介な輪っかだ。
札幌市のルールでは「外すのが困難ならそのままで良い」となっているはずだが、この小さな監査官に妥協はない。完全な分離こそが正義。お役所のマニュアルよりも厳しいルールだ。
ビリー君は途方に暮れた。彼の「神の爪」はミリ単位の精密作業が可能だが、硬いリングを引きちぎるような力仕事は、繊細な作業とは勝手が違う。無理にやればボトルごと粉砕してしまう。
シマエナガもマンションから出てきてボトルをつついてみるが、リングはびくともしない。
「Namoose……(無理無理! ここの管理人、厳しすぎない? ねぇ、これで勘弁してよぉ)」
ビリー君が情けない声で先輩に問う。「早く戻ってプチプチの続きをやりたいんだ」という心の声がダダ漏れだ。だが、先輩は無慈悲に頭胸部を振り、再び「×」のポーズをとった。
結局、ビリー君はボトルを咥えたまま、トボトボと私の足元へやってきた。その目は、プチプチへの渇望で潤んでいた。
(僕ちゃんには無理だってば。アキラ、なんとかしてよ)と訴えかけてくる。
私は苦笑してボトルを受け取り、ニッパーでリングをパチンと切り離した。
「これでどうだ、監査官」
私が差し出すと、先輩は8つの瞳で入念にチェックし、ようやく道を開けた。
ビリー君は深い安堵のため息をつき、ボトルを投入すると、逃げるようにして一番下の引き出しの自室へ飛び込んだ。
すぐに、引き出しの奥からリズミカルな音が聞こえてきた。プチン、プチン、プチン、プチン……。
部屋を見渡す。
ホーマックで買った高機能ゴミ箱の最下層には中毒気味のラプトルが詰まり、中層にはシマエナガが住み、上層ではクモが監視している。ゴミを捨てるたびに、住人の許可が必要になるシステムが完成してしまった。
私は、ビリー君の背もたれになっているダンボールの束を、回収するのを諦めた。
外の冬は終わらないが、この過密なタワーの中だけは少しだけ温度が高く、そして破裂音が絶えない平和な夜だった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
ビリーと過ごす北海道の冬の情景が、少しでも皆様の心に届けば幸いです。
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次話も、山悟荘でお待ちしております。




