第14話「ゴミステーションの決闘と放射冷却の朝」
火曜日の朝。
窓の外は、放射冷却によって極限まで冷え切っていた。雲ひとつない快晴は、地表の熱を無慈悲に宇宙へと放出し、大気を硬く凍らせている。熱力学の法則に従えば、今朝の気温はマイナス二桁。生存に適さない、硬質な寒さだ。
玄関では、ビリー君がまだ黄色いゴミ袋の上に鎮座していた。尻尾を袋に巻き付け、一晩中守り抜いたその姿は、財宝を抱く古のドラゴンのようでもある。そして、その頭上には、ヴェロキラプトルのビリー君に「孫」として認定されたシマエナガの毛玉ちゃんが乗っていた。
「ジュルッ♪」
孫は実に陽気だ。最強の守護者の頭上が、この家で一番安全な「耐寒コクピット」だと理解しているらしい。
「ビリー君、Vamooseの時間だ。そこをどいてくれ」
私が手を伸ばすと、彼はグルルと喉を鳴らした。敵意があるわけではない。「これは僕ちゃんが管理している重要プロジェクトだ」という強い主張だ。
私はなんとか彼をなだめ、ずっしりと重くなった袋を抱え上げた。その時、袋の底で「カチリ」と硬い音がした。異音だ。高密度の固体が接触した音。……また卵の殻でも圧縮したか?
吐く息が瞬時にダイヤモンドダストへと変わる外へ、一行を引き連れて出た。
路面はカチカチに凍っている。私は「低温の氷は表面の水膜が凍りつくため、逆にグリップ力が増す」という物理的知見に基づき、自信満々に足を踏み出した。
だが、その硬い氷の上には、風で運ばれたうっすらとした粉雪が乗っていた。
――トゥルンッ。
微細な雪の粒子がボールベアリングの役割を果たし、摩擦係数をゼロにした。私は物理法則に従い、無様に宙を舞って背中から着地した。
「……うおぅ」
ビリー君が振り返り、冷ややかな目で見下ろしてくる。シマエナガが「人間が転がってる!」と面白そうに私の腹の上に着地した。
「い、いや待てビリー君。これはボールベアリング現象だ。不確定要素としての粉雪が介在することで……」
言い訳がましく解説する私を置き去りにし、ビリー君はザクッ、ザクッ、と歩き出した。彼の「第一ゴム製長靴」から突き出た天然のスパイクには、物理の講釈など不要らしい。
ゴミステーションに着くと、電線のカラスたちが黄色い袋(彼らには黒い虚無)を怪しげに見下ろしていたが、ビリー君がギロリと睨むと、慌てて飛び去っていった。シマエナガが勝ち誇った声で鳴くその姿は、小さな虎の威を借る狐だ。
私が袋をネットの中に置くやいなや、「ピーッ、ピーッ」という警告音と共に、巨大な青いパッカー車が角を曲がり、アイスバーンの上で重たいタイヤをきしませながら停車した。
ビリー君の全身の羽毛が逆立った。彼にとって、それは巨大な「外敵」に見えたのだろう。自分たちが守り抜いた「成果物」を奪いに来る、油圧式プレス機構を持つメカニカルな捕食者なのだ。
「ビリー君、落ち着け! それは敵じゃない!」
私が叫ぶより早く、ビリー君はゴミ袋の前に立ちはだかった。爪を氷に深く突き刺し、身構える。
「Vamoose(一歩も通さないよ。僕ちゃんの宝物に触るな!)」
回収員が足を止めた。
「……お、すごい迫力ですね。足元、気をつけて」
苦笑いする作業員の向こうで、回収車の回転板がゴウンゴウンと唸りを上げる。
ふと、昨夜のビリー君の不審な挙動と、さっきの異音が脳内で繋がった。底に、別の何かが混入している。
「すみません、ちょっと待ってください!」
私は袋の口を解き、生ゴミや紙くずの底を探った。引きずり出したのは、古びた真鍮製の鍵だった。ずっしりと重く、表面はくすんでいる。
「……なんだこれ?」
私が鍵をつまみ上げると、ビリー君は「あ、それ?」といった感じに一瞬こちらを見て、「もう、興味無いから」というようなそぶりを見せた。どこかの散歩ついでに拾ったものの、匂いや味がするわけでもなく、飽きて袋に突っ込んだのだろうか。彼にとっては、昨日の中華スープの空き袋以下の価値しかなかったのかもしれない。だがしかし――。
「――お兄さん、出していいですか?」
私はその薄汚れた鍵をとりあえずポケットにねじ込んだ。
作業員が手早くゴミ袋を放り込む。グシャ、という音と共に、ビリー君の「聖域」は回収車の胃袋の中へと消えていった。
ビリー君は、去りゆく青い車を呆然と見送っていた。吠えもしない。ただ、役割を終えた兵士のような、奇妙に晴れやかな顔をしていた。
「……帰るよ、ビリー君、毛玉ちゃん( シマエナガ)」
慎重に氷の道を戻りながら、ポケットの中の感触を確かめた。冷たくて、重い。大家さんのものかもしれないし、後で道具箱にでも放り込んでおこう。
山悟荘に戻ると、アダンソン先輩がおかえりとばかりに顔を出した。シマエナガは「主が転んで面白かったよ!」とでも報告するようにさえずっている。
ビリー君は玄関で一度だけ大きく身震いし、そのまま台所へと向かった。
「Vamoose(やれやれ。僕ちゃん、お腹空いちゃった。ゆで卵、早く!)」
放射冷却の朝陽に照らされた鍵は、私の手の中でただ鈍く、沈黙を守っていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
ビリーと過ごす北海道の冬の情景が、少しでも皆様の心に届けば幸いです。
もし作品を気に入っていただけましたら、ページ下部のブックマークや評価などで応援をいただけますと、執筆の大きな励みになります。
次話も、山悟荘でお待ちしております。




