第111話「アイスクリーム・パラダイス再び」
札幌の空は重たい鉛色に染まり、しんしんと雪が降っていた。
天気予報は「根雪」になるかもしれないと騒いでいるが、56年雪国で生きている私の勘では、まだまだだ。これは一度溶けて、道路をグチャグチャのシャーベット状にして我々を苦しめる「ジャブ」の雪だ。
とはいえ、本格的な冬の始まりであることに変わりはない。
私は茶の間の絨毯の上に置かれた、やたらと重い木箱の前に立っていた。南米のペルーから送られてきた国際空輸便だ。そして、縁側から、庭を駆け回る「謎の発光体」に目をやった。
あれはビリー君だなぁ。
アンズ色の羽毛を覆うオレンジ系迷彩柄の特注ダウンジャケット。そして足元には、小樽の老舗・第一ゴム製の長靴「山吹色」。
金剛砂入りのゴールド底にスパイクまで付いた最強の防滑仕様だが、彼はさらに私の手で爪が出るように加工されたそれを履きこなし、雪山をグリップしている。
完全防寒装備の彼は、「積もるレベルの雪」に興奮し、完全に「庭駆け回るウェルシュ・コーギー」状態となっていた。
ウェルシュ・コーギー……胴長で短足のウェルシュ・コーギー・ペンブロークはエリザベス女王のペット、ロイヤル・コーギーとしても有名だ。
「Vamoose!( ヒャッハー! 冷てぇ! 超楽しいぜ! )」
バフッ!
桃尻のヴェロキラプトルが駆け回っている。
彼が新雪の山に顔からダイブするたびに、周囲がボワッと緑色に明るくなる。
地底湖の水を飲んで「ゲーミング化」している彼の光が、純白の雪に乱反射しているのだ。
夕暮れの薄暗い庭は、まるでSF映画に出てくるような未知の惑星、あるいはエレクトリカルパレードの舞台裏のような、幻想的なエメラルドグリーンに包まれている。
「……綺麗だけど、目立つなぁ。ご近所さんには『早めのクリスマス・イルミネーション』だと言い訳しておくか」
私は苦笑しながらカーテンを閉め、現実へと向き直った。
木箱の上に乗っている「灯油の請求書」である。
「……また上がってる」
ここ一軒家山悟荘は、大家さんの発明した地熱発電システムによって、家全体のベース暖房が賄われている。断熱材も最新鋭の外断熱仕様で、隙間風など一切ない。
しかし、大家さんには確固たるポリシーがあった。
『アキラ君。冬場の室温設定は、健康と省エネのために「最高20度」ですよ。これ以上は地熱システムの負荷になりますからね( と言ってはいるが、本人の部屋は実験熱で常夏だ)』
20度。
確かに欧米の基準なら適温だ。寒くはない。フリースを着れば快適に過ごせる。
だが、あえて言わせてもらおう。
それでは「足りない」のだ。
北海道民、特に私のような昭和世代にとって、冬の最大の娯楽とは何か。
それは、外が吹雪いている中、室内を熱帯のようにガンガンに暖め、半袖Tシャツ1枚になって冷たいアイスクリームを食べること。
通称「アイスクリーム・パラダイス」である。
20度のような「ぬるい」室温では、このパラダイスは開催できない。
パラダイス実現のためには、エコロジカルな地熱を凌駕する圧倒的火力、すなわち補助暖房である「灯油ストーブ」の点火が不可欠なのだ。
「……背に腹は代えられない。私は決して貧乏ではないが、無駄金は嫌いだ。だが、これは無駄金ではない。心の健康を保つための必要経費、ソウル・コストなんだ!」
私は自分に言い訳をしながら、ストーブの運転ボタンを「強」に押し込んだ。
ゴォォォ……!
頼もしい燃焼音と共に、温風が吹き出す。室温計の数字がぐんぐん上がっていく。
23度、25度……よし、常夏だ。私はフリースを脱ぎ捨て、Tシャツ姿になった。
私は冷凍庫から、買い置きしていたバニラアイスのファミリーパック( 2L )を取り出した。
まさにその時、玄関のドアが開いた。
「Vamoose!( ただいま帰還だぜ! )」
雪まみれになり、全身から冷気と緑色の光を放つビリー君が帰還した。
彼は茶の間に入るなり、私の手にあるアイスと、Tシャツ姿の私を見て目を輝かせた。山吹色の長靴はきちんと脱いで玄関に整えられている。その一方でダウンジャケットのビリー君は全身雪まみれのまま、こちらに向かってロックオン状態だ。
「こらこら、まずは玄関で雪を払いなさい! ブラシはそこにあるだろ! それから手洗い!」
数分後。
ガンガンに暖まった部屋で、光る恐竜と中年男が、並んでアイスクリームを頬張っていた。
ビリー君のダウンジャケットは衣紋掛けに掛けられ、衣桁に吊るされている。一体どこからそんなモノを見つけ出してきたのやら……。もしかしたら、大家さんが用意してくれたのかもしれないな。ビリー君は自分の持ち物に関してはとても几帳面だ。
冷たいバニラが喉を通り過ぎる。
「Vamoose……( まいう〜……極上だぜ…… )」
ビリー君はつぶやきながら、「おひとつどうぞ」とばかりにアダンソン先輩にアイスクリームのおすそ分けをしている。
窓の外は極寒の銀世界。
灯油代のことは一旦忘れよう。この矛盾した至福の時間こそが、北国に生きる私たちの特権なのだ。
深夜、私は仕事の手を止め、今朝届いた木箱から取り出した小さな包みを手に取り、一度だけ深く息を吸った。
『親愛なるボスへ メリークリスマス!』
見慣れた癖のある文字だった。
私はしばらく眺めてから、静かに紐をほどき始めた。
今夜の雪は、きっと根雪になるだろう……。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
次話も、山悟荘でお待ちしております。




