第110話「幻の白き怪物と、律儀なマーキング」
地上にある山悟荘の茶の間は、灯油ストーブの熱気でやけに暖かかった。
私は座椅子に深く腰掛け、年賀状の宛名書きと大掃除の段取りという、50代の師走らしい地味な作業に追われていた。今どき手書きで宛名書きか? と言われるかもしれないが、10枚程しか出さないのでわざわざプリンターを使うほどの事でもないのだ。
それよりも、私の視線は先ほどから、部屋の隅に鎮座する巨大な鉢植えに釘付けになっていた。
モンステラ・デリシオーサ『ホワイトモンスター』。
私がこの山悟荘に引っ越してくる前から長い事大切に育ててきたモンステラで、1番初めに手に入れた記念すべき観葉植物でもある。成長と共に新芽が真っ白に展開し、やがて美しいミントグリーンへと変化していく、マニア垂涎の超希少品種である。
その巨大な葉の陰に、トウキビ( トウモロコシ )のような形をした緑色の「実」がついたのが、ちょうど1年前の冬だった。
モンステラの実が熟すのには、途方もない時間がかかる。
表面を覆う六角形のウロコが自然にポロリと剥がれ落ちるまで、丸1年。私はこの「初めてのモンステラが結実した」という奇跡を前に、血眼になってお世話をし続けてきた。もしこの実から斑入りの遺伝子を引き継いだ種が採れれば、植物オタクとしてこれ以上の喜びはない。
「……そろそろか?」
ストーブの熱に当てられ、部屋の中にバナナとパイナップルを強烈に煮詰めたような、極上のトロピカルな甘い香りが漂い始めた。実の根元のウロコが、ついに剥がれ落ちて艶やかな果肉が顔を出している。完全な「完熟」だ。
「Vamoose……( めちゃくちゃ美味そうな匂いだぜ…… )」
背後から、熱い吐息と凄まじいよだれの音が聞こえた。ビリー君だ。
彼もまた、この1年間、ストーブの前で丸くなりながらこの実を監視し続けていた。
実は数ヶ月前、彼が待ちきれずに未熟な青い部分をペロリと舐めたことがあった。結果は大惨事だった。モンステラの未熟な実には「シュウ酸カルシウム」の針状結晶がぎっしり詰まっており、口の中がガラスの破片を噛んだような激痛に襲われるのだ。
それ以来、学習能力の高い白亜紀のハンターは「青いところはヤバい。ウロコが落ちるまで待て」という絶対のルールを理解し、今日までひたすらお利口に我慢していたのである。
「よし、ビリー君。ついに完熟だ。私が種を取り出したら、甘い果肉の部分は全部君にあげよう」
私は立ち上がり、種を採取するためのピンセットと保存タッパーを取りに、ちょっと台所へ向かった。
時間にすれば、ほんの1分だ。
だが、茶の間に戻った私の目に飛び込んできたのは、無惨にもへし折られた茎と、口の周りを果汁でベトベトにした相棒の姿だった。
「Pikobabool!!( デリシャ〜ス! 1年待った甲斐があった、極上の味だぜ!! )」
ビリー君が、恍惚の表情で天を仰いでいる。
「あああああ!! 私のホワイトモンスターが!! 果肉だけじゃなく、希少な種ごと丸呑みしたな!?」
1年間の苦労と、夢の斑入りモンステラ増殖計画が、恐竜の胃袋へと消え去った瞬間、私は膝から崩れ落ち、ストーブの前でしばらく放心状態になった。
ビリー君は「Namoose?( えっ? 僕ちゃん、なんか悪いことしたか? )」と不思議そうに首を傾げ、そそくさと地下へ逃げていった。
その晩、ビリー君は帰ってこなかった。
そして翌日。
私は気を取り直して、ビリー君の様子を見るために地下40mの『白亜紀ジオ・フロント』へと降りた。
彼の部屋は、日々平吉くんによって拡張し続けている。拡張と言ってもドカンと目に見えて広がっていくわけではない。例えていうなら、極小の歯科用ドリルで少しずつトンネルを掘削して広げているような、地道な作業なのだ。
さて、部屋の中心には隣人の佐藤さんのためのザクロの木を植えた『命のオアシス( 植物エリア )』がある。ザクロは大家さんの魔法の一滴のおかげで、立派な実を付けることができた。
そしてそこに近づいた時、私は奇妙なものを見つけた。
フカフカの土の上に、アイスの棒のような『小さな木っ端』が、墓標か植物のネームプレートのように、チョコンと真っ直ぐ立てられていたのだ。
「なんだこれは……?」
横にいたビリー君が、「Vamoose( ちゃんと僕ちゃんが植えといてやったぜ。感謝しな )」と得意げに鼻を鳴らした。
……私は悟った。
私が「種を採りたい」と言っていたのを、彼はちゃんと分かっていたのだ。
だから彼は、あの後急いで自分の部屋に戻り、苗床を用意したに違いない。そして、誰に言いつけられたわけでもないのに、オアシスの特等席で自発的に用を足し――いや、『種まき』をしてくれたのである。ご丁寧に、どこに種( ウンチ )があるか分かるように、木の棒でマーキングまでしてだ。
「……たく、律儀な恐竜だよ、君は」
希少なホワイトモンスターの種は、強靭な恐竜の胃袋という究極のスカリフィケーション( 発芽促進処理 )を経て、高栄養な肥料と共に、白亜紀のオアシスに託されたのだった。
私はその小さな木の棒を見つめながら、50代の涙腺が少しだけ緩むのを感じた。
芽が出るのはいつになるか分からない。だが、この地下の温室なら、きっといつか白い可愛い新芽が顔を出すだろう。
「よし、ビリー君。種まきのご褒美に、今日は奮発して松尾ジンギスカンの特上ラムを焼こうか!」
「Pikobabool!!( ヒャッハー! 待ってました!! )」
外は雪が降り積もる12月の札幌。だが、山悟荘の地下には、種族を超えた温かい絆と、未来へ続く小さな命のマーキングが、確かに息づいていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
次話も、山悟荘でお待ちしております。




