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ラプトルの鉤爪  作者: 紫紅葉
第1章:山悟荘の不条理 ―― シシュフォスの幸福と茶の間
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第11話「氷河期の居候」

窓の外は相変わらずのホワイトアウトで、外気は全てを凍らせる勢いだ。そんな「終わらない冬」の空から逃れるように、白い小さな塊が、また縁側の隙間から山悟荘(さんごそう)の茶の間へと潜り込んできた。


見覚えがある。以前ビリー君に「交渉(口内収納)」された、あのシマエナガだ。懲りずにまた暖を求めて来たらしい。


黒豆のような瞳。真っ白でもふもふの体。


ビリー君は動かなかった。首もかしげない。ただ、冷めた視線だけを向けている。アンズ色の羽毛の下で、ヴェロキラプトル特有の強靭な後肢の筋肉が微かに波打った。


(またお前か。味はしなかったぞ、という顔だ)


シマエナガは、もう外へ帰る気がないらしく、モンステラの鉢の縁でどっしりと腰を据えて羽繕いを始めた。緑色の葉の上だと、その白さは異常に目立つ。


「……なぁ、知ってるか」


私は独り言のようにビリー君に話しかけた。


シマエナガが冬にこれほど真っ白で丸くなるのは、雪景色に溶け込んで天敵から身を隠すための迷彩(カモフラージュ)であり、羽毛に空気を溜め込んでマイナス20度の世界を生き抜くための断熱モードなんだ。


「あいつは今、生きるために必死に膨らんでるんだよ。……ま、この緑の部屋じゃ逆に目立ちすぎて、格好の的だけどな」


さらに付け加える。


「それに、鳥ってのは恐竜の子孫なんだってさ。正確には……お前の遠い『孫』みたいなもんだ」


ビリー君の尾が、ぴたりと止まる。その細長くしなやかな尾は、白亜紀の草原で獲物を追う際にバランスを取るための、精密なバランサーだ。


シマエナガは小さく首を振り、羽をすぼめた。その動きには、確かに既視感があった。警戒と好奇心を同時に隠そうとする、野性特有の仕草。


ビリー君は、それをじっと見ている。確認するような、ずっと昔、世界が今のように変になる前、同じ地面を踏んでいた同胞を見る目だ。


そのときだった。


葉の裏から、この家の守護神・アダンソン先輩が飛び出し、二者の間を遮るように着地した。前脚を高く上げ、堂々とした威嚇のポーズ。漆黒のボディに白い三日月ラインが、白熱灯の下でギラリと光る。


「新入り、挨拶がねえぞ」と言わんばかりだ。


だが、シマエナガにとって、目の前の黒い物体は「先輩」ではなく「美味しそうな虫」でしかなかった。


シマエナガの目が、愛らしい「雪の妖精」から、獲物を狙うハンターのそれに変わる。先輩が跳ねた刹那、シマエナガが一直線に先輩へ向かって嘴(くちばし)を伸ばした。


――食われる!


先輩は益虫だが、野鳥にとっちゃご馳走だ。


私が声を出すより早く、ビリー君が動いた。威嚇も、躊躇もない。自分よりはるかに小さな「先輩」が「餌」として認識されたのを見た一瞬で、ラプトルは地を蹴った。巨漢の私が反応できないほどの神速。


次の瞬間、シマエナガの姿が消えた。


正確には、ビリー君の長く鋭い顎の内側に、スッポリと収まっていた。


「――っ!」


顎は閉じているが、力は入っていない。シマエナガは暴れなかった。閉ざされた暗闇の中で、ヴェロキラプトルの高温の体温を感じて硬直しているのだろう。


先輩は、ビリー君の鼻先で「ふう、危ないところだった」とでも言うように触肢を動かしている。


ビリー君の目が、わずかに揺れた。瞳が爬虫類のような鋭い金(ゴールド)から、少しだけ柔らかな黒へと変わる。


口の中には、自分の「孫」が入っている。鼻先には、自分の「先輩」がいる。


複雑すぎる家庭環境だ。


「……出禁にするかい?」


私が聞くと、ビリー君は瞬膜をパチリと閉じた。外は異常な寒波。だが、その顎の中だけは、数千万年前から変わらない、生きた熱がある。


ビリー君は、ゆっくりと顎を開いた。


シマエナガは転がるように畳に落ち、一拍遅れて羽をばたつかせた。だが、窓の方へは逃げなかった。


シマエナガは一度振り返り、ビリー君と目を合わせると、そのまま当たり前のようにモンステラの茂みの奥、ビリー君のお気に入りの隠れ家へと歩いていった。


(移住を完了させるつもりか)


法律上、野鳥を飼うことはできない。


だが、私は籠にも入れていないし、餌付けもしていない。窓の隙間だって換気のために開けてある。あいつが勝手に「ここが安全だ」と判断して、ラプトルの庇護下に入り込んだだけだ。


これは飼育じゃない。恐竜による「私物化」だ。


それなら、私の管轄外だ。そういうことにしておこう。


先輩は、満足そうにモンステラの葉へ戻っていく。ビリー君はその場に立ち尽くし、低く、掠れた声を出した。


「Vamoose(ヴァムース)(やれやれ、手のかかる孫だぜ)」


それは「出ていけ」というより、困惑に近い、優しい響きだった。私は畳に落ちた小さな白い羽を拾った。


「孫の面倒を見るのも、悪くないだろ」


そう言うと、ビリー君は私を見ず、自分の鉤爪を見つめた。獲物を仕留めるために備わった兇悪な武器。それを持つ自分が、たまに「うっかり」誰かを助けてしまうことに、彼はまだ戸惑っているようだった。


夜。


外では終わらない吹雪が窓を叩いているが、山悟荘(さんごそう)のジャングルの中は賑やかだ。ビリー君は、傍らで丸くなっている白い毛玉(シマエナガ)を見つめ、眠りに落ちる前、小さく鼻を鳴らした。


この冬が終わらないのなら、ここで一緒に過ごすのも悪くない。


ヴェロキラプトルの中で、新しい「群れ」の定義が書き換えられた夜だった。



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