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ラプトルの鉤爪  作者: 紫紅葉
第1章:山悟荘の不条理 ―― シシュフォスの幸福と茶の間
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第10話「ミクロの領土争い」

ジャングル化した山悟荘(さんごそう)の茶の間において、ビリー君は自分が最強の捕食者であると自負していた。私という飼い主を手懐け、お気に入りの寝床と、暖かいサーバー機器の裏側という戦略的拠点を確保した。


だが、そんな彼の帝国を脅かす「先住者」がいた。アダンソン先輩(メス)である。


事件は、私が映画を見るために置いていたテレビのリモコンの上で起きた。ビリー君にとっても、この黒くて硬い棒は顎を乗せるのに最適な高さを持つ、一種の王座だ。


ビリー君が顎を預けようとした瞬間、リモコンの「決定ボタン」の上にいた先輩が、パッと前脚を掲げて威嚇のポーズをとった。


その度胸は、まさに昨夜観た映画の古参兵そのものだ。自分より何万倍も巨大な恐竜を前にしても一歩も退かず、真っ向からメンチを切っている。


「ビリー君、場所取り負けてるぞ。軍曹殿にどいてもらえ」


私が茶化すと、彼はプライドを傷つけられたのか、喉を鳴らして低く唸った。


「Vamoose(ヴァムース)(おいおい姐さん、そこは僕ちゃんの特等席だぜ。どいてくれなきゃ困るね)」


地を這うような重低音。だが、先輩は微動だにしない。それどころか、キビキビとした動きでリモコンの先端へと陣取った。そこは茶の間全体を見渡せる絶好の監視塔だ。


戦略的要衝を完全に抑えられたな。


「Vamoose(ヴァムース)(あーもう! どけってば!)」


ビリー君がさらに強く、顎をしゃくって主張する。対する先輩は、糸を引いてピョンと跳躍した。


逃げたのではない。


ビリー君の鼻先に着地したのだ。


「――ッ!?」


ビリー君はパニックに陥った。近すぎて焦点が合わない。極度の寄り目になりながら、自分の鼻先でカサカサとダンスを踊る先輩を、必死に視界に捉えようとする。


「Vamoose(ヴァムース)(うわああ! 近い近い! 何すんだ姐さん! 取れない、取れないよ!)」


情けない声が出る。首を振っても、先輩は巧みな足さばきで鼻の上をサーフィンしている。結局、ビリー君はたまらず「フシュッ!」と大きな鼻息を吹き出した。


その風圧で先輩は軽やかに空を舞い、近くのモンステラの葉へと着地。そこで再び前脚を振り上げ、「修行が足りんよ、新入り」と言わんばかりのポーズを決めた。


完全敗北だ。


ビリー君は肩を落とし、トボトボと私のベッドの方へ歩いてくると、枕の端っこに小さくなって座り込んだ。


だが、夜。


ふと見ると、モンステラの大きな葉の陰で、丸くなって寝ているビリー君の姿があった。そして、その頭頂部のアンズ色の羽毛の中に、アダンソン先輩が埋まるようにして静止しているのが見えた。


(……乗っている)


それは争いではなく、「共同統治」の姿だった。先輩はビリー君を「暖かくて動く巨大な乗り物」として認め、ビリー君もまた、頭上の小さな重みを「王冠」として受け入れたらしい。


「Vamoose(ヴァムース)(ムニャムニャ……姐さん、そこが一番暖かいだろ……?)」


寝言のように彼が呟く。それは拒絶ではなく、穏やかな占有宣言に聞こえた。


私は、もはや誰も座っていないリモコンをそっと回収した。その程よい重みを掌で確かめ、親指で電源ボタンを押し込む。


カチッ。


そして、冷凍庫から「セイコーマートの北海道メロンソフト」を取り出した。外は極寒の吹雪だが、常夏の室内で食べるアイスクリームは格別だ。


今夜見る映画は、もう決めてある。ジョン・フォードの名作『荒野の決闘』。


私は音量を絞り、ジャングルの2匹の王を起こさないよう、静かにモノクロの荒野の世界へと浸り始めた。



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