第108話「空へ還る種と、輝く管理人の日常」
庭の冬囲いも無事に終わり、札幌は今年も長く厳しい冬を迎えようとしている。
そんな中、私はトイレとマブダチになっていた。
原因は、秋に大量に収穫し、冷凍保存しておいた『庭のプルーン』だ。
鉄分とミネラルが豊富で体には非常に良いのだが、半解凍してシャリシャリのシャーベット状になったのが美味すぎて、深夜に調子に乗って食べ過ぎてしまった。鉄分の過剰摂取はてきめんに腹を下す。「過ぎたるは及ばざるが如し」とはよく言ったものだ。五十路を過ぎて腹を壊すと、地味に体力を削られる。
さて、私のポンコツな腹具合はともかく、地下100mの地底湖へと根を下ろした『時空ニレ』も十分に成熟し、いよいよ収穫の時期を迎えたようだ。
私たちはカゴと脚立を持って、広場の奥、マリモモドキが妖しく漂う地底湖へと向かった。
そこには、息を呑むような光景が広がっていた。
無尽蔵の湖水を吸い上げ、エメラルドグリーンに脈打つように発光する巨木。
その枝々に、無数の『黄金の物体』が鈴なりになっている。はっきり言って脚立が届く高さではない。
「Vamoose!( スイーツの時間だぜ! )」
ビリー君がよだれを滝のように流して駆け寄る。
彼の脳内は、未来のラボで食べたあの「ジューシーなフルーツ( リンゴとカキを足したような極上の味 )」でいっぱいなのだ。
しかし、巨木に近づいた彼は急ブレーキをかけ、ハト――いや、白亜紀のラプトルが豆鉄砲を食らったような顔で完全に固まった。
「……Vamoose?( ……なんだあれ? )」
枝からぶら下がっていたのは、果汁たっぷりの魅惑の果実ではなかった。
それは、長さ20cmはある『巨大な黄金の翼果』――つまり、楡の木特有の、平たい薄羽のついた乾燥した種だったのだ。
見た目は美しい。光る葉の中で黄金色に輝く様は、まるで七夕の豪華な飾りのようだ。だが、どう見ても水分はゼロ。食べる部分は一切ない。
「あらら、ビリー君、残念だったね。果物じゃなかったよ。楡の木だもの、やっぱり『翼果』か」
「Namoose……( 僕ちゃんをだましたな…… )」
ビリー君はがっくりと肩を落とし、太い尻尾をズルズルと地面に引きずっている。
その時だ。
ビリー君の胸元の『真鍮の鍵』が、キィィィィーン……と高く澄んだ音を立てて共鳴した。
呼応するように、巨木がサワサワと葉を震わせる。
次の瞬間。
枝についていた無数の翼果が、一斉に離脱した。
パラパラと重力に従って落ちてくるのではない。
それらは、まるで意志を持った金色の蝶の群れのように、ふわふわと『上へ』向かって舞い上がったのだ。
「おぉっ、飛んだ!」
黄金の種たちは、美しい螺旋を描きながら上昇気流に乗り、地下洞窟の天井――つまり分厚く硬い岩盤へと向かう。
そして、ぶつかることなく、スーッと岩の中へ吸い込まれるように透過して消えていったのだ。
物理的な実体を超えた、まるで幽霊のような飛び方だ。
「……なんと」
いつもなら「これは量子トンネル効果の応用ですね」などと涼しい顔で解説を始める大家さんが、この時ばかりはポカンと口を開けていた。
彼は眼鏡の位置を直し、ひどく困惑したように私を見た。
「アキラさん、これは……一体どこへ向かおうとしているんでしょうかねぇ? 物理法則を完全に無視して岩盤を透過するなんて……私の科学知識を超えていますよ」
あの天才発明家の大家さんが、私に答えを求めている。
私は天井へ消えていく光の粒を見上げながら、静かに口を開いた。
「……銀河の衝突ですよ、大家さん」
「へ?……銀河の衝突、ですか?」
「ええ。銀河同士が衝突しても、星と星が直接ぶつかることはまずないというでしょう? 星の大きさに比べて、星と星の間の空間が圧倒的にスカスカだからですよ。岩盤もあの種も、それと同じです」
私はさらに言葉を続ける。
「物質を構成する原子ですが、その中身は驚くほどスッカスカなんです。例えば、1つの原子を『札幌ドーム』の大きさに拡大したとしましょう」
「札幌ドーム、ですか」
「ええ。その場合、中心にある原子核……つまり陽子や中性子の塊は、グラウンドのど真ん中にポツンと置かれた、たった1粒の『ザクロの種』くらいの大きさしかありません。じゃあ、その周りを飛んでいる電子は何かと言えば……」
「……なんでしょう?」
「ドームの天井付近の観客席をフワフワと飛んでいる、ちっぽけな『雪虫』みたいなもんです」
私の出したローカルな例えに、大家さんが「ほう」と目を丸くした。
「札幌ドームという巨大な空間に、ザクロの粒が1つと、雪虫が数匹。……残りの空間は全て、完全なる『空洞』です。あの黄金の種たちは、物理法則を無視しているわけじゃない。岩盤を構成する原子の、その『ザクロと雪虫の間の広大でスカスカな隙間』を、正確にすり抜けているんじゃないでしょうか」
私のハッタリじみた、しかし妙に説得力のある解説に、大家さんの目がカッと見開かれた。
「なるほど……! つまりこの種は、マクロの物体でありながらミクロの『量子的なすり抜け』を完全にコントロールしている……。岩盤の原子の隙間を縫うように自身の位相をずらし、一切干渉せずに透過しているというわけですね。いやはや、とんでもないテクノロジーですな」
大家さんが見事に話を広げ、科学的な裏付けを与えてくれた。
私は自分の中のオタク魂( SFマインド )が、激しく疼くのを感じた。
答えなんて当然知らない。だが、この状況にふさわしい「ロマンある解釈」ならいくらでも湧いてくる。
「しかも、ただすり抜けるだけじゃない。……メッシュWi-Fiですよ」
私は、さも宇宙の真理に到達したかのような顔で、うっとりと呟いた。
「大家さん、あれはただの種じゃない。『生物学的ルーター』なんです。世界中へ飛んでいって、それぞれの場所で芽吹き、お互いに繋がり合う……そう、地球規模のメッシュWi-Fiを構築しようとしているんですよ!」
「はあ……メッシュWi-Fi、ですか」
「ええ! 地球の裏側とも、過去とも未来とも繋がる、究極のブロードバンドです。いやぁ、ロマンだなぁ……」
私は自分の吐いた適当な( しかし極めて魅力的な )SF設定にすっかり酔いしれていた。
映画『アバター』のようでもあり、イーロン・マスクのスターリンク計画のようでもある。この木は、地球そのものを壮大なネットワークで包み込もうとしているのだ( たぶん )。
「なるほど、地球規模の生体通信インフラ……。アキラさんの発想は面白いですねぇ」
大家さんは感心して頷いているが、私の心の中は「今の俺、ちょっとカッコいいこと言ったな」というオッサンのささやかな自己満足で満たされていた。
この木が本当に何をするのかは知らないが、なんとなく「そういう壮大なこと」をしてくれるなら、記憶を失くした未来の管理人の仕事も悪くない。
数分後。
黄金の種はすべて飛び去り、地底湖の巨木は少し寂しげになった。
では、食べるものが完全になくなったビリー君はどうしているかというと――。
チャプ、チャプ、チャプ。
彼は地底湖に顔を突っ込み、一心不乱に水をガブ飲みしていた。
食い気が満たされないなら、せめて美欲だ。
マリモモドキの水を飲むたびに、彼の羽毛はボワッ、ボワッと毒々しいネオンのように発光を強めていく。
「……たくましいな、君は」
私は苦笑いしながら、光る木と、やたら光る恐竜、そして光る種が舞った余韻の残る広大な空間を見渡した。
地上はこれから、長く厳しい真っ白な冬に閉ざされる。
だが、地下には、太古の記憶と未来への希望のメッシュWi-Fi、そして底抜けに明るく眩しい相棒がいる。
私たちの奇妙で輝かしい日常は、次の白銀の季節へ向けて、これからも脈々と続いていくのだ。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。これにて、第9章「千のプラトーとリゾームの種」は完結となります。
次回、第10章でまた皆様とお会いできるのを楽しみにしております。




