第106話「アバターな森と、確信犯の輝き」
地下40mの『トロゲート』が遥か未来への扉であることが確定したが、私たちの50代と70代の地味な日常が劇的に変わることはなかった。
大家さんが分厚いマニュアルを読み込んだ結果、極めて現実的で渋い運用方針が決定したからだ。
「時空間移動への使用は、莫大な電力を消費します。よって、未来への旅行は原則禁止。あくまで地上の灯籠とのエレベーター利用、および非常時の脱出経路として維持管理していくことにします」
つまり、私たちは今まで通り、ここでゲートの周囲を掃除し、ビリー君のお世話をして、たまにご近所さんと縁側でお茶を飲んでいればいいわけだ。世界の果ての秘密を知っても、日々の生活は変わらない。私としては、それが一番ありがたい。
一方、劇的に変わったものもある。
地下40mの『サッポロカイギュウ広場』に植えた時空ニレ(ビリー君の極上堆肥育ち)だ。
広場にある本体は、一見すると何の変哲もない、ただの小ぶりな楡の木に見える。
だが、壁の保護ジェルの中を伝って地下100mの地底湖へと伸びた根の部分は、全く別の様相を呈していた。
特に、地底湖の豊富な水源に到達し、巨大な楡の木へと成長していくその姿は、まさしく『時空ニレ』と呼ぶにふさわしい凄まじい威容を誇っていた。
太い幹の溝に沿ってエメラルドグリーンの光の筋がドクドクと走り、葉脈の1本1本までもが緑色に淡く発光し、暗い地下空間に神秘的に浮かび上がっているのだ。
その姿は、まるでSF映画『アバター』に出てくる聖なる森そのものだった。
「……なんとも、『幽玄』な眺めでしたね」
私は広場のベンチで、擬態している変哲もない普通の木を眺めながら、湯気の立つマグカップを片手に呟いた。
先ほど点検してきた地下100mの地底湖の光景が目に焼き付いている。幻想的、神秘的、サイバーパンク……いろんな言葉が浮かぶが、あの静かで奥深い、命そのもののような光には「幽玄」という言葉が一番しっくりくる。
「それにしても、地上ではもう『雪虫』が飛び始めましたよ」
大家さんが熱いコーヒーを啜りながら、ふと目を細めて言った。
雪虫。お尻にフワフワとした白い綿をつけたアブラムシの一種で、これが空を舞い始めると数週間以内に初雪が降ると言われている、北海道の冬の使者だ。
そして、その命はあまりに儚い。熱に弱く、人間の体温に触れただけで死んでしまう。さらに「繁殖の木」に辿り着けないものは子孫を残すことも叶わず、その短い生涯を終え、アスファルトの上に白い雪のように虚しく積み重なっていくのだ。
何のために生まれ、何のために死ぬのか……あの真夏のガガンボを見た時と同じような気分にさせられるほど、雪虫はひどく儚い生き物だ。
「……ビリー君の様子、見てきましょうか」
ビリー君はここ最近、広場にはいない。
私と大家さんはコーヒーを飲み干すと、エレベーターで地下100mへ降り、広大な地底湖へと続く洞窟へ向かった。
洞窟を抜けると、そこには光り輝く神秘の世界が広がっていた。
ビリー君は、湖のほとりで、時空ニレの太い光る根っこにすがりつくようにして座り込んでいた。彼はこの数日、ここから動こうとしない。
木に触れることで脳内に直接再生される『過去の映像( アカシックレコード )』に、完全に没入しているのだ。鍵の持ち主であるビリー君だけの特権らしい。
「Vamoose……( そこだ、いけ……足でガッシリ押さえつけろ…… )」
ビリー君は瞬きもせず、虚空を見つめている。
まるで獲物を狙うかのように、あるいは極上の食事を味わうかのように、1億年前の故郷のデータを貪るように見ている。その背中は、楽しみを通り越して、どこか鬼気迫るものがあった。
独り、決して戻れない過去の幻影にすがりついているようで、私はなんだか彼がとても不憫に思えてきた。
「……もうそろそろ、連れ戻しましょうか。冷えますし」
私が56歳になったばかりの親心でそう言うと、大家さんは優しく首を横に振った。
「いや、もう少しだけ見させてあげましょう。彼にとって、これは何よりの『里帰り』ですからねぇ」
大家さんの思いやりに溢れた提案に、私は無言で頷いた。
私たちは彼の静かな時間を邪魔しないよう、そっとその場を離れ、地上へと戻った。
――そして、深夜。
私が茶の間でくつろぎながら化石の図録をめくっていると、庭先の『ビリー・ハイウェイ』からドドドド……と駆け上ってくるビリー君の気配を感じた。そして、ベランダの横に取り付けたビリー君用の出入り口( ペットドアのようなもの )がキコキコと音をたてた。ビリー君がようやく帰ってきたのだ。
「おかえりビリー君。楽しかったかい? 故郷の動画鑑賞は満足し……うわっ!?」
私は図録を落としそうになり、思わず目を覆った。
暗闇の中から現れたビリー君が、ボワワァッ……と全身から強烈な緑色の光を放っていたからだ。
ダウンジャケットも着ていない、ありのままのアンズ色の羽毛が、まるで高スペックな『ゲーミングPC』や『ススキノのネオンサイン』のように毒々しく発光している。
この光り方、嫌というほど見覚えがある。
以前、彼が地底湖の水を勝手に飲んだ時に起きた現象と全く同じだ。私たちがマリモモドキと呼んでいる、あの水に含まれる特殊な発光バクテリアと、ビリー君の尾脂腺から分泌されるオイルが化学反応を起こし、そのオイルで手入れした羽根はツヤツヤになり、更に飲んだ水の副作用によって全身が歩く「発光体」になってしまうのだ。
「……ビリー君。君、また地底湖の水を飲んだね? しかもその羽毛の濡れ具合、水浴びまでしただろう?」
地下湖の活用法をビリー君なりに模索しているのだろう。
私がジト目で問い詰めると、ビリー君は悪びれる様子など微塵もなく、ニヤリと生意気に口角を上げた。
「Vamoose〜♪( へへっ、僕ちゃんの作戦、バレたか〜♪ )」
その顔は、「過去を懐かしんで泣いていた可哀想な恐竜」の顔では断じてない。
彼は知っていたのだ。あの発光バクテリア入りの水を飲んで浴びれば、自分の羽毛が最高級のツヤと圧倒的な輝きを手に入れ、庭のスズメたちからも「光るアニキ」としてモテモテになることを。
どうやら彼は、地下の神秘的な洞窟を「白亜紀の映画館」兼「スーパー銭湯&極上エステ」としてフル活用していたようだ。同情して損した。完全なる確信犯である。
ピカピカとご機嫌に発光する同居人を見ながら、私は深い、深いため息をついた。
「……まあ、楽しかったならいいか。風邪ひくなよ。今日も夜食のゆで卵、食べるかい?」
「Vamoose!( 当然だぜ! 僕ちゃんの腹はペコペコだ! )」
ビリー君が嬉しそうに太い尻尾を振ると、その残像で茶の間に緑色の光の帯がビュンビュンと走った。その周りを小さな点が光りながらピュッピュと瞬間移動している。ハエトリグモのアダンソン先輩もビリー君のお手入れ済みか……。
今年の冬は、大通公園のホワイトイルミネーションをわざわざ見に行かなくても、山悟荘の茶の間だけで十分に楽しめそうだ。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
次話も、山悟荘でお待ちしております。




