第105話「深夜のカリカリ音と、ミルキーな宝石」
10月に入り、札幌の風は一段と冷たさを増した。
先週末、私とビリー君は庭の『プルーン』の木の収穫を無事に終えたばかりだ。今年は例年にない大豊作だった。甘酸っぱく熟した紫色の果実を、ビリー君が高い枝からヒョイヒョイともぎ取り、私が下でカゴ一杯に受け止める。
生でかじり、ジャムを煮詰め、余った分はご近所さんにお裾分けしてもまだ余るほどの量だった。
「Vamoose!( 僕ちゃん、今年の実が超甘くて気に入ったぜ! )」
口の周りを紫色に染めて喜ぶ相棒の顔を思い出すと、56歳になった主夫としては妙な達成感がある。そんな秋の豊かな実りを終えた後、私は夜な夜な、ある『日課』に没頭していた。
仕事が終わるとすぐに1階の茶の間に籠もり、ヘッドルーペをカチャリと装着する。右手には、精密な化石クリーニング用のペン型ドリル『エアスクライバー』。
チチチチチチチ……!
歯医者のような微細な振動音と共に、私は直径15cmほどの丸い石( ノジュール )を、慎重に、かつ執拗に削り続けていた。精密画家である私は、こういう細かくて地味な作業が三度の飯より大好きなのだ。
「Vamoose?( ……なぁキャプテン、それ美味いのかい? )」
背後から熱い視線と、生温かい鼻息を感じる。ビリー君だ。彼は私が毎晩、大事そうに石をいじくり回しているのを見て、それがプルーンに匹敵する「極上の木の実」か何かだと思っているらしい。
「違うよビリー君。これは食べ物じゃない。宝石だよ。……というか、これは三笠に行った時、君が適当に拾ってきて、車の荷台に『投げた(捨てた)』石だぞ?」
「Namoose……( なんだ、また石っころかよ。僕ちゃんの期待を返してくれ )」
そう、この石は私の戦果ではない。三笠の野外発掘体験で、私が石の観察に夢中になりすぎてボウズだった横で、ビリー君が「手頃な投石用」か「非常食」として拾い、そのままSUVのトランクの隅に転がっていたものだ。
帰宅後に荷台を整理していて、私がその断面に『異常』を見つけたのだ。
普通の茶色い化石じゃない。母岩の隙間から、白く、ミルキーに濁った美しい鉱物の輝きがチラリと見えていたのである。
( 間違いない。これは『ゴードリセラス』だ。しかも、殻の中が方解石( カルサイト )に置換されている! )
北海道のアンモナイトは、数千万年という長い年月をかけて成分が鉱物に入れ替わることがある。中でも、このように成分が結晶化し、半透明の宝石のようになったものは「異常巻き」と並んでマニア垂涎の逸品だ。ビリー君の『野生の勘』は、無意識のうちに最高のお宝を引き当てていたらしい。
カリッ……カリッ……。
エアスクライバーの先端をミリ単位で走らせる。
今年のプルーンの豊作を思い出しながら、余分な母岩を弾き飛ばし、本体を傷つけないように薄皮1枚を丁寧に剥がしていく。丸太のような極太の腕を固定し、息を止めるような集中力で臨む。
それは、埋もれた歴史の封印を解く作業。56歳の世知辛さを忘れ、完全に無心になれる至福の時間だ。そして1週間後。ついにその瞬間が訪れた。
「よーし……完璧だ……!」
私がエアスクライバーを置くと、待ちくたびれたビリー君がスッと顔を寄せた。
デスクライトの下で輝いていたのは、泥だらけの石ではない。まるで上質な蜂蜜を凍らせたような、あるいは濃厚なミルクキャンディのような、美しい飴色と乳白色が混ざり合ったアンモナイトだった。
複雑な縫合線もくっきりと美しく浮かび上がり、方解石化した内部はライトの光を透かして神秘的に光っている。
「Vamoose!( めっちゃ美味そうじゃんか! 僕ちゃん、それナメナメしてもいいかい〜♪ )」
ビリー君が金色の目を輝かせて涎を垂らした。わかる。すごくわかるよビリー君。このツヤツヤ感、色合い。どう見ても高級な飴細工か、キャラメル味のスイーツに見える。
「でもダメだ。これは硬い石だから、ビリー君の頑丈な歯でも折れちゃうよ」
「Namoose( ちぇっ、食えないのかよ。期待損だぜ )」
私は完成した『ゴードリセラスのカルサイト化石』を愛おしく手に取り、棚の特等席へと運んだ。
そこには既に、先日の誕生日にビリー君が自身のハンド・クローで削り出してプレゼントしてくれた『ワイルド・アンモナイト』が鎮座している。
左には、荒々しくも力強い、ビリー君の彫刻。
右には、繊細で琥珀のような深い飴色に輝く、私のカルサイト。
並べて飾ると、それはまるで私たち2人の関係をそのまま表しているようだった。種族も、生きる時間も、性格も違う。けれど、こうして並ぶと不思議なほど調和が取れている。
ビリー君はしばらくその飴色の石を残念そうに眺めていたが、私が「雪見だいふくか、ゆで卵食べるかい? プルーンジャムを乗せたクラッカーもあるぞ」と声をかけると、一瞬で「Vamoose!!( やったぜ!! 待ってました! )」とご機嫌なラプトルに変身した。
三笠の山から連れてきた、太古の海の記憶。
それは、秋の夜長にぴったりの、静かでミルキーなインテリアとなった。
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