第103話「壁を走る血管と、琥珀色の贈り物」
黄金の種( in ビリー君の極上有機肥料 )が地下40mの特設の土俵に植えられてから、数日が経った。
カレンダーは9月23日。秋分の日だ。
札幌の地上はすっかり秋めいて、朝晩はストーブが恋しい季節になったが、ここ地下40mの『サッポロカイギュウ広場』は、大家さんの地熱システムのおかげで常にじんわりと暖かい。
今日は休日。
私、大家さん、ビリー君、そしてスズメたちは、広場にピクニックシートを広げて「お花見」ならぬ『発芽待ち』をしていた。
保温ポットに入れた熱いコーヒーと、ストーブで焼いた焼き芋を囲み、こんもりと盛られた土の山をじっと見つめる……はずだったが、横に座るビリー君の様子がどうにもおかしい。
さっきから、モジモジと私の周りをうろつき、背中に何かを隠している。
「どうしたんだい、ビリー君? トイレなら、その土の上でしちゃダメだよ。2度目は肥料焼けを起こすからね」
「Namoose( 違うぜキャプテン )。……Vamoose( これだ )」
ビリー君が、少し照れくさそうに、背中に隠していた「石」を私に突き出した。
それは、拳大のノジュール( 岩塊 )だった。だが、ただの石ではない。
「これは……!」
私は息を呑んだ。
それは、見事な『アンモナイトのオブジェ』だった。
硬い母岩が絶妙なバランスで削り取られ、中から真珠光沢を放つアンモナイトの殻が、まるで波間から現れたように立体的に浮き上がっている。
驚くべきは、その神がかった仕上げだ。鏨やエアチゼルなどの金属工具を使った痕跡が一切ない。あるのは、鋭利な刃物で薄皮を削いだような、力強くも極めて繊細な「爪痕」だけだ。
( ……なんてことだ。彼は自分の『ハンド・クロー( 前脚の爪 )』だけで、この硬い石をここまで精密にクリーニングしたのか? ミリ単位の繊細な殻を一切傷つけることなく? )
「Vamoose( アキラの誕生日、だろ? )」
「……! 覚えていてくれたのかい?」
56歳の誕生日。自分でも忘れかけていたその日を、この白亜紀の相棒は覚えていたのだ。
先日、三笠で私が石の観察に夢中になって何も採れなかったのを見て、こっそり持ち帰ったノジュールを、私が寝ている間に毎晩カリカリと削っていたのだろうか。
あの獲物を引き裂く凶暴な爪は、私を喜ばせるための「世界で1つの彫刻刀」にもなるのだ。
「ありがとう、ビリー君。……最高のプレゼントだ。私の宝物にするよ」
私がそう言って、アンズ色の柔らかな羽毛に覆われた頭を撫でると、ビリー君は「Pikobabool!( へへん、当たり前だぜ。僕ちゃんの極上の出来だろ? )」と得意げに鼻を鳴らし、太い尻尾をブンブンと振った。
胸の奥と目頭が熱くなるのを私は感じていた。この恐竜と暮らしていて、本当によかった……心からそう思う。
その時だった。
私たちの感動的な空気を読むように、土の山がモコッ……と動いた。
「Vamoose!( 出たぜ! )」
ビリー君が声を上げる。
盛り上がった土の頂点から、ひょっこりと『小さな双葉』が顔を出した。
それは淡く黄金色に輝く、息を呑むほど美しい双葉だった。
「おお、ついに発芽しましたか! なんというタイミング。アキラさん、二重のお祝いですねぇ!」
大家さんが嬉しそうに拍手をした、次の瞬間だ。
双葉が成長し、本葉へと展開したかと思うと、その根元から『別の太い茎』が、まるで緑色の蛇のように地面を這い出したのだ。
「うわっ、なんだこれ!?」
その茎は、太陽光が振り注ぐ「上」を目指す本体とは別に、一直線に広場の壁へと向かった。
そして、岩肌を覆っている結露防止用の『特殊保護ジェル』の中に、ズブズブと力強く潜り込んでいったのだ。
「ジェルの中に入っていったぞ……!」
透明なジェルの中を、緑色の茎がグングンと伸びていく。
それはまるで、壁の中に新たな血管が通ったようだった。
茎は迷うことなく、広場の奥――地下100mへと続くエレベーターのシャフトの方角へ向かい、そのまま壁面を伝って、遥か地の底へと脈を打ちながら垂直に降下していった。
「なるほど……そういうことですか」
大家さんが、壁の中を走る茎の軌跡を指でなぞりながら深く感嘆した。
「この木は、『2つの顔』を持つようですねぇ」
大家さんの推測はこうだ。
広場に残った本体は、私たちの目を楽しませるための『擬態』として、小ぶりで可愛い鉢植えサイズの木として育つ。
しかし、壁の中を伝って一気に地下100mへ向けて降下していった「地下茎」こそが、この植物の真の動力パイプラインなのだ。
「あのはるか下層にある地底湖まで一気に根を張り、あの無尽蔵の『水源』と、あのマリモモドキ( 発光微生物 )のエネルギーを直接吸収するつもりなのかもしれませんね。なんというスケールの生命力なんでしょう。そうは思いませんか?」
大家さんが言うように、地下湖に到達した茎は湖水を吸い上げ、やがては広大な地下空間のネットワークを形成するのだろう。
つまり、「地下40m広場のかわいい木」と「地下100m地底湖へ伸びるパイプライン」は、壁の中で繋がった巨大な同一の個体なのだ。
「Vamoose……( すげぇな、こいつ )」
ビリー君は、エレベーターシャフトの闇の奥へと伸びていく緑のラインを、我が子を見るように頼もしそうに見つめている。
自分の腹の中から生まれた命が、この地下基地全体を血管のように巡り、守ろうとしているのを感じたのかもしれない。
私の太い手の中には、相棒が爪で削り出した、1億年前の太古の記憶( アンモナイト )。
目の前には、相棒の生命力( 肥料 )を吸って、遥か未来の形へと伸びていく未知の植物。
過去と未来が、この地下40mで確かに交差している。
56歳の誕生日は、想像よりもはるかに騒がしく、そして温かいものになった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
次話も、山悟荘でお待ちしております。




