第100話「三笠のアンモナイトと、共鳴する鍵」
翌朝。
私たちは月形町を出発し、一路、南東の「三笠市」を目指した。
かつて炭鉱で栄え、今は日本有数の『化石の聖地』として知られる場所だ。
( ……空が高い。道央の秋は、どこまでも続く防風林のシルエットが美しい。だが、バックミラーに映る相棒には、この風情よりもご当地グルメの方が魅力的に映っているようだな )
三笠に入り、目的地である博物館へ向かう途中、某所の野外エリアで奇妙なイベントに遭遇した。
昨今、全国的に謎のブームを巻き起こしている『ティラノサウルスレース』だ。
赤や緑のカラフルなビニール製のティラノサウルスの着ぐるみを着た人間たちが、短い手足をバタつかせながら、芝生の上を全力疾走してズッコケている。
車からその光景を見た瞬間、ビリー君が「Namoose!( ひぃぃっ! で、出たぁ! )」と短い悲鳴を上げ、後部座席のシートの陰にガタガタと震えながら隠れようとした。
無理もない。彼はあのティラノサウルスを、自らの天敵である『タルボサウルス』と勘違いしたのだ。
――説明しよう!
タルボサウルスとは、白亜紀後期のアジア大陸(現在のモンゴル周辺)に君臨した、ティラノサウルス科の超大型肉食恐竜である。T-レックスの近縁種であり、体長は10m以上。ビリー君たちヴェロキラプトルと同じ地域、同じ時代を生きており、彼らにとっては絶対に出会いたくない「悪夢の捕食者」なのだ。
だが、震えるビリー君が窓の隙間から恐る恐る外を覗き込むと、そこには短い手足をバタつかせて芝生で盛大にズッコケる、カラフルでマヌケな天敵たちの姿があった。
( ……ん? なんだあいつら、超トロいじゃん? )
ビリー君の金色の瞳に、みるみるうちに自信と闘争心と遊び心が戻ってくる。
「Vamoose!!( なんだ、あんなヘボい連中に僕ちゃんが負けるわけないぜ! 本物の走りを見せてやる! )」
「あっ、こら! 待てビリー君!」
私が止める間もなく、アンズ色の本物の白亜紀のラプトルがレースに乱入した。
凄まじい脚力で風を切り、ビニールのティラノたちをごぼう抜きにして、ぶっちぎりの1位でゴールを駆け抜ける。観客たちからは「なんだ今の!」「あの着ぐるみ、超リアルで速ええ!」と割れんばかりの大歓声が上がった。
私が平謝りしながら、ドヤ顔のビリー君の首根っこを掴んで全力で車へ回収したことは言うまでもない。
ドタバタの末、ようやく本日の目的地である『三笠市立博物館』に到着した。
私は狂ったように何度もここへ足を運んでいるが、ビリー君を連れてくるのは初めてだ。
館内に入ると、直径1mを超える巨大なアンモナイトの化石がズラリと並び、圧倒的な威圧感を放っていた。
「Vamoose( 懐かしい味だぜ……クンクン )」
ビリー君が巨大な『パキデスモセラス』の化石を見つめ、ジュルリと舌なめずりをした。
学芸員さんがギョッとした顔をしたが、周りの客たちは「うわっ、すげえリアル!」「さっきのレースの着ぐるみだろ?」「一緒に写真いいですか?」と勝手に納得して盛り上がっている。
私はもう、いちいち言い訳をして回るのをやめた。ビリー君も満更でもない様子で、カメラに向かってバシッとポーズを決めている。
佐藤さんはその様子を、「あらあら、ビリーちゃんったら人気者ねぇ」と、まるで孫の学芸会を見るような目で微笑ましく見守っていた。
午後からは、本日のメインイベントである「野外博物館エリアでの化石発掘体験ツアー」に参加した。
桂沢湖周辺の地層は白亜紀の宝庫だが、同時にヒグマの生活圏でもある。
「えー、本日もヒグマの目撃情報はありませんが、念のため私の指示に絶対に従ってくださいねー」
ガイドのお兄さんが、腰のクマ撃退スプレーをカチャリと鳴らして説明する。
ビリー君は、貸し出し用の黄色いヘルメットをトサカの上に強引に乗せ、マイ・ハンマーを構えてやる気満々だ。
指定された崖の前で、私たちは石を割り始めた。
私が鏨を当てる位置をミリ単位で測り、割れ目の結晶の走りをうっとりと眺めている横で、ビリー君が直感で選んだ手頃なノジュール(岩の塊)にハンド・クローで触れた、その時だ。
チィィィーン……。
ビリー君の首から下がっている『真鍮の鍵』が、誰も触れていないのに澄んだ音色を響かせた。
風鈴のような、あるいは上質なクリスタルを弾いたような音。ガイドさんが「おや、風流なクマ鈴ですね」と振り返ったが、ビリー君の様子がおかしい。
「Namoose……( 何かが、僕ちゃんを呼んでる…… )」
彼が鍵を強く握りしめた瞬間、私の視界が激しく歪んだ。
目の前の紅葉した三笠の森が「二重写し」になり、色彩が焼き飛んだような『荒涼とした赤い大地』へと変貌する。
秋の冷たく湿った空気は一瞬にして消え、喉が張り付くような『乾燥した熱風』が吹き付けた。
そこは、乾いた砂煙が舞い、背の低い潅木が点在するだけの広大な砂丘地帯だった。だが、その熱気で歪む視界の向こうに、きらめく『水辺』が見えた。
砂漠の只中に奇跡のように存在する、緑に囲まれたオアシスだ。
そこには、私の知らない植物が群生し、水飲み場に集まる無数の生物たちの気配――ビリー君にとっての「懐かしい食卓」の匂い――が濃厚に漂っていた。
「……Vamoose( あそこだ、あそこに帰るんだぜ )」
ビリー君の切ないほどの思念が、私の脳内に直接響いた気がした。
「うわっ……!?」
私が猛烈な熱さにむせてよろけると、景色は瞬時に「三笠の秋」に戻っていた。
周りのツアー客は、一心不乱に石を叩いていて誰も気づいていない。
「い、今の……大家さん、見えましたか?」
「ええ、少しだけ『ノイズ』が混じりましたねぇ」
大家さんは、平然と石を割りながらボソリと呟いた。
「白亜紀の地層、そしてあの鍵。条件が揃うと、地下のゲートを通さなくても、局所的な『時間の混線』が起きるのかもしれません。今の乾いた風とオアシスの残像……ここ、三笠の過去というよりは、ビリー君の遺伝子に深く刻まれた『故郷の記憶』がリンクしたのかもしれませんよ」
( ……心臓が止まるかと思った。今の熱気は、サウナとも違う、もっと暴力的な太陽の熱だった。そしてあのオアシスは、あまりにも美しく、残酷なほど遠かった )
結局、ビリー君は小さな二枚貝の化石を見つけ、私は石の模様を観察しすぎて時間切れとなった。だが、収穫はそれ以上だ。
三笠の山には、まだ私たちが知らない「時間」が地層の間に挟まっている。そしてこの鍵は、その扉を開くためのパスポートに違いない。
帰り道、『道の駅みかさ』で名物の石炭ザンギを買い込んだ。見た目は石炭のように真っ黒だが、味はジューシーな鶏肉の唐揚げだ。
後部座席でそれを無心に頬張りながら、ビリー君はずっとその真鍮の鍵を大切そうに握りしめていた。
ふと見ると、鍵をぶら下げているクロムハーツのシルバーチェーンが、なんだかくすんでいる。まさかの酸化か? いや、1億年前の空気に触れたせいかもしれない。……いずれにせよ、うちに帰ったら専用のポリッシュでピカピカに磨き上げてやらねばなるまい。
黒い唐揚げを真っ赤な口元で咀嚼する彼の金色の瞳は、北海道の秋の空ではなく、はるか1億年前の、あの乾いた赤い空を見ていたのかもしれない。
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