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毒を啜るなら黒百合(ダークリリィ)と共に  作者: 3色あんこ


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2/15

第2話 黒百合の七席



 王宮の地下深く。

 歴代の王族でさえ、その存在を知る者は限られている。

 石造りの廊下を進んだ先に、重厚な扉がひとつあった。

 扉の中央には、黒い百合の紋章が刻まれている。

 衛兵はいなく、窓もない。

 壁に掛けられた燭台だけが、薄暗い廊下を照らしていた。


 その扉の向こうに集う者たちは、誰一人として表の名を口にしない。

 彼らを呼ぶ名は、七つ。


 王。王女。剣。少女。商人。騎士。司祭。


 それが、この国の闇を支配する秘密組織──黒百合(ダーク・リリィ)の七席であった。



◇


「お待たせいたしました、皆様」


 最初に扉を開いたのは、一人の壮年の男性だった。

 ピーコックブルーの髪に、シャルトルーズグリーンの瞳。

 仕立てのよい上着には異国の織物があしらわれ、指にはいくつもの宝石が光っている。


 ソクラド・エリトゥーザ。


 各地を渡り歩く商人にして、黒百合の情報網を担う『商人』。


「いやはや、王宮の地下はいつ訪れても陰気ですね。もう少し華やかに飾ってはいかがでしょう?例えば、私が取り扱っている東方の香木など──」

「必要ない」


 短く返された言葉に、ソクラドは肩をすくめた。


「おや。剣殿は相変わらず手厳しい」


 部屋の壁際には、褐色の肌を持つ男が立っていた。

 ビリジアンの髪に、深い海を思わせるシーグリーンの瞳。

 無駄のない体つきに、飾り気の少ない装い。

 腰には、よく手入れされた剣が下がっている。


 ローレン・トセラン。


 王と王女の直属護衛であり、黒百合の『剣』。

 彼はソクラドを一瞥しただけで、再び沈黙した。


「まあまあ。お2人とも、朝から元気ですね」


 柔和な声が続いた。

 ラピスラズリの髪に、淡いセレストブルーの瞳。

 目元を覆う繊細なレースが、彼の表情に不思議な神秘性を添えている。


 リンドウェル。


 教会に席を置く司祭であり、黒百合の『司祭』。

 彼は静かに微笑み、胸元で指を組んだ。


「本日の会合が、どうか実りあるものとなりますように」

「実り、ねえ。できれば穏やかな実りであってほしいものだが」


 豪快な声が響いた。

 赤い髪に、燃えるような金の瞳。

 女性にしては鍛え上げられた身体を黒と金の騎士装束に包んでいる。


 グロリア・ユリグル。


 黒百合の『騎士』である。

 彼女は椅子を引くと、遠慮なく腰を下ろした。


「もっとも、北方の侯爵が相手なら、穏やかに済むとは思えんがな」

「おやおや、騎士殿はもう相手の首を落とす算段ですか?」

「証拠があるならな。ないのに首を落とすほど、あたしは短気ではない」

「それは失礼。たいへん頼もしいお言葉です」

「褒めているのか、それは」

「もちろん」


 ソクラドの笑顔は崩れなかった。

 そのやり取りを、部屋の隅からじっと見つめる少女がいた。

 ライラック色の髪。桃色の瞳。華奢な身体に、飾り気のない黒い衣服。


 ライラ。


 黒百合の『少女』

 彼女は表情をほとんど変えず、グロリアとソクラドを交互に見ていた。


「……何を見ている?」


 グロリアが尋ねる。


「声が大きいと思いました」

「はっはっは!そりゃあ悪かったな!」


 グロリアは豪快に笑った。

 ライラはそれ以上何も言わず、再び黙り込んだ。

 その小さな身体に秘められた力を知る者は、この場にいる全員だ。

 彼女がかつて、奴隷商人たちを鎖ひとつで葬り去ったことも。

 それでも、彼女を恐れる者はいなかった。

 少なくとも、この部屋の中では。


 最後に扉が開いた。

 先に入ってきたのは、黒髪に赤い瞳を持つ女性だった。


 ヴェルシェリア・ポインセット。


 黒百合の「王女」である。

 その後ろに続くのは、銀髪とエメラルドの瞳を持つ青年。


 アシュレイン・ボルシギアナ。


 王国の第一王太子にして、黒百合の「王」。

 二人が姿を現すと、6人は一斉に立ち上がった。


「お待ちしておりました、王、王女」


 ソクラドが優雅に一礼する。


「楽にしてくれ」


 アシュレインはそう告げると、部屋の奥に設けられた席へ向かった。

 ヴェルシェリアはその隣に腰を下ろす。

 ローレンは2人の背後に立った。

 彼の立ち位置には、寸分の迷いもない。

 誰よりも近く、誰よりも静かに。

 王と王女の命を守るために。


「では、始めましょう」


 ヴェルシェリアが一枚の書類を卓上に置いた。

 その声は穏やかだった。


「今回の議題は、北方を治めるニグルム侯爵についてです」


 書類には、軍事費の不自然な減少、物資の不足、国境付近での不審な人員移動が記されていた。


「王国軍に割り当てられた資金の一部が、複数の商会を経由して消えています。帳簿上では軍備の購入に充てられたことになっていますが、実際には物資が届いていません」

「兵士たちの食糧も不足している。現地の商人から聞いた話では、冬を越すための備蓄まで売り払われたそうです」


 ソクラドが続けた。

 先ほどまでの軽い口調とは違う。


「そして、侯爵の使者が隣国の外交官と接触している。表向きは交易の交渉ですが、どうやら渡しているのは商品の一覧だけではないようでして」

「軍の配置か」


 アシュレインが尋ねた。


「その可能性が高いでしょう。国境警備の交代時刻、補給路、兵数の推移。いずれも、隣国が喉から手が出るほど欲しがる情報です」


 グロリアの金の瞳が細くなった。


「兵士たちを飢えさせたうえに、敵国へ情報を売るか。ずいぶんといい度胸だな」

「まだ断定はできません」


 ヴェルシェリアが静かに言った。


「疑いだけで裁くつもりはありません。侯爵本人が関与しているのか、配下が独断で動いているのか。そこを見極める必要があります」

「王女の仰る通りです」


 リンドウェルが穏やかに頷いた。


「罪を裁くのであれば、まず罪の所在を明らかにせねばなりません。祈りを捧げるにも、懺悔を受け入れるにも、真実は必要ですから」

「ふむ。では、証拠を集める間、あたしは軍部の動きを探ろう。侯爵とつながりのある将校がいるかもしれん」


 グロリアは腕を組んだ。


「ただし、証拠が揃ったらあたしにも知らせろ。現地で直接話を聞く必要があるなら、あたしが行く」

「心強い申し出です」


 ヴェルシェリアは微笑んだ。


「少女には、侯爵の私兵について調べてもらいます。ただし、まだ手を出してはいけません。こちらの存在を悟らせないように」

「……分かりました」


 ライラは短く答えた。

 その声には、喜びも不満もなかった。

 ただ命令を理解し、受け入れただけだった。

 アシュレインは一同を見渡した。


「剣。王宮内の警備を強化してくれ。今回の件が単なる横領で終わるとは、私も思っていない」

「承知しました」


 ローレンの返答は簡潔だった。

 そして、ヴェルシェリアが最後の一枚を取り出した。


「もうひとつ、皆様にお伝えしなければならないことがあります」


 彼女の赤い瞳が、卓上の書類に落ちる。


「侯爵の商会から押収した記録の中に、王族しか知り得ない情報が含まれていました」


 空気が変わった。

 ソクラドの笑みが消える。

 グロリアが椅子から身を起こし、リンドウェルは静かに指を組み直した。

 ライラの桃色の瞳が、初めてヴェルシェリアをまっすぐに捉えた。


「王族しか知らない情報、ですか」


 ソクラドが低く繰り返した。


「具体的には?」

「国境警備の再編計画。それも、正式発表前の草案です」


 ヴェルシェリアは一拍置いた。


「侯爵が独自に入手できる情報ではありません。王宮内部から流出したと考えるのが自然でしょう」

「内通者がいる、と?」


 グロリアの声から笑みが消えていた。


「現時点では、可能性のひとつです」


 ヴェルシェリアは断言しなかった。

 確証がない以上、疑いを事実として扱うわけにはいかない。

 だが、誰もが同じことを考えていた。

 もし王宮内部に裏切り者がいるのなら。

 その者は、王族の近くにいる。

 そして、黒百合が動き出したことさえ、どこかで見ているかもしれない。


「王」


 ヴェルシェリアが隣を見た。


「この件、私に調査をお任せいただけますか」


 アシュレインは彼女の赤い瞳を見つめた。

 その眼差しに、疑いも躊躇もない。


「もちろんだ。君が必要だと判断したことなら、私は君に任せる」


 あまりにも自然な言葉だった。

 まるで、何年も前からそうしてきたかのように。

 ヴェルシェリアは微笑んだ。


「ありがとうございます、我が王」


 2人のやり取りを、5人は黙って見守っていた。

 王は王女を信じている。

 王女は王の裁定を疑わない。

 それは単なる主従の信頼ではない。

 互いの内側に巣食う怪物を知りながら、それでも相手を選び続ける者同士の、歪で強固な結びつきだった。



◇


 会合が終わり、7人はそれぞれの任務へと散っていった。

 最後に残ったのは、アシュレインとヴェルシェリア、そしてローレンだけだった。


「王宮の内側にまで、敵が入り込んでいるかもしれないとはな」


 アシュレインが書類を閉じる。


「ええ。ですが、まだ敵と決まったわけではありません」

「君はいつも慎重だな」

「王が、私の持ち込んだ証拠を正しく裁いてくださるからです。私まで感情に流されては、黒百合の意味がなくなってしまいますもの」


 ヴェルシェリアは立ち上がり、彼の隣へ歩み寄った。


「それに、もし本当に王宮に裏切り者がいるのなら──」


 彼女の声が、ほんの少しだけ低くなる。


「見つけ出すのが楽しみですわ」


 アシュレインは笑った。

 王宮の舞踏会で人々に向ける、あの慈悲深く美しい微笑みとは違う。

 心の奥底に眠る怪物が、静かに目を覚ましたような笑みだった。


「そうだな。私も、君が何を見つけてくれるのか楽しみにしている」

「ご期待に添えるよう、尽力いたします」


 2人は見つめ合う。

 その背後で、ローレンは静かに頭を垂れた。

 王と王女がどのような道を選ぼうとも、彼は2人を守る。

 たとえ、その道の先が血に染まっていようとも。

 たとえ、守るべき2人こそが、誰よりも恐ろしい怪物であろうとも。

 彼の剣が迷うことはない。


 王宮の地下深く。

 黒百合の七席は、再び動き始めた。

 そして、まだ誰も知らない。

 王族の秘密を売り渡した者が、いったい何を望んでいるのかを。

 黒百合の花弁に、ひとしずくの毒が落ちる。

 それはやがて、王国全土を蝕む嵐の始まりとなるのだった。

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