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毒を啜るなら黒百合(ダークリリィ)と共に  作者: 3色あんこ


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第12話 王と王女の秘密

第12話 王と王女の秘密


 王宮には、誰も知らない秘密がある。

 王太子アシュレイン・ボルシギアナは、理想の王となるべく生まれた。

 銀の髪に、エメラルドの瞳。


 誰に対しても礼節を忘れず、国民を思いやり、王国の未来を真摯に案じる青年。

 その婚約者である公爵令嬢ヴェルシェリア・ポインセットもまた、誰もが羨む才女だった。

 黒髪に、紅い瞳。


 優雅な微笑みを絶やさず、王太子を支え、貴族たちの間を巧みに渡り歩く、美しき公爵令嬢。

 人々は2人を称賛する。

 あの方々こそ、王国の未来を担うにふさわしい、と。


 だが、彼らは知らない。

 王太子が、王国の秩序を乱す者を秘密裏に排除していることを。

 公爵令嬢が、そのための証拠を集め、標的を選び、粛清の道筋を整えていることを。


 そして何より──2人が、その行為を罪だと理解したうえで、互いを一切疑っていないことを。

 王太子と公爵令嬢。

 王と王女。

 光の中で微笑む2人の足元には、誰にも見えないほど深い闇が広がっていた。



◇


「敵の狙いが、ようやく見えてきましたわね」


 王宮地下。

 黒百合の会議室で、ヴェルシェリアはソクラドが持ち帰った資料を机の上に広げていた。


 筆頭書記官セルキス・キネンシスと、ニグルム侯爵の間を行き来する資金。

 帳簿に記録されていない荷物。

 そして、王太子の信用失墜と、王の身に関する手配を示唆する記録。

 いずれも、見過ごせない証拠だった。


「侯爵は、自らの権力を拡大するために動いている。けれど、筆頭書記官の目的はそれだけではありません」


 ヴェルシェリアは、一枚の書類を指先で押さえた。


「彼らは、わたくしたちを失脚させようとしているのです」

「失脚、ですか」


 リンドウェルが静かに尋ねた。


「ええ、王太子殿下が、証拠もなく貴族を粛清している。公爵令嬢がその裏で情報を集め、政敵を排除している。そうした証拠を集め、世間に公表するつもりなのでしょう」


 グロリアが眉をひそめた。


「けれど、殿下と公爵令嬢が不正を裁いてきたのは事実だろう?証拠だって、ちゃんとある」

「そのとおりですわ。ただし──」


 ヴェルシェリアは、静かに目を伏せた。


「わたくしたちが、どのような手段を用いてきたのか。それまで公にできるかと問われれば、答えは別になります」


 会議室に沈黙が落ちた。

 黒百合が行ってきたことは、単純な法の執行ではない。

 表向きの裁判だけでは届かない場所へ手を伸ばし、隠された証拠を集め、ときには王宮の正式な手続きを経ずに、国を害する者たちを排除してきた。

 そのすべてが明るみに出れば、彼らは正義の執行者ではなく、王権を私物化する者として糾弾されるかもしれない。

 たとえ粛清の対象が本当に罪を犯していたとしても。


「敵は、わたくしたちの行為を一つひとつ切り離し、都合のいい形で見せるつもりでしょう。そうなれば、国民は疑い始めます。王太子殿下は本当に公正なのか。公爵令嬢は本当に王国を思っているのか、と」


 ローレンが低く尋ねた。


「ならば、証拠を先に押さえますか」

「ええ。ですが、相手がどこまで情報を掴んでいるのか、まだ分かりません」


 ヴェルシェリアは資料をまとめた。


「こちらから不用意に動けば、敵は計画を早めるでしょう。まずは、彼らが何を公表しようとしているのかを突き止める必要があります」


 アシュレインは、黙って彼女の言葉を聞いていた。

 やがて、口を開く。


「敵が私たちを失脚させたいのなら、私たち自身を餌にすればいい」


 6人の視線が、彼へ集まった。


「……囮になるおつもりですか?」


 ソクラドが尋ねた。


「そうだ。私が秘密裏に粛清を行っている証拠を、わざと敵の手に渡す」

「危険です」


 ヴェルシェリアが、即座に答えた。


「証拠が公表されれば、殿下は王位継承の資格を問われることになります。王宮内の勢力も動くでしょう」

「だからこそだ。敵は、私が隠しているものを暴きたい。ならば、暴きたくなるものを見せてやればいい」


 アシュレインは、翠玉の瞳を細めた。


「彼らが欲しがる証拠を用意する。ただし、こちらが選んだものだけをな」


 ヴェルシェリアは、彼の意図を理解した。

 敵が手に入れる情報を、こちらで管理する。

 敵に本物の証拠を掴ませる一方で、その証拠がどこから流れ、誰の手を経由して、どこへ運ばれるのかを追跡する。

 つまり、王太子自身を囮にすることで、敵の情報網を逆に暴き出すのだ。


「……わたくしも囮になりますわ」


 ヴェルシェリアが言った。

 アシュレインの表情が、わずかに変わる。


「ヴェルシェリア」

「敵は、殿下だけを狙っているわけではありません。わたくしが裏で情報を集め、粛清の対象を選定していることも暴こうとしているのでしょう。ならば、わたくしもまた、敵が欲しがる情報を差し出すべきです」

「君まで危険にさらす必要はない」

「殿下だけを危険にさらす理由もありませんわ」


 2人の視線が交わった。

 穏やかな微笑み。

 静かな声。

 けれど、その言葉の奥には、決して譲らない意思があった。

 アシュレインは、しばらく彼女を見つめていた。

 やがて、短く息を吐く。


「……君は、本当に私の言うことを聞かないな」

「殿下こそ、わたくしの言うことを聞いてくださらないではありませんか」

「それは、君を危険にさらしたくないからだ」

「奇遇ですわね。わたくしも、殿下を危険にさらしたくありませんの」


 ヴェルシェリアは、微笑んだ。


「ですから、2人で囮になりましょう。どちらか一方が危険を引き受けるのではなく、2人で同じ場所に立つのです」


 アシュレインは、彼女の言葉を聞き、静かに笑った。


「……参ったな。君には敵わない」

「それは光栄ですわ、我が王」


 そのやり取りを、黒百合の5人は黙って見守っていた。

 王と王女は、互いを守ろうとしている。

 そして、互いが守ろうとすることを、決して拒まない。

 それが2人の関係だった。

 アシュレインは、ヴェルシェリアの手を取った。


「では、2人で計画を立てよう。君を囮にする以上、私もまた囮になる」

「ええ。お互いに、相手の命を勝手に差し出さないこと。よろしいですわね?」

「……それは、なかなか難しい条件だ」

「お守りいただけないのでしたら、わたくしも殿下のお言葉を守る必要はありませんわね」

「分かった。約束しよう」


 2人は、微笑み合った。

 その微笑みが、どれほど恐ろしい約束を交わしたものなのか。

 黒百合の7人は、よく理解していた。



◇


 その夕方。

 王宮の一室で、アシュレインとヴェルシェリアは2人きりになっていた。

 窓の外には、夕方の庭園が広がっている。

 夕日が白い花々を照らし、風に揺れる枝葉が、窓辺に淡い影を落としていた。


 アシュレインは、上着を脱いで椅子の背に掛けた。

 ヴェルシェリアは窓辺に立ち、庭を眺めている。


「……本当に、君は私を困らせるのが上手い」


 アシュレインが言った。


「まあ。わたくしは、殿下を困らせるつもりなどございませんわ」

「嘘だな」

「お分かりになります?」

「君の嘘なら、いくらでも見抜ける」


 彼は立ち上がり、彼女の背後へ歩み寄った。


「君は、自分が傷つくことを恐れていない」


 ヴェルシェリアは、振り返らなかった。


「恐れていないわけではありませんわ」

「では、なぜあんなことを言った?」

「殿下が囮になると仰ったからです」

「それなら、私を止めればよかった」

「止めても、殿下はお聞きにならなかったでしょう?」

「……否定できないな」


 アシュレインは、苦笑した。

 ヴェルシェリアも、小さく笑う。

 しばらくの間、2人は何も言わなかった。


 やがて、ヴェルシェリアが静かに口を開いた。


「殿下。もし、敵がわたくしたちの秘密をすべて暴いたら……どうなさいますか?」

「どう、とは?」

「わたくしたちが秘密裏に粛清を行ってきたこと。黒百合を使い、王国の秩序を守るために、表には出せない手段を用いてきたこと。それらがすべて明るみに出たら、殿下はどうなさいますか?」


 アシュレインは、彼女の隣へ並んだ。


「君は、どうしてほしい?」

「わたくしは、殿下のお考えを伺いたいのです」


 彼は、しばらく考えた。

 そして、迷いなく答えた。


「君を守る」


 ヴェルシェリアが、ゆっくりと顔を上げる。


「たとえ王位を失っても?」

「王位は、私が王国を守るために必要なものだ。だが、君を失ってまで守るべきものではない」

「たとえ、王国そのものを敵に回すことになっても?」

「君が王国を敵に回すというのなら、私は君の隣に立つ」


 アシュレインは、微笑んだ。


「もっとも、君が本当に王国を敵に回すような愚かな真似をするとは思っていないが」

「まあ。わたくしを信頼してくださっているのですね」

「当然だろう」


 彼は、彼女の頬にそっと触れた。


「私は君を愛している。君の知性も、君の冷徹さも、君が時折見せる残酷な微笑みも。すべてを知ったうえで、君を選んだ」


 ヴェルシェリアの紅い瞳が、わずかに揺れた。


「……わたくしも、殿下を愛しておりますわ」

「知っている」

「いいえ。きっと、殿下がお考えになるよりも、ずっと深く」


 彼女は、彼の手に自分の手を重ねた。


「わたくしは、殿下が王でなくなっても、おそばにおります。王太子という地位を失っても、王冠を奪われても、誰も殿下を信じなくなったとしても……わたくしだけは、殿下を信じ続けますわ」


 アシュレインは、静かに目を細めた。


「……それは、私にとって何よりも恐ろしい言葉だ」

「恐ろしい?」

「ああ。君がそう言うのなら、私は本当に、何も恐れなくなってしまう」


 彼は、彼女の手を握った。


「君さえいれば、私はどこまでも進める。どれほど汚れた道でも、どれほど血に染まった未来でも」


 ヴェルシェリアは、微笑んだ。


「では、わたくしがご一緒いたしますわ」

「君なら、そう言うと思った」


 2人は、額を寄せ合った。

 そこには、誰にも見せない表情があった。

 王宮で見せる完璧な微笑みではない。

 互いを慈しむだけの、穏やかな愛情でもない。

 もっと深く、もっと歪んだもの。

 相手がどれほど恐ろしい怪物であっても、その怪物の隣に立つことを選ぶ愛だった。


「……ヴェルシェリア」

「はい、殿下」

「もし、君が私を裏切ったら」

「ええ」

「私は、君を殺すだろう」


 彼女は、少しも怯えなかった。

 むしろ、嬉しそうに微笑んだ。


「存じておりますわ。わたくしも、殿下がわたくしを裏切れば、同じことをいたしますもの」

「それでも、君を愛している」

「わたくしもですわ」


 ヴェルシェリアは、彼の胸元に額を預けた。


「けれど、殿下。わたくしは殿下を裏切りません」

「私もだ」

「ええ。存じております」


 その言葉には、一片の疑いもなかった。

 彼女は、アシュレインが自分を愛していることを疑っていない。

 彼もまた、ヴェルシェリアの愛を疑っていなかった。

 2人にとって、互いの愛情は証明するものではない。


 すでに知っている事実だった。

 だからこそ、2人は恐ろしい。

 相手が怪物であることを知っている。

 自分自身もまた、怪物であることを知っている。

 それでも、愛し隣に立つ。

 そして、互いを傷つけることができるのは、世界でただ一人、相手だけだと信じている。


「……ねえ、アシュレイン」


 ヴェルシェリアは、彼の名を呼んだ。

 王宮では決して口にしない、2人きりのときだけの呼び方だった。


「もし、わたくしたちが失脚したら、どういたしましょう?」

「そうだな。どこか遠い国で、静かに暮らすのも悪くない」

「あなたが静かに暮らせるとは思えませんわ」

「君だって、退屈に耐えられないだろう」

「ふふ。確かに」


 2人は笑った。

 けれど、その笑いの奥には、冷たい覚悟があった。

 失脚してもいい。

 王冠を失ってもいい。

 国を追われてもいい。

 ただし、相手を奪われることだけは許さない。


「……けれど」


 アシュレインは、彼女の髪を指先で梳いた。


「私たちは、まだ何も失っていない」

「ええ」

「敵は、私たちの秘密を暴こうとしている。ならば、こちらも敵の秘密を暴くまでだ」

「そして、殿下を王位から引きずり下ろそうとする者には、相応の裁きを」

「そうだ」


 アシュレインは、彼女の額に口づけた。


「君と共に、最後まで」


 ヴェルシェリアは目を閉じた。


「ええ。我が王」


◇


 翌朝。

 王宮の廊下を歩くアシュレインとヴェルシェリアは、いつもと変わらぬ姿だった。

 王太子は穏やかに微笑み、公爵令嬢は優雅にその腕に手を添えている。

 すれ違う貴族たちは、2人へ深々と頭を下げた。


 誰も、昨日の会話を知らない。

 誰も、2人がどのような計画を立てているのか知らない。

 そして誰も、彼らが互いのためならば、地位すら捨てる覚悟を持っていることを知らない。


「殿下。本日の議会では、先日の粛清について説明を求められるでしょう」


 ヴェルシェリアが、穏やかに告げた。


「分かっている。私から説明しよう」

「わたくしも同席いたしますわ」

「危険だぞ」

「昨日、約束なさいましたでしょう?」


 アシュレインは、苦笑した。


「……そうだったな」


 2人は顔を見合わせ、微笑んだ。

 その微笑みは、誰もが知る理想の王太子と王女のものだった。

 だが、その奥には、誰にも触れさせない秘密がある。


 王太子と公爵令嬢の秘密。

 互いを守るためならば、自らを囮にすることも厭わない。

 互いを失うくらいならば、王冠さえ捨てることもできる。

 そして、互いの中に巣食う怪物を、何よりも愛している。


 敵は、その秘密を暴こうとしている。

 彼らの愛を弱点と見なし、互いを守ろうとする心を利用し、2人を失脚させようとしている。

 だが、それは大きな間違いだった。

 アシュレインとヴェルシェリアの愛は、弱点であると同時に、何よりも強固な結びつきでもある。


 2人は、決して互いを見捨てない。

 どちらか一方だけが救われる道を選ばない。

 たとえ世界が2人を怪物と呼び、断罪しようとも。

 2人は、最後まで共に立つ。

 その覚悟を、まだ誰も知らない。

 王宮の白い廊下に、2人の足音が静かに響く。

 その美しい微笑みの下で、怪物たちは次の罠を仕掛け始めていた。

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