第023話 水都の悪友
船から見えていたレヴァンと、実際にその中へ降りたレヴァンは、同じ街とは思えないほど印象が違った。
港へ入るまでは、川沿いに並ぶ倉庫と無数の帆柱、その奥へ重なる石造りの建物をまとめて眺めることができた。水の上に大きな街が広がっているという全体像だけなら、船の甲板から見ていた方が分かりやすかったと思う。
ところが渡し板を降り、数日ぶりに揺れない石畳へ足を乗せると、その全体があっさり見えなくなった。
目の前を荷車が横切り、その向こうでは荷運び人が木箱を担いで倉庫へ駆け込んでいる。
船から降ろされた樽は数人掛かりで転がされ、港に面した建物の軒下では、今度は別の荷が小舟へ積み替えられていた。
水面から見上げていた時には街の一部にしか見えなかった倉庫も、地面へ降りて隣に立てば三階ほどの高さがあり、開け放たれた扉の中には天井近くまで荷が積み上がっている。
鼻へ入ってくる匂いも多かった。
濡れた石と川の水、魚、木材へ塗った油、どこかで焚いている炭。それに荷から漏れているらしい香辛料の強い匂いまで混じって、ミュリエの花や土の匂いとはまるで違う。
「これは……思ったより忙しいな」
荷物を受け取る人間の邪魔にならないよう、アルと二人で桟橋の端へ寄る。
「今日はまだ普通だと思いますよ。大きな船が何隻も重なる日は、港から出るだけでも時間が掛かります」
「これで普通なの?」
「レヴァンですから」
そう言われても、その基準を知らない俺には比べようがない。
肩へ戦鎚を掛け直し、人の流れが少し途切れたところで港側の通りへ出た。
そこで初めて、この街では川が街の外側にあるわけではないことが分かった。
大通りを一本進んだと思ったら、建物の間へ突然水路が現れる。幅は船で下ってきたアーヴェル河とは比べものにならないが、小舟なら何隻もすれ違えそうで、両岸には荷物を上げ下ろしするための低い足場が続いていた。
橋を渡って少し歩けばまた別の運河があり、今度は水面がさっきより明らかに高い。
「水の高さ、違わない?」
「違いますね。レヴァンの運河は全部が同じ高さではありませんから」
アルが示した先では、水路を塞ぐように大きな門が立っていた。
船から遠目に見えた水門の一つらしい。石造りの壁の間へ分厚い扉が収まり、その手前では二隻の荷船が順番を待っている。しばらく眺めていると門が閉じられ、水路の一区画だけ水面がゆっくり上下し始めた。
向こう側と高さを揃えてから船を通すのだろう。
仕組み自体は分かる。
それでも、荷を積んだ船が日常的にそれを使い、門の開閉に合わせて陸側の人間まで動いているのを見ると、単なる設備というより街の一部だった。
さらに面白かったのは橋だ。
運河を跨ぐ橋へ向かっていた人間が、鐘の音を聞いた途端、誰に言われるでもなく手前で足を止める。何事かと思って見ていると、橋の中央部分がゆっくり持ち上がり、背の高い帆柱を持つ船がその下を通り抜けていった。
船が抜ければ橋は元へ戻り、待っていた人間がまた歩き始める。
誰も驚かない。
俺だけが立ち止まって見ていた。
「マスター」
「分かってる。邪魔だろ」
「いえ。楽しそうだなと思いまして」
言われて横を見ると、アルが少し笑っている。
「初めて見たからな」
「昔も来ていますよ」
「それを言われるとややこしいんだよ」
俺の記憶にも水都レヴァンという名前はある。
どういう街だったかも、ぼんやりとは覚えていた。水路が多くて移動が面倒だったとか、船を使った方が早い場所があったとか、その程度なら出てくる。
だが、目の前の橋が開くまで荷車が列を作って待つことも、水門の近くでは水が動くたび石壁へ低い音が響くことも知らなかった。
ゲームの頃に見えていなかっただけなのか、十年の間に変わったのか、その区別は今の俺には付かない。
ただ、そんなことをいちいち考えなくても、この街を歩くのは普通に面白かった。
「で、バルはどっちだっけ?」
橋を渡り終えたところで聞くと、先ほどまで迷いなく歩いていたアルがわずかに速度を落とした。
「最後に聞いた居場所なら、こちらなのですが」
「最後っていつ?」
「少し前です」
「その少しが俺とアルで全然違いそうなんだけど」
「少なくとも十年ではありませんよ」
「なら信用する」
とはいえ、あのバルが少し前に聞いた場所へ今日も大人しくいる保証まではない。
少し進んだところに、船具や工具を扱う店が集まった通りがあった。軒先には縄の束や滑車、大小の鉤が吊られ、店の奥から金属を叩く音が聞こえてくる。
戦鎚を調整するなら、この辺りでも話くらいは聞けそうだと思ったが、今日は先にバルを探すことにした。
アルが一軒の道具屋へ入り、店先で帳面を付けていた老人に声を掛ける。
「すみません。この辺りにバルトグレインという方がいると聞いているのですが」
老人は顔を上げるより先に、手にしていた鉛筆を止めた。
「金借りに来たのか?」
「違います」
「なら貸した方か?」
「それも違います」
返答が妙に早い。
俺が横から口を挟む。
「どういう認識されてんだ、あいつ」
そこで初めて老人がこちらを見た。
俺の顔より、肩に背負った戦鎚へ先に目が行ったらしい。
「知り合いか?」
「昔からの。多分まだ」
「だったら自分で聞け。あの金髪なら、昼過ぎはだいたい向こうの運河沿いだ」
老人が鉛筆で示したのは、さっき俺たちが渡ってきた方向とは別の水路だった。
「装備屋が何軒か並んでる。煙草臭いの探せば見つかる」
「目印がそれでいいのか?」
「十分だ」
かなり強い断言だった。
礼を言って店を出ると、アルが隣で肩を揺らしている。
「笑ってる?」
「いえ」
「笑ってるだろ」
「昔から、あまり変わっていないようでしたので」
「まだ本人見てねえぞ」
「聞かれ方だけで十分かと」
否定しづらかった。
バルが知らない街で真面目な神官として尊敬を集めている可能性は、今のでかなり下がった気がする。
教えられた運河沿いまで行くには、さらに二つ橋を渡った。
港の近くほど巨大な倉庫は減り、代わりに武具や工具を扱う店が増えていく。新品だけを綺麗に並べた店より、傷の入った盾や中古らしい防具まで軒先へ出しているところが多い。
運河には荷を満載した小舟が頻繁に入り、店の裏側へ直接荷物を渡している場所もあった。
同じ水都でも、少し歩くだけで扱っているものが変わる。
気になって何度か足を止めかけたが、今日はアルが先を歩いているので、その背中を見失わない程度に眺めるだけにした。
「ここだったと思います」
彼女が止まったのは、運河へ面した細長い建物の前だった。
一階は店というより事務所に近く、開け放たれた入口の奥に大きな机と棚が見える。壁際には剣や盾が何点か置かれていたが、武器屋のように種類ごと綺麗に並べられているわけではない。
箱へまとめて突っ込まれた金具や、修理待ちなのか売り物なのか分からない防具まであり、何を商売にしている場所なのか外から見ただけでは判断しづらかった。
ただし、入口脇には金額の書かれた紙が何枚も貼られている。
「ここ?」
「住所は合っています」
「神官の職場には見えないな」
「そこを基準にすると、おそらくどこへ行っても見つからないと思います」
もっともだった。
中を覗くと、客らしい男が一人、机の向こうにいる店員と何か話している。
金髪ではない。
俺がアルを見ると、彼女も小さく首を横へ振った。
「外した?」
「まだ分かりません。聞いてみましょう」
そう言って入口へ向かおうとした時、運河側から低い男の声が飛んできた。
「おい、それ勝手に持ってくな。売り物じゃねえ、担保だ」
続いて、若い男の「同じ盾に見えるだろ」という声が返る。
「見えるかどうかで所有権決まるなら帳簿いらねえだろうが。返せ。欲しけりゃ金払え」
「知り合いだろ」
「知り合い割増しだ」
「普通そこは安くなるんじゃねえのかよ!」
「俺の知り合いになったお前の判断ミスだ」
聞き覚えのある声、ではない。
昔の俺たちがやり取りしていたのは、ほとんどがゲーム内のチャットだった。バルが実際にどんな声で喋るのかなんて、俺は知らない。
それでも、悪態のつき方と金の話を混ぜる癖、相手へ容赦なく返す言葉の選び方には覚えがあった。
「……いるな」
「いますね」
建物の脇を回り、運河へ面した裏手へ出る。
荷下ろし用の低い足場のところで、二人の男が盾を挟んで揉めていた。
一人はまだ若い冒険者らしい。
もう一人は、その男から盾を取り上げると、自分の脇へ無造作に置いた。
荒れた金髪に色の濃い眼鏡を掛け、口には火の付いた煙草を咥えている。昔の記憶にある姿より身体には厚みが付き、若さだけで突っ張っていた頃とは違う年齢が顔にも出ていたが、神官だと名乗られて素直に信じられそうにない雰囲気だけは全く変わっていなかった。 若い男がまだ何か文句を言っている。
「だったら来週までに払え。払えねえなら盾はこっちで売る。話は最初にしただろ」
「一日くらい待てよ!」
「先週も同じこと言ってたから一週間待ってやったんだよ。俺の慈悲を無限資源だと思うな」
「神官だろお前!」
「神官だから待ったんだ。金貸しだけなら昨日売ってる」
どうやら本人で間違いない。
俺が笑ったせいで、向こうもようやくこちらに気付いた。
煙草を咥えたまま顔を向け、まずアルを見たあと、その隣にいる俺へ視線を移す。
サングラス越しなので目までは見えない。
それでも、誰なのか確認する時間はほとんど要らなかったらしい。
「ヘイヘイ」
十年ぶりの第一声が、それだった。
「随分長ぇこと姿くらましてた割に、しれっと来るじゃねえか」
俺も何か気の利いた返事を考える必要はなかった。
「会って一言目がそれかよ、ばるお」
「人の仕事場来て一言目がばるおの奴に礼儀説かれたくねえよ」
返ってくるまでが早い。
アルが隣で小さく息を吐いた。
「お久しぶりです、バルさん」
「おう、アル。お前も相変わらずだな」
「バルさんもお元気そうで」
「見りゃ分かるだろ」
煙草を指で摘まみ、吐いた煙を運河側へ逃がす。
若い冒険者は俺たちとバルを見比べ、話が長くなりそうだと判断したのか、盾を諦めて建物の方へ戻っていった。
バルはそれを見送ってから、ようやく俺を頭から足元まで眺め直した。
「つーか、お前」
「何だよ」
「十年消えてた奴が、なんで十年前とほとんど同じツラしてんだ。俺より若くなってんじゃねえか。ムカつくな」
「知らねえよ。俺だって起きたらこれだったんだよ」
「便利だな、それ。俺も次から年取ったら起き直すわ」
「それで若返るなら誰も苦労してねえだろ」
「なんだよ、役に立たねえな」
バルは煙草を咥え直し、値踏みでもするようにもう一度俺の顔を見た。十年ぶん老けた自分と、ほとんど変わっていない俺を比べているのだろうが、その顔に深刻そうなものは一欠片もない。
その雑さが、妙にありがたい。
十年ぶりに会ったはずなのに、会話の速度だけは覚えている。昔の声なんて知らなくても、こいつとどのくらい雑に言葉を投げ合っていたかは、ちゃんと記憶に残っていた。
バルは今度は俺の背中へ目をやった。
「そっちの馬鹿みてえにデカいのも変わってねえな」
「お前にだけは言われたくねえ」
「俺はまともな装備しか持ってねえよ」
「昔から装備より本人がまともじゃなかっただろ」
「十年ぶりに会って悪口しか出ねえのか?」
「先に言ったのお前だろ」
言い終わるより先に、バルが鼻で笑った。
こっちも気付けば笑っている。
アルやゆうさんと再会した時には、言葉の一つ一つに俺の知らない十年が付いて回った。
目の前の男にも同じ十年があるはずなのに、今のところ出てくるのは昔と変わらない悪口ばかりだった。
「まあ入れよ。突っ立ってると邪魔だ」
「客に対する態度か?」
「客なら金落とせ。お前ら今んとこ邪魔しに来ただけだろ」
「今来たばっかだろ」
「だから一銭にもなってねえっつってんだよ」
言うだけ言って、バルはもうこちらの返事を待たずに入口へ向かっている。
その背中を見送りながら隣を見ると、アルは呆れたような、どこか懐かしそうな顔をしていた。
「安心しました」
唐突に言われ、俺とバルが同時に彼女を見た。
「何が?」
「お二人とも、あまり変わっていないようですので」
バルは一度だけ俺を見て、それから肩をすくめた。
「こいつと一緒にすんな。俺はこの十年で立派な社会人になった」
俺は入口脇に貼られた金額表と、さっき盾を取り上げられていた男の背中を見た。
「どこが?」
「金稼いで税金払ってんだろ。完璧じゃねえか」
「神官要素ゼロになってんぞ」
「失礼な奴だな。今日も一人救ってやったばっかだ」
「盾没収してたじゃん」
「返済不能になる前に生活立て直させてんだよ。救済だろ」
「言い方で全部どうにかしようとすんな」
「お前にだけは言われたくねえな」
その言葉にアルまで笑い、俺もつられて口元が緩んだ。
アルやゆうさんと顔を合わせた時も、俺の知らない十年がそこにあった。
それがなくなったわけではない。
バルにも俺の知らない生活があり、さっきまで話していた若い男のことも、この建物で何を売り、誰に金を貸しているのかも、俺は何一つ知らない。
ただ、知らないことを全部重たい顔で受け取らなければならないわけでもなかった。
十年ぶりだろうが何だろうが、会った瞬間に「ヘイヘイ」と言われて、俺も「ばるお」と返す。
そういう相手もいた。
「で?」
先に建物へ入ったバルが、入口からこちらを振り返る。
「わざわざレヴァンまで何しに来た。観光なら金取って案内してやるぞ」
「金取るのかよ」
「当たり前だろ。商売舐めんな」
「お前に聞きたいことが幾つかあるんだよ」
「相談料な」
「まだ内容も聞いてねえだろ!」
アルが今度こそ声を立てて笑った。
どうやらレヴァンへ来て最初に見つけた昔の仲間は、十年経っても面倒臭いままだった。




