第4話
地響きが、国境の平原を揺らしていた。
巻き上がる土埃の中、ランドール王国軍の先陣を切る重装騎兵たちは、下劣な笑い声を上げながら馬を進めている。
「たかが女しか取り柄のない弱小国が! 勇者様の末裔たるオーデル殿下の前に、三日でひれ伏させてやる!」
「あの気味の悪い女を押し付けてきた慰謝料として、この国の富も女もすべて奪い尽くしてやれ!」
彼らの視線の先、防衛線に立つエスカマインの兵はごくわずか。
あまりの脆さに騎兵たちが完全なる勝利を確信した、その時だった。
「──我が愛娘の心を踏み躙った薄汚い足で、この神聖な地に踏み入るな」
地を這うような、重く低い声。
たった一人の男が、大軍の前に立ち塞がった。
エスカマイン王配、ガフール。
普段は妻に頭が上がらず、娘たち──特に人見知りで不器用な長女マイヤには「パパの可愛い天使ちゃん!」とデレデレに頬を緩ませている、気の良い男。
だが今、彼の瞳に浮かんでいるのは、正真正銘の『殺意』だった。
ズンッ!
ガフールが背に負っていた身の丈ほどもある大剣を、地面に突き立てる。無数の刃こぼれと古傷が刻まれたその無骨な鉄塊は、かつて他国から『エスカマインの鬼神』と恐れられた筆頭騎士の相棒。
ガフールの脳裏に浮かぶのは、震えながら帰ってきた娘の、涙でぐしゃぐしゃになった顔。
守ってやりたかった。誰よりも優しく、不器用なあの娘が、心から安心して笑える場所を作ってやりたかった。それなのに、あのふざけた小僧は、娘の柔らかい心を土足で踏みにじった。
「娘の流した涙、その身と魂をもって贖え」
ドゴォォォォォンッ!!!
ガフールが片手で大剣を薙ぎ払った瞬間、戦場に暴風が吹き荒れた。
魔法ではない。純粋な『暴力』と『筋力』の極致。ただの一振りで生じた理不尽な衝撃波が、突撃してこようとしたランドールの重装騎兵数十人を、馬ごとまとめて空の彼方へ吹き飛ばしたのだ。
「な、なんだあのバケモノは……っ!?」
「陣形を立て直せ! 魔法兵、一斉掃射だ!」
パニックに陥った敵の後方から、無数の炎や氷の攻撃魔法が、雨あられとガフールたちへ降り注ぐ。
しかし、その魔法が彼らの身体に届くことはなかった。
「──させません。ここは私の庭、私の愛する子供たちの生きる場所です」
凛とした、鈴を転がすような、それでいて絶対的な威厳を放つ声が戦場に響き渡った。
天から、黄金の光が降り注ぐ。
それは極上の春の陽だまりのように暖かく、触れた者すべての痛みを拭い去る、規格外の癒やしと防御の魔力。
後方の砦の頂から戦場を見下ろす母、アマル女王。かつて世界を救った『聖女』から代々受け継がれてきた慈愛の力が、エスカマインの陣営全体をすっぽりと包み込んだのだ。
ランドール軍が放った攻撃魔法は、黄金の結界に触れた瞬間に陽炎のように溶けて消え去る。
逆に、エスカマインの騎士たちの疲労は一瞬で吹き飛び、古傷すらも完全に癒えていく。身体の底から無限の力が湧き上がるような感覚に、騎士たちの士気は最高潮に達した。
「女王陛下万歳!」
「我らが姫君の無念を晴らせ! 家族の絆を汚す者どもを叩き潰せ!」
怒号と共に、エスカマインの兵たちが一斉に剣を掲げる。
「フッ、私の妻は相変わらず規格外だな。……さあ、蹂躙の時間だ!」
ガフールが獣のような咆哮を上げ、再び敵陣へと単騎で飛び込んでいく。
その大剣が振るわれるたびに敵の陣形は紙くずのように引き裂かれ、アマルが展開する黄金の光が、自軍の騎士たちを絶対の安全圏から鼓舞し続ける。
最強の盾(母)と、最凶の矛(父)。
愛する娘を不当に貶められた両親の怒りは、ランドール軍の先陣を、文字通り『物理的』に粉砕し尽くそうとしていた。
オーデル王子の誤算は、すでに致命的な形で始まっていたのだ。










