第3話
お城のバルコニー。
夜風に吹かれながら、サーニャは己の内で暴れ狂う魔力を持て余していた。
(足りない。全然足りないわ……)
ただ吹き飛ばすだけでは生ぬるい。
愛しいマイヤお姉さまの心を無残に踏みにじったオーデル王子に、二度と立ち上がれないほどの恐怖と絶望を味わわせなければならない。そのためには、圧倒的で、逃げ場のない、完璧な一撃が必要だ。
バチバチと、サーニャの周囲で金色の聖女の魔力が火花のように弾ける。
怒りのあまり魔力制御が乱れ始めている、まさにその時だった。
「──そんな物騒な魔力を撒き散らして、どうしたんだい? 君の可愛い顔が台無しだよ」
ふわりと、鼓膜を甘く撫でるような声が響いた。
空間が陽炎のように歪み、そこから一人の青年が歩み出てくる。
月光を溶かしたようなプラチナブロンドの髪に、すべてを見透かすような深い知性を宿した瞳。ハイドロアース魔導都市国家の最高権力者にして、六賢者筆頭。若き天才魔導師、ユーリ・エルドランド。
「ユーリ!? どうしてここに!」
「君の国が理不尽な戦争を仕掛けられたと聞いてね。……僕の愛しい人が傷つくかもしれないのに、黙って見過ごせるわけがないだろう?」
ユーリは甘い微笑みを浮かべ、長い足で優雅に距離を詰める。
その熱を帯びた瞳は真っ直ぐにサーニャを射抜いていたが、当のサーニャは、パァッと顔を輝かせて彼の手をガシッと握りしめた。
「さすがユーリ! 私の親友ね! お姉さまの復讐を手伝いに来てくれたのね!」
「……親友、ね。まあ、今はそういうことにしておこうか」
甘いムードを跡形もなく粉砕され、ユーリは苦笑しながら小さく肩をすくめる。
しかし、サーニャの身体から溢れ出す尋常ではない魔力のうねりを感じ取ると、彼の瞳にスッと天才魔導師としての冷徹な光が走った。
「サーニャ。今の君は、少し感情が高ぶりすぎている。ルーベル殿の罠に合わせて正確に敵を殲滅したいんだろう? その状態で魔法を放てば、国境線ごと君の国まで吹き飛びかねないよ」
「えっ、嘘。私、そこまで……」
「君はお姉様のことになると、本当に周りが見えなくなるからね。……じっとして」
ユーリは背後からサーニャを包み込むように立ち、彼女の華奢な両手に自分の大きな手を重ねた。
トクン、と。
背中越しにユーリの力強い鼓動が伝わってくる。耳元を掠める彼の吐息は、どこまでも甘く、熱い。
「君の規格外の魔力を、僕が精密にコントロールする。……僕の魔力に身を委ねて、サーニャ」
ユーリの長い指先が、サーニャの手を包み込んだまま虚空に複雑な軌跡を描く。
途端に、足元から青白い光が幾重もの魔法陣となって展開された。『魔力増幅陣』
天才ユーリにしか構築できない、術者の魔力を極限まで高め、かつミリ単位で制御するための超高度な術式だ。
荒れ狂っていたサーニャの金色の魔力が、ユーリの青い魔力と溶け合い、滑らかな濁流となって全身を駆け巡る。
今まで感じたことのないほどの万能感。これなら、どんな途方もない魔法でも、思いのままに放てる。
「すごい……! さすがユーリ! これならオーデル王子を、髪の毛一本残さず綺麗に消し炭にできるわ!」
「……それは良かった。命がけで海を渡ってきたんだ、少しは僕へのご褒美を期待しても……」
ユーリが甘い声で囁き、そっとサーニャの頬に顔を寄せようとした、その瞬間。
「ありがとう、ユーリ! あなたの協力、お姉さまも絶対に喜ぶわ! じゃあ私、ちょっと前線で待機してくる!」
「えっ、ちょ……サーニャ!?」
サーニャはユーリの腕をするりと抜け出し、満面の笑みでバルコニーの手すりを蹴って、夜の空へと飛んでいってしまった。
後に残されたのは、完璧に構築された魔法陣の余韻と、両手を宙に浮かせたままポツンと取り残されたユーリだけ。
「…………ははっ。見事なまでのすれ違いだ」
虚空を掴んだ手を下ろし、ユーリは呆れたように夜空を見上げる。
しかし、その口元にはどうしようもなく愛おしそうな笑みがこぼれていた。
「仕方ないな。君がその気なら、地の果てまで付き合ってあげるよ、僕の可愛いお姫様」
天才魔導師は、世界で一番手強い片想いの相手を追いかけるため、再び空間転移の魔法を紡ぎ出した。










