1章9話「なまらめんこいって言えや!」
その後、僕はうみちゃんをひたすら待っていた。
今日で一週間になるけど、うみちゃんはまだ来ない。お店の手伝いが忙しいのかな。しばらくお手伝いしてなかった分、きっといっぱい頑張っているんだろう。
ところで、彼氏とはどうなったのかな。僕と会えるってことは、もう別れたとか? それとも、許可が出た? まだ何も聞いていないから、下手に期待したくない。とにかく、またうみちゃんと話せるのなら今はそれでいい。
この寂しい場所に、華やかな音が再び響くのなら何だって良かった。
「……今日もまだ、来ないかな……」
僕の頭上は晴れているけど、遠くの方に雲が見える。ちょうど、目の前をゆったりと横切る船の真上あたりだろうか。
右側では太陽が傾きかけていて、力強い白光から暖かなオレンジ色に変わりつつあった。コンタクトだと、メガネの時よりも眩しく感じる。
よく考えたら夕日をちゃんと見たことがなかった気がするな。うみちゃんといると、僕は左側ばかりを見ていたから。
「ケンちゃん!」
呼ばれ慣れた名前が背後から聞こえた。僕のことをこうやって呼ぶのはうみちゃんしかいない。けど、僕の心臓は静かなまま。
「そんなんで僕が騙されるとでも思ったのか、河口」
振り向くと、真っ直ぐな金髪が潮風になびいていた。
「慰めようとしただけでしょや」
「お前の慰めとか要らないから」
「乙女の優しさを無下にすんな」
言いながら、河口が僕の隣に腰かける。誰が乙女だよ、ということは黙っておいた。そもそもうみちゃんと会えたのは、こいつが間接的にメガネを壊したおかげかもしれないし。
バレたら殴られそうなことを考えている僕をよそに、河口がドヤ顔で報告してくる。
「あのさ、この前の車。誰かわかったよ」
「……さすが!」
やはり河口は顔が広いだけあるな。感心しつつ、僕は興味津々に河口を覗き込んで続きを待った。
「あの車、宇美の元カレの兄ちゃんのらしいよ」
「ん? ああ……兄ちゃん。…………は?」
「あいつ、兄ちゃんに恋愛相談しまくってたらしくて」
「うん」
「気になった兄ちゃんがここに寄ったら」
「はい」
「雨の中あんたが佇んでたってわけ」
「なるほど」
「やべー奴だと思ったって言ってたよ。わやウケる」
とても愉快そうな河口に、僕は頭を抱える。聞きたいのはそこじゃなくて、もっと重要な部分だ。
「っていうか、元カレってどういうこと?」
河口は未確認生物でも見たかのような表情を向ける。いや、その顔をしたいのは僕の方だぞ。
「あんた……宇美から何も聞いてないの?」
「また今度来るってことは聞いたけど」
「……そこは本人に聞きな」
河口の言う通りだ。嬉しい気持ちは一旦あたまの隅に追いやって、僕はしっかりと頷く。
「ありがとう、なっちゃん」
「……な、何、なんで急にあだ名で呼ぶのさ!」
「さっきの仕返し」
大げさに焦りだした河口は、夕日を浴びてほんのり赤く染まっていた。気づけばもうこんなに陽が落ちている。もう少しで完全に沈むところだ。
「本当にありがとう、河口」
「……なんも。うちと吉野の仲でしょや」
言いながら、河口がフッと僕から顔を逸らす。太平洋と向き合っているみたいだ。
僕も同じように視線を前へ向ける。上の方には、美しい空が広がっていた。
水と空の境目は白い線が引かれ、その上はオレンジ。そしてそこから、グラデーションのように少しずつ水色になる。遠くにあった雲が千切れては、上へ上へと浮かんでいった。
「吉野は、宇美に告白できそう?」
まんまるの夕日が地平線に隠れて、半分に欠けている。あともう少しで消えてしまいそうだ。
「この前したよ。勘違いされたみたいだけど」
「……そう、だったんだ」
あと3分の1ほどで夕日が消えてしまう。そこから完全に沈み切るのは、時計を無理やり進めたように一瞬のことだった。
「マジで叫ぶとは思わなかったわ」
「河口の姿を思い出したら、体が勝手に」
「たいした良いっしょ。ああやって叫ぶの」
「うん。伝わらなくても、良いものだね」
「……そだね。伝わらなくても」
「あの時の河口、なまらカッコよかったよ」
あれほど光っていた夕日が地平線に飲まれる。遠くに見えた船ももう、視界から消えるところだ。
「……河口? どうした?」
「……吉野のバーカ!」
最後の汽笛が、震えながら辺りに響いた。
「なまらめんこいって言えや!」
紫のベールが、オレンジと水色の空を包み込む。
すべての色が混ざりあって、真っ黒になって。こうして夜になっていくのだ。




