1章6話「あんたの方がずっと良いよ」
次の日の日曜日。どうしても河口の話が気になって、僕はまた防波堤へ向かった。
もちろん、メガネは割れていて使えないからコンタクトだ。中学の時に一度だけ付けたことがあるのだけど、うみちゃんの反応があまり良くなかったからやめたのだった。
「ちゃんとコンタクトじゃん」
コンクリートの上に座って僕を待ち構えていた河口が得意げに言う。そもそもメガネを壊すきっかけを作ったのはお前なんだが。
「当たり前だろ。あのメガネはもう使えないんだから」
「そういえばさ、なんで海に落としたの?」
こいつは自分が元凶だということに気付いていないらしい。おめでたい奴だ。
「ちょっと手が滑っただけ」
友人に罪悪感をもたせるのも気が引けるので、僕は黙っておくことにした。
そうすることで、神様が僕を良い奴だと思ってうみちゃんと会わせてくれるかもしれない。……なんて邪な考えは捨てないと。
「吉野はクールぶってるけど、案外ポンコツだよね」
「うるさいな。それで、昨日の話の続きは?」
「あー、あんたが宇美に振られたって話?」
「振られてない!」
僕は思わず声を荒げる。河口の体が、少し驚いた感じで小さく揺れた。
「なんで僕がうみちゃんに片想いしてるって思うの?」
「みんな知ってることでしょや」
「そんなはずは……」
「あんた学校で宇美のこと見過ぎだったし」
あまりの衝撃に、停止する思考。目だけが正面の景色をしっかりと捉えている。今日も美しく穏やかな波だ。背中から吹くそよ風が心地いい。
「もしかしてバレてないつもりだった?」
「……本人は、知らないよね」
「周りが何を言っても、信じようとしなかったよ」
僕のため息が、磯の香りと共に飛んでいった。バレてないのは良かったけど、信じてもらえないのもどうなんだろう。複雑な気持ちだ。
「いつ付き合うか賭けてたのに。何やってるんだか」
「それはこっちのセリフだけど。賭けの対象にするな」
コンタクトだと、遠くの景色がいつもよりはっきり見えた。いつもは汽笛でしか存在が確認できない船も、今日は輪郭がしっかりしている。
「……帰りが遅いらしいけど、何してるか知ってる?」
「彼氏と遊んでる。家の手伝いも全然してないってさ」
うみちゃんの家はケーキ屋さんだ。中学までは次の日の仕込みなんかをしてると言っていたけど、帰るのが遅いならできるはずもない。
「やっぱり、変わっちゃったな」
「相手が悪いんだ」
河口が僕の顔を覗き込む。濃い茶色の目は、怒ったように燃えていた。
「吉野。あんたの方がずっと良いよ」
「……顔、怖いんだけど。彼氏のことそんなに嫌い?」
「当たり前だべさ。賭けに負けたし」
ゴミを見るような目をした僕に、河口が満面の笑みを向けてくる。
「そやって宇美のために怒れる男の方がいいわ」
こいつが隣にいると、ここでたくさん笑っていたうみちゃんを思い出す。またあの時に戻りたい。もう一度、うみちゃんに会いたい。
「宇美に言っとくよ。あんたがしょぼくれてること」
「言わなくていい。会うの許されないみたいだし」
不意に河口の視線が外れる。何かを誤魔化すように時計を確認して、河口は立ち上がった。
「……さて、じいちゃんとこ行くかな」
「河口のじいちゃん、漁師だっけ。手伝いご苦労様」
適当に手を振りながら、僕はふと、この前の赤い車を思い出した。
「そういえば、この間ここに赤い車で来てなかった?」
「うち? 来てないよ。家族の誰も赤は乗ってないし」
答えた後、元気に走っていく河口。なんだ、違うのか。てっきりあの車に乗っていた河口が僕を見つけて、昨日話しかけてきたのかと思ったのだけど。
じゃあ、ごく稀に現れる観光客の車かな。そんな風に自己完結して、僕は家に帰った。




