1章5話「そんなんだからとられたんでしょや」
母さんにはああ言ったものの、僕はまだうみちゃんと会えずにいた。
なんとか話をしなくちゃと思って、土曜日だというのにいつもの場所へ来ている。そもそもうみちゃんは待っていても来ないのだけど。
でも、僕はこうするしかないのだ。うみちゃんの帰りが遅いから家に行くこともできないし、連絡先を交換してないから話す手段もない。
ああ、スマホを嬉しそうに見せるうみちゃんが懐かしい。あの時、うみちゃんは『ケンちゃんにはなんも教えない!』とか言ってたっけ。メッセージも電話もなしで、直接会っておしゃべりしたいからって。
あの時、ちゃんと連絡先を聞き出すべきだったんだ。浮かれていただけの僕はなんて愚かなんだろう。
「今日は晴れかあ」
雲ひとつない空は、水面を照らして僕の目をチラチラと刺激する。まだまだ夏は遠くて肌寒いけれど、それでも白波は眩しく見えた。
地平線には白い線が引かれ、世界の向こう側を想像させる。うみちゃんは今、何してるんだろう。
ボーッとしながら磯の香りに包まれていると、潮風が目に沁みてちょっとだけ泣けてきた。
ご機嫌な太陽が憎らしい。僕は好きな子に振られた挙句、良いように利用されてるんだぞ。なんでお前はそんなに元気なんだよ。
涙を拭おうと、メガネを外した。その時だ。
「吉野!」
背中に自分の名前が豪快にぶつけられる。予想外のことに、僕はびっくりしてメガネを落としてしまった。
黒く縁取られたそれは、たぶんテトラポッドにぶつかって水の中へ落ちた。目が悪すぎて見えないけど、最後にポチャっという音が聞こえたから間違いない。
やっちゃったな、という焦りに駆られながら振り返ると、ぼんやりとした人影がひとつ。姿はわからないけど、声でなんとなく正体が予想できる。あれはうみちゃんと同じ高校に行った――
「河口か……」
河口は中学2年の時に同じクラスになった女子だ。といってもこの近くの学校は人数が少ないから、クラスに関係なく全員のことを知っている。
「あれ? 吉野、メガネはどしたのさ。イメチェン?」
「今落としたとこ」
「落っことした? どの辺さ」
「たぶん、そっちの水の中……」
言うが早いか、河口は階段をサッと降りてテトラポッドの下へ消えていった。
「おい、河口!?」
「……あった!」
僕がぽかんとしている間に、メガネを携えた河口が右側から上がってくる。輪郭のぼやけた制服がどんどん近づいてきて、やがては僕の視界を覆った。
黒っぽい物体と白っぽい手が顔に迫り、思わず目を瞑る。耳の上にスルリと何かが滑るのを感じた。ああ、これは付け慣れたプラスチックの感覚だ。
「レンズ、割れてる」
どこか面白がるような声に、僕は目を開けた。ヒビ割れた視界の中心にあるのは、中学時代と印象の異なる同級生の顔。
「河口、お前……そんな感じだった?」
こちらを覗き込む彼女は、長い金色の髪を真っ直ぐに垂らしていた。確か河口はもともと天パだったはずだ。湿気が嫌だとよく嘆いていたのに。
「ストパーかけてブリーチした! 似合うしょ?」
「まあ、悩みが減ったなら良かったね」
無難に返したつもりだったけど、頭上から大きなため息が降り注ぐ。
「あんたさぁ、うちにお世辞のひとつも言えないの?」
「いや、言う必要ある?」
「そんなんだから、宇美をとられたんでしょや!」
強めの方言が僕を非難した。確かに河口の言う通り、僕はうみちゃんに可愛いとか言えた試しがなかった。こいつにお世辞を言えるかどうかは別として。
だけど、なんで河口が僕の片思いを知ってるんだ?
「……それ、どういう意味」
河口は今の時間を確認しながら、今日はじいちゃんの手伝いあるからなぁと眉をひそめる。その後、名案でも思いついた顔で防波堤を飛び降りた。
「教えてほしいんだったら明日もここにいて!」
僕がノーを言う間も無く、河口は背中を向けて走っていく。焼けた肌が太陽の光を健康的に反射していた。
そして思い出したかのように、かかとをくるりと回転させてこちらに手を振る。
「これからメガネじゃなくてコンタクトにしなよ!」




