1章3話「そういうのじゃないのにね」
それから数日間、僕たちの場所で彼氏の話をされた。
彼氏は小学生の頃からバスケをしていてバスケ部に入ったとか、一緒に帰ろうって言われたからここに来るのが遅くなっちゃったとか、夜に電話する約束をしてるから今日は早く帰るねとか。
僕は正直、ここに来るのが苦痛になっていた。
それでも欠かさず来てしまうのは、ちょっとでもうみちゃんの声を聞きたいから。こういうのを、惚れた弱みって言うのかな。
「ねえ、ケンちゃん。聞いてる?」
「聞いてるよ」
「聞いてないしょ?」
「ちゃんと聞いてるって」
「嘘。だってさ、ケンちゃんぼーっとしてるんだもん」
彼女の指摘は正しかった。僕はうみちゃんの話の中身はできるだけ聞かないようにしていたのだ。聞いてるアピールの相槌も、意味がなかったらしい。
「ごめん。ちょっと、別のことに集中してた」
「どうしたの? 悩み事?」
「いや……」
彼氏の話とか聞きたくないから、うみちゃんの声に集中してたよ。なんて言えるはずもなく、僕は辺りを見回して言い訳を探す。
しかし、ここにあるのは太平洋と砂浜と、テトラポッドくらいだ。それから、流木と昆布。
「……うみの音を聞いてたんだ」
嘘は言っていない。何も間違ってない。ただ、捉え方はうみちゃん次第なだけで。
うみちゃんは首をかしげて考えたあと、ハッと閃いたようにこちらを向いた。
「ああ、波の音ね。ケンちゃんは詩的だなあ」
当然、僕の本意など伝わるはずもない。楽しそうにニコニコするうみちゃんにとって、僕はしがないポエマーに見えているようだ。
「ケンちゃんは本当に、海が好きだよね」
「うん。好きだよ……うみが」
真剣に彼女の瞳を見つめても、サラっとした笑顔で受け流されてしまう。
目は口ほどにものを言う、とか言ったのは誰だ。何も伝わらないじゃないか。
「あのさ、言わなきゃいけないことがあるんだけど」
徐に、うみちゃんが俯きながら切り出す。嫌な予感がして、僕は地平線を見ながら平静を装うことにした。遠くに黒くて大きな雲が見える。明日は雨だな。
「私、彼氏にケンちゃんの話してるって言ったしょ?」
「うん、言ってたね」
「もう会わないでって言われちゃった」
「まあ、そうなるよね」
「ケンちゃんは、そういうのじゃないのにね」
「……そうだね」
「だから、ここに来るのは今日でやめる。ごめんね」
「謝らなくていいよ。彼氏のことで忙しそうだったし」
「うん……じゃあ、もう帰るね」
「じゃあね。彼氏と仲良くやりなよ」
うみちゃんが刺した言葉のナイフを抜き取りながら、僕は自分の心と正反対のことを涼しい顔で口にした。早く別れてほしいって、彼氏ができた日からずっと願ってる癖に。
視界の隅で、うみちゃんの自転車が遠くなっていく。あの自転車、高校生になってから新しく買ってもらったお気に入りなんだっけ。
あーあ、これから彼氏と二人乗りとかするのかな。僕もうみちゃんと同じ高校へ行って、自転車で通えばよかったな。そしたら毎朝、7軒先のうみちゃんの家へ迎えに行くのに。
「はあ……」
僕の大きなため息が、テトラポッドの隙間に落ちていった。
うみちゃんに彼氏ができてから、後悔することばかりだ。うみちゃんは可愛いからモテて当然なんだけど、中学の時は誰とも付き合っていなかった。
夏にあるお祭りだって、いつも仲の良い女子と行ってたし。長年ここで話しているけど、恋愛の話が出たことは一度もなかったのだ。
けど、今更ショックを受けたところで意味がない。振られるのが怖くて何もしなかった僕が悪かった。
うみちゃんとはもう会えない。でも、うみちゃんが彼氏と別れたら、またここへ来てくれるかもしれない。それなら、僕にできるのは待つことだけだ。
「……これからも、毎日来るよ」
負け犬の宣言は、波だけが拾ってくれた。




