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廃管地下三階

 《廃管地下三階》は無人だった。三冊の雑誌がぽつんと旅人を待っていた。中途半端に開いたままのページは静かに天井を眺めており、消費されることを待ち望んでいるようでもあった。『少女文學』『月刊格闘少女』『萌えっ娘パラダイス』……統一感のないその内容に興味を持って、クロレラは『少女文學』の開いたままのページを読もうとするが、なかなか読み進められない。


 ──それぢや、軒下に燕は來なかつたのですねと、三好氏が訊いたので『にいさまは、春には雷が鳴りつ放しで大きな嵐も()ただらう、と云はれました。ですからきつと、燕も來なかったのでせう』とさう答へました。


 ()みさしの珈琲をテエブルへ置き、三好氏は曇り一つない硝子へと目を向けました。其れは蚕が繭を纏つていくやうな斷絶(だんぜつ)でありました。(かえ)る頃になると彼はさういう目をするものですから、私もすつかり慣れてしまつて、同じやうに硝子を視るしかないのを知つて居りました。撫肩の男と日に焼けた女の影が、透明な衝立に映つて居ます。まるで姿見のやう。珈琲店の外からもよく見えるであらう──。


 クロレラはそこまで読んで『少女文學』を机の上に放り投げた。続けて『月刊格闘少女』を見たクロレラは、その中央に載っている写真を指した。


「この人知ってる? ジャジャウーマンって言うんだ」

「変な名前ね」


 栗色に脱色した女の髪は、馬のたてがみのように後頭部にだけ生えていた。黒いレオタードを着て、リングコーナーに座っている。右腕を高々と上げてなにごとか吠える女は、どう見ても少女ではなかった。看板に偽りあり、売れれば何でもいいのだと言おうとしてマリモは口をつぐんだ。口を滑らせれば、クロレラがマリモの年齢に言及するのは明らかだろう。本当は三十七。その言葉を飲みこんだ横で、ネオンは無邪気に「枝毛の多そうな髪をしてますね」と評した。赤沢絹子はそれがうらやましかった。


 クロレラは続けて『萌えっ娘パラダイス』に手を伸ばす。


「こりゃまたずいぶん、マニア好みの雑誌だ」


 開いてあったページには、猫耳をつけた少女が身体をくねらせ、片足を上げたポーズで立っている。


 ──萌えっ娘投稿写真NO.15732、白井真樹(しらいまき)ちゃん。「にょ。写真はかわいく撮って欲しいのだ」──。


 意外に露出が多くて水着写真を見ているのに近い。クロレラは黙ってページを閉じた。マリモはその顔が少し赤くなっていることに気付いた。


「人は世につれ、世は人につれ。好みの女も変わってく、ってこった」


 ゼロは余裕をもって煙草をふかしていたが、マリモから『萌えっ娘パラダイス』を渡されて、口をあんぐりと開けた。


「おい、おいおいおい……」


 分厚い唇から煙草が落ちて、写真の上に乗った。慌てて手で払ったが、雑誌の中の少女の顔は黒く染まった後だった。


 女二人が向ける訝しげな視線から、ゼロは明らかに顔を背けた。


「知り合いでもいたんですか?」

「こんな奴知らねぇッ」


 やっぱり知ってるんだ、と誰もが胸の中で確信した。本人はぐっと身体中に力をこめて縮んだかと思うと、低いこたつ机の上に思いきり足を乗せた。がしんと音がして、机の上に置いてあったコップがひっくりかえった。ネオンはその剣幕に恐れをなして黙り、マリモはゼロの態度に冷めきった視線をよこし、クロレラは一人爆笑した。


「ハードボイルドを目指すゼロに、萌えっ娘の知り合いがいるなんてね」


 放りだされた『萌えっ娘パラダイス』を拾いあげて顔を確かめようとするが、写真は煙草に焼かれて判別できない。「つまんないの」とほうり投げて、クロレラはにやにやとゼロの顔をのぞき見た。


 普段は子供っぽいのにこういうときのクロレラは怖い、とネオンはすくめたままの首をさらに萎縮させる。彼は自分のことをよく知っているのだろう。皮肉な言葉を子供らしさでカバーして、ときどきちらりと本音をのぞかせる。だから決して、クロレラに油断してはいけない。意外に彼はバカではないし、抜け目ないのだ。ゼロにずっと侮られていたクロレラが、この好機を逃すはずがない。


「まあ、でもハードボイルドに憧れるのと同じことだよね。変身願望をかなえるって点では」


 黙って聞いていたゼロが重い口を開く。


「妹だ」


 攻撃できるチャンスを逃すまいとがっつくところが餓鬼なんだよ、と言わんばかりだ。


「じゃあ、ゼロは白井ゼロさんなんですね」

白井零侍(しらいれいじ)だ」


 場をなんとか取り繕おうとしたネオンの言葉も、あっさりと返されてしまう。たしかにここでは皆、愛称を使っているようだから、ゼロも本名でないだろう。わかってはいたが、これほどつれなく返されてはやりきれない。仕方なくのろのろと立ち上がって、ネオンは先を促した。


「下の階に行きましょう」


 枷でもついたように、足取りが重い。この《廃管》がどうなっているのかがわかれば、きっとこんなにギスギスすることもないのに。きっと皆いらだっているのだと、ネオンは悲しくなった。

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