廃管地下二階
「色も金も、人間の生活とは切っても切れないものさ」
ゼロはそう言って気取ったが、ネオンは眉をひそめた。
「度が過ぎます、あんなの」
紳士とじいさんに別れを告げて、四人は《廃管地下二階》に向かった。じいさんは最後までマリモの両手を離さなかったが、耳元で何かを囁かれて、急におとなしくなった。
「大人の世界って汚い」
眉をひそめたままのネオンがそうつぶやくと、クロレラは「プロのテクニックだよ。生き抜くための知恵さ」と笑った。クロレラはネオンよりも若いはずだが、ちっともそれらしくない。達観というよりは諦観に近いのかもしれない。
「クロレラは子供っぽいのに、子供らしくない」
「子供だって色々だよ。ネオンの勝手なイメージで語られたってクロレラ君も困るってよ」
「そんな、他人事みたいに」
「そう、他人事。僕の本当の名前は黒田聡だから」
クロレラは一度言葉を切って、前にいるゼロとマリモに声をかけた。
「ねえ、この階には人がいないのかな、結構歩いたよ」
「しゃべってるからだ。耳を澄ましてみな」
足を止めると、話し声と靴音に邪魔されて消えていた音が聞こえた。ダダダダダダダダ……小刻みに音がつづいている。
「何の音?」
「マシンガンかもな」
その言葉が冗談なのか訊こうとして、ネオンはやめた。ゼロの背中からぴりぴりした緊張が感じられなかったからだ。かつて要人警護をしていたという男の言葉は、信じるに足るだろう。クロレラが駆けだす。ネオンは腕を引いて止めようとしたが、少年はするりと逃げだして大きな声で「こんにちは!」と叫んでしまった。声は廃管の中に反響して、小刻みな音は止んだ。
「こんにちは! 上から来ました!」
クロレラの元気な声は段々と細くなりながらもはねかえって、うわんうわんと耳を襲うものだから、ネオンは自分にはない泣きぼくろを押さえたくなった。クロレラが大きくのけぞって息を吸う。大きな声を出す前触れだと察知したネオンは、両手を耳に当てて、ぎゅっと目をつむった。
「だれかぁ! いーまーせーんーかぁー!」
叫びの後に耳を澄ませていると、「静かに」と淡々とした声が返ってきた。どうやらこの階には女性がいるらしい。
***
《廃管地下二階》にいたのは、中年の女性二人だった。一人は洋装、もう一人は和装だ。
ゼロは洋服の女に不快感を持った。ブランド名が激しい主張をくりかえしているその服は、センスの欠片も感じられない。ただブランドものを着ているという主張がしたいだけだ。和装の女が着ているのは質素な海老茶の紬だった。マリモが「あら、新作!」と洋服にうらやましそうに目を輝かせるのを、渋い気持ちで見守る。ぺちゃくちゃとおしゃべりに花が咲いていた。
どうもこういう場には馴染めない、とゼロは唸った。洋装の女は化粧も濃い。マリモが今よりもっと歳をとったら、こんな風になるのかもしれない。
会話のしやすそうな和装の女に、ゼロは先ほどの音の正体を訊ねた。
和装の女は見栄えのしない顔をしていた。あっさりとした顔には特徴がなく、すぐに忘れてしまいそうな顔だ。
「ミシンです」
「ミシン! この前の階でTシャツが薄くなってしまいました。つぎはぎしてください。お願いします」
ネオンがTシャツの前を引っぱって、薄くなった場所を見せると、和装の女は「年頃の娘さんですものね」とその場所をなでた。ネオンが人懐っこく笑うと、和装の女も目を細くして微笑む。
なるほど、洋装の女と気が合うのはクロレラとマリモで、和装の女と気が合うのはネオンとオレらしい、とゼロは帽子を脱ぐ。そのまま帽子をかぶっているのは、和装の女に礼を欠くような気がした。
和装の女が足踏みミシンで縫い物をしている間、洋装の女は料理をしていた。意外に女らしいところもあるものだと、ゼロは洋装の女を横目で眺めていた。その長い爪は人間の持つ色素にはないようなどぎつい色に塗られており、とても料理ができるようには思えなかったのだ。
「クロレラちゃんには何でもあげるわ! 欲しいものを言ってちょうだい」
洋装の女はしきりにクロレラをかわいがっている。息子にでも似ているのだろう。次から次へと料理が運ばれていく。分厚いステーキ、伊勢海老の天ぷら、カニの刺身……とんでもない量だ。立派な器に入った牛肉の刺身を渡されて、「クロレラちゃん、これ、味見してちょうだいね」と言われたクロレラは、大きく見開いた瞳に星をさんさんと輝かせた。
刺身などどう味見をするものやら。ゼロが頭の隅で呆れていると、和装の女に浴衣を借りたネオンが「わぁ」と声をあげた。
「おいしそうですね!」
洋装の女に向けて言ったらしい。無駄なことはしない方がいい。ネオンに向けてゼロは目で語るが、高級食材に目が釘付けの少女はこちらをちらりとも見なかった。
「あなたにはこっちよ」
洋装の女はひどくつれない声を出して、ネオンに薄く切ったたくあんを出した。その差は見事で、ゼロは思わず笑いが漏れるのをこらえた。若い男を猫かわいがりして、熟年離婚の果てに駆け落ちでもしたいのか。それとも単なる過保護か。旅人に目をつけるなんてずいぶんインスタントだと、ゼロは鼻を鳴らして次の階へと思いを馳せた。
「さあさぁ、クロレラちゃん、マリモさん、たくさん食べてぇ」
マリモは「いただきます」をしたあと、ごめんねえ、とばかりに、ネオンとゼロに片目をつぶってみせた。クロレラは満面の笑みで牛肉にかぶりついている。ネオンは小さくなって、たくあんの尻尾をかじっていた。食うから余計惨めになるんだ。ネオンにそう言ってやりたくなる。
「ケッ」
いつの間にか口の中にたまりだした唾を吐くと、すぐ傍から声がかかった。
「ゼロさんと仰いましたか?」
和装の女だった。ミシンの音は止まらないが、ネオンの縫い物は終わったようだ。渡してこいとでも言うのだろうか。
「何か用か」
「唾を床に吐くのは、おやめなさい」
特別な印象のない顔なのに、ひどく強い言葉が返ってきた。思わず動きを止めてしまったことが恥ずかしくなって、ゼロはもう一度「ケッ」と唇を歪めた。
「それも、できればおやめなさいね」
やんわりとしているようで、声は厳しい。ゼロは何も返事をせずに、下の階へ向かう準備をしはじめた。
「まるでお袋じゃねえか」
家具と家具の間にロープを通して強度をあげながら、ゼロはぼやいた。この階に来てから煙草を吸わないのは、きっとそのせいなのだろう。たくあんをかじり飽きたネオンは、ゼロの言葉を首をかしげて聞いた。
下の階に向かうとき、洋装の女はしつこく「ここに残らないか」とクロレラに聞いた。クロレラがあっさりと断ると、洋装の女は「私がついていこうか」とまで言い出した。こんな女と一緒に旅をするのはごめんだ。クロレラでさえカマトトぶって見えて苦手なのに、そのクロレラを異様にかわいがる中年女が追加される。たまったもんじゃない。ゼロは殺気をこめてにらみつけたが、洋装の女は平然と受け流して「ねぇ、いいでしょう」とクロレラに甘えた。
「周りの目を気にしていれば、ああいうふうにはならないでしょ」
マリモの小さな声に、ゼロは帽子を目深にかぶった。
和装の女は、ネオンと何か楽しそうに語らっていた。たくあんをかじった後に、ネオンは和装の女が作った里芋の煮付けを食べた。ゼロもご相伴にあずかったが、なかなかいい味だった。おかげで空腹はやわらいだが、ネオンの中には洋装の女への敵意が芽生えたらしい。
どちらにしても俺には関係のないことだと胸ポケットに手を持っていきかけてやめる。和装の女がゼロに近付いてきて、ふと笑った。
「ありがとう」
「なにがだ」
「煙草を吸わないでいてくれたでしょう」
ゼロは苦み走った笑みを浮かべて、煙草をくわえた。火はつけない。
「ありがとうよ。……飯、うまかった」
《廃管地下三階》に到着して、ゼロはようやく煙草に火をつけた。
「過保護で成金趣味なんて最悪だ」
久しぶりの煙草がぴりぴりと舌を刺すのに違和感を覚えながら、ゼロは煙と共に悪態を吐き出した。
「あら」
隣のマリモも同じように煙草を吸う。前の階でマリモは自由に煙草を吸っていたが、洋装に顔をしかめられてやめたらしい。煙草よりも豪華料理をとるあたり、ゼロよりも器用だった。
「和装の方が、高いものを着てたよ」
マリモの言葉にゼロが目を見開く。口にくわえた煙草の先から、白い灰が落ちた。
「あれ、大島紬っていうんだ。海老茶のなんて珍しいし、相当高いんじゃない? まあ礼装ではないけど」
ゼロに泡を吹かせたことを喜んで、見かけによらないんだよ、とマリモは笑った。
ネオンとクロレラは犬のようにはしゃいで走り回っていた。
「ねえ、どうしてクロレラはさっきの階に残らなかったの?」
「前も言っただろ。僕はクロレラじゃなくて、黒田聡だからさ」
クロレラは急に足を止めて踵を返し、「お断りだね」とつぶやいた。細くなった目の奥に、星は見えなかった。




