第二章 ~『壺を割った侍女』~
翌朝、アリアが目を覚ますと、窓の外には朝日が差し込んでいた。
身支度を整え、淡い青のドレスに袖を通す。華美な装飾はないが、王宮で過ごすには十分な品がある。鏡の前で髪を整え終えると、アリアは窓辺へ歩み寄った。
昨日は、王宮に来てから慌ただしい一日だった。
ミアを治療し、エミールと出会い、神殿について学び、王宮に流れる噂も知った。知らない場所で過ごす緊張がなかったと言えば嘘になる。
それでも、窓から差し込む朝の景色を見ていると、少しだけ外を歩きたくなった。
「少し、日の光を浴びてきましょう」
誰に言うでもなく呟き、アリアは一人で部屋を出た。まだ慣れない王宮を確かめるように来客用の廊下を進む。
磨き上げられた床の両脇には、飾り棚が並んでいる。棚の上には花瓶や壺が置かれ、侍女たちが一つずつ下ろしては、布で丁寧に拭いている。
今日、王宮に客人が来るのだろう。花瓶には新しい花が生けられ、装飾にも曇りがない。
その中に、昨日、アリアの陰口を言っていた侍女たちの姿もある。アリアに気づいた侍女たちは、手を止めた。
「アリア様……」
一人が気まずそうに頭を下げると、他の侍女たちもそれに続く。アリアは責めることなく、軽く会釈を返した。
「お仕事中に失礼いたしました」
「い、いえ……」
侍女たちは視線を落としたまま、言葉を続けられない。
アリアはそのまま通り過ぎようとする。
その時だった。
「あっ!」
背後で、乾いた音と共に短い声があがる。
アリアが振り返ると、侍女の一人が壺を床に落として割っていた。
廊下にいた侍女たちの顔色が、一斉に変わる。
床に散らばったのは、白地に金の模様が入った美しい壺の破片だ。来客用の廊下に飾られている品なら、ただの調度品ではない。割った侍女は、ミアに強い言葉を向けていた侍女である。
「こ、これ……弁償になるのでは……」
「無理よ。私たちの給金で払える品じゃないわ」
周囲が慌てふためく中、壺を落とした侍女の手は震えていた。真っ青な顔で床に膝をつき、慌てて破片を集めようとしている。
「どうしよう……私……とんでもないことを……」
震える指が、割れた陶器の縁に触れる。次の瞬間、侍女の指先に赤い線が走った。
「……っ」
血が滲むが、それでも侍女は手を引かず、破片を拾おうとする。壺の弁償が頭から離れないのだろう。周囲の侍女たちもすぐには動けない。そんな中、アリアだけが彼女に駆け寄った。
「手を見せてください」
「で、ですが……これは、私が……」
「壺のことは後です。今は怪我を治しましょう」
アリアがそう告げると、侍女は戸惑いながらも手を差し出す。
指先の傷は浅い。だが、細かな破片が入り込んでいる。このまま布で押さえれば、かえって奥へ入りかねなかった。
アリアは指先に魔力を集める。
淡い光が侍女の傷口を包み、入り込んでいた細かな破片を外へ押し出した。続けて裂けた皮膚が塞がり、血はすぐに止まる。
侍女は信じられないものを見るように、自分の指先を見つめた。
「痛みが……」
「今日は水仕事を控えてください。無理に使えば、また開いてしまうかもしれません」
「あ、ありがとうございます……」
侍女は震える声で礼を言う。
だが、すぐに床へ視線を落とした。そこには、白と金の破片が無惨に散らばっている。
「でも、それどころじゃなくて……壺が……私、弁償なんて……」
「欠片は、すべて残っていますか?」
「え……」
「割れた時に、どこかへ飛んだ欠片はありませんか」
「た、たぶん……ほとんど、この場に……」
「なら、なんとかなると思います」
アリアが壺の破片へ手をかざすと、淡い光が床に広がっていく。そして割れた断面がかすかに輝き、欠片同士が少しずつ引き寄せられていく。
やがて、床に散っていた白と金の欠片が、元の形を思い出すように重なり合った。ひび割れが光の中に消えていき、割れたはずの壺は、元通りの姿で床の上に立っていた。
「これで元通りになったと思います」
廊下にいた侍女たちは、誰もすぐには声を出せなかった。
神官の回復魔術は人の傷を癒やすことしかできない。だがアリアは壊れた物まで元の形に治した。
その力に誰もが言葉を失う中、壺を割った侍女は、深く頭を下げた。
「アリア様、本当にありがとうございました!」
「壺が戻ってよかったですね」
「あ、あと、私、アリア様を噂だけで判断してしまって……それなのに、怪我だけでなく、壺まで……」
「困った時はお互い様ですから。私が困ったことがあれば、助けてください」
「……っ……は、はい……わ、私、アリア様のご恩に報いるためなら何だってします!」
壺を割った侍女はもう一度、深く頭を下げた。
そして、その日を境に、侍女たちの間でアリアを見る目は少しずつ変わっていく。
陰口を言った相手を責めず、怪我を治し、割れた壺まで元に戻した聖女候補。
神殿が推した候補ではないからと向けられていた疑いは、王宮の中で少しずつ薄れていくのだった。




