第二章 ~『王宮の客室と侍女』~
聖女認定式から数日後、アリアは王家推薦の聖女候補として、王宮で暮らし始めることになった。
案内されたのは、レナードが執務を行う区画からほど近い客室だった。
長らく使われていなかった部屋らしいが、窓や家具は丁寧に磨かれ、寝台には新しい寝具が整えられている。窓辺には白い花が飾られ、机の上には未使用の筆記具まで並べられていた。
「本当に、こちらを私が使ってよろしいのですか?」
アリアが室内を見回すと、隣に立つレナードが首を傾けた。
「何か気に入らないところがあったかな」
「いえ。むしろ、私一人には広すぎるほどです」
「聖女候補として書類を確認したり、来客を迎えたりすることもある。これくらいは必要だよ」
レナードの言葉には、アリアを重んじる敬意が滲んでいた。その様子を見ていた若い侍女が、口元を引き締めながら一歩前へ出る。
「それと彼女も紹介しておくよ。アリアの世話を担当するミアだ」
「ご不便がございましたら、どのようなことでもお申しつけくださいませ」
「アリアです。これからよろしくお願いいたします」
「はい。誠心誠意、お仕えいたします」
ミアは深く頭を下げた。
年齢はアリアと大きく変わらないように見える。身なりは整っており、挨拶にも隙はない。ただ、顔色が少し青白いことが気にかかった。
「では、私は執務へ戻るよ」
レナードは扉へ向かいかけてから、アリアを振り返った。
「今日は王宮に慣れることを優先してほしい。正式な職務の説明は、明日からにしよう」
「よろしいのですか?」
「君の力を借りたいが、倒れるまで働いてほしいわけではないからね」
「承知いたしました」
レナードはミアへ視線を向ける。
「アリアを頼むよ」
「かしこまりました」
ミアが背筋を伸ばして答えると、レナードは短く頷き、部屋を後にした。
扉が閉じると、ミアがそっと目を上げる。
「アリア様はやはり特別な方なのですね……殿下が、あそこまで細かくお気遣いなさるなんて……」
「普段は違うのですか?」
「いえ、殿下は使用人たちにもお優しいですよ……ただ、お忙しくもありますから。ここまで丁寧に扱われるのは珍しいと思いまして……」
レナードの気遣いを特別なものだと感じたのは、アリアの思い違いではなかったらしい。ミアは表情を和らげ、部屋の奥へと歩き出す。
「では、室内を紹介してまいります。こちらが寝室で、隣の扉は衣装部屋へつながっております。お召し物は、自由にお選びください。そして、こちらが――」
説明の途中で、ミアの声が途切れた。
足取りが崩れ、傍らの棚へ手をつく。棚の上に置かれていた花瓶が揺れ、アリアは倒れる前にミアの身体を支えた。
「も、申し訳ございません。少し眩暈がしただけですので……」
ミアは離れようとしたが、足に力が入らないらしい。アリアはその腕を離さず、近くの長椅子へ座らせた。
「体調が悪いのですか?」
「は、はい。ただ少し休めば治りますから……アリア様をお迎えする初日に、持ち場を離れるわけにもいきません」
「倒れてしまえば、もっと長く持ち場を離れることになります」
アリアが額へ手を当てると、ミアは観念したように肩を落とした。
「最近、何度か同じことがありました。頭が重くなり、身体に力が入らなくなるのです」
「診てもらいましたか?」
「はい。王宮付きのエミール神官様に何度か回復魔術を施していただきました」
「それでも、また症状が出ているのですね……」
アリアの問いに、ミアは視線を伏せた。
「はい。ですが、疲れが溜まっているだけだろうと……」
「いつ頃からですか?」
「こちらの部屋を担当し始めた頃からです。長く使われていなかったため、毎日、掃除や荷物の搬入に入っておりましたので、それが原因かもしれません」
アリアはミアの手を取った。
「少し診せてもらっても?」
「アリア様が、ですか?」
驚きが顔に出たものの、ミアはすぐに頭を下げた。
「失礼いたしました。お願いいたします」
アリアが指先へ魔力を集めると、淡い光がミアの手を包む。
光は腕を伝い、全身へ染み込んでいく。強引に魔力を流し込むのではなく、身体の中で滞っている部分を探りながら、傷んだ箇所を整えていった。
しばらくして光が消えると、ミアは何度かまばたきをした。
「頭の重さが……ありません」
恐る恐る立ち上がり、手を握ったり開いたりする。
「身体も軽いです。エミール神官様に治療していただいた時よりも……」
そこまで口にしてから、ミアは慌てて口元を押さえた。
「申し訳ございません。他の方と比べるつもりでは」
「気にしなくて構いません」
ミアは姿勢を正し、アリアへ深く頭を下げる。
「治療してくださり、ありがとうございました。神殿でのお話は伺っておりましたが……アリア様が聖女候補に選ばれた理由が、少し分かった気がいたします」
先ほどまで仕事として整えられていた礼に、今度はミア自身の気持ちが込められていた。
アリアは答えを探すようにミアを見つめ、やがて頷いた。
「では、これからもよろしくお願いいたします」
「はい、アリア様」
王宮で始まった新しい生活の中で、アリアが最初に得たものは、広い部屋でも聖女候補の肩書でもなかった。
目の前に立つ侍女から向けられた、まっすぐな信頼だった。




