第六章 ~『破滅と絶望』~
「君に神殿の長を務める器はない」
レナードははっきりと拒絶の意思を突き付ける。
だがオズワルドの表情は変わらない。彼は祭壇の上から聖石へ目を向け、それから王家の席に立つレナードを見据える。
「殿下が何とおっしゃろうと、神殿の総意は変わりません」
「総意か……それはどうかな?」
レナードが軽く手を上げると、王家席の後方に控えていた騎士が一歩前へ出た。彼の腕には、封のされた書類の束が抱えられている。
「ここには君の不正に関する調査結果がまとめられている」
騎士が差し出した書類の束を受け取り、レナードは封を切った。厚い紙の擦れる音が、妙にはっきりと広場に響く。
「ガルドの証言、アリアが復元した帳簿。他にも数多くの証拠がある」
「それが何だというのです。罪人が勝手に神殿の名を使っただけの話でしょう」
「君がそうやって言い逃れするとは予想していた。だから、神殿内部からも証言を集めた」
その言葉に、オズワルドの表情が初めて崩れた。
「エミール」
レナードに名を呼ばれ、神官席の端にいたエミールが立ち上がった。
周囲の神官たちの視線が一斉に彼へ向く。若い神官が大神官長を告発する。その意味を、この場にいる誰もが理解していたからだ。
「証言いたします。神殿内の不正を調べようとした神官たちは、オズワルド大神官長の命により、左遷や調査中止を命じられました。これは、紛れもない事実です」
広場にざわめきが広がった。
神官席では、若い神官たちが唇を引き結んでいる。彼らの中にも、エミールと同じように調査を止められた者がいるのだろう。
誰も否定しない。
その沈黙が、エミールの証言がただの思い込みではないことを物語っていた。
オズワルドはその告発を受け、重々しく口を開く。
「若造が神殿の内部事情をどこまで理解しているというのだ! ただの思い込みに過ぎぬ!」
若者の未熟さに責任を押しつけるような物言いに、神官席に動揺が走る。
守られるべき若者が危険を承知で声を上げ、守るべき立場にあった老人たちが沈黙している。
その事実から目を逸らそうとしても、エミールのまっすぐな姿は、老いた彼らの良心に深く刺さった。
ふいに一人の老いた神官が立ち上がる。これまで長くオズワルドの側近として仕えてきた人物である。
「オズワルド大神官長。もう、終わりにしましょう」
「貴様、何を言っている! 儂を裏切るのか!」
「裏切るのではありません。我々は、自分たちの罪を認めるべきなのだと、ようやく気づいたのです」
その言葉に、神官席がさらにざわめいた。
老いた大神官はエミールへ一度だけ目を向ける。それから、迷いを振り切るように顔を上げた。
「若い神官たちが、立場を失う覚悟で声を上げています。それなのに我々は、保身のために沈黙してきた。その事実が、恥ずかしくなったのです」
「黙れ!」
「いいえ、黙りません」
老いた大神官は震える声を押さえ込み、広場へ向き直った。
「暗黒街の件について、オズワルド大神官長の側近として証言いたします。私は不正を知りながら、見て見ぬふりをしてきました。帳簿も、ガルドの証言も、すべて真実です」
衝撃的な告発に、広場から音が消えた。
だが、その沈黙は長く続かなかった。
「私も、証言いたします」
別の大神官が立ち上がる。
「私もです」
「我々は、罪を認めます」
オズワルドの味方だったはずの大神官たちが、一人、また一人と告発に加わっていく。
「わ、儂が大神官長として、どれほど神殿を守ってきたと思っている!」
オズワルドの声に、隠しきれない焦りが滲む。
「王家の干渉を防ぎ、寄進を集め、この国の信仰を支えてきたのは儂だ!」
それでも彼は胸を張り、自分こそが神殿を支えてきたのだと広場に主張しようとした。だが、その言葉を聞いたエミールが、一歩踏み出す。
「神殿は、民を救い、苦しむ人々へ手を差し伸べるためにあるはずです。決して、あなたの地位を守るための組織ではありません」
「ぐっ……」
オズワルドが言葉を失う。神殿の名を盾にしてきた男が、神官として最も基本的な役目を突きつけられ、口を開けないでいた。
その沈黙を見計らうように、レナードが口を開く。
「オズワルド大神官長、アリアの聖女認定を白紙に戻しても、君はすでに罪人として裁かれる立場にある。証拠も、証言も揃っている。君の言葉を借りるなら、これが神殿の総意だ」
神官席にいた者たちが、一斉に頷く。
その光景を見た瞬間、オズワルドの顔から血の気が引いた。
「……儂を、切り捨てるというのか」
オズワルドは神官席を見回す。だが、誰も助け舟を出さない。側近だった大神官たちは顔を伏せ、若い神官たちは唇を引き結んだまま、彼から目を逸らさなかった。
「諦めてくれ、これ以上、皆を巻き込むな」
その言葉を聞いた瞬間、オズワルドの肩が揺れる。
彼は笑っていた。
最初は喉の奥で押し殺すような声だったが、やがてそれは祭壇の上から広場へ広がっていく。
大神官長としての威厳をまとっていた顔が歪み、皺の刻まれた顔に狂気が浮かんでいく。
「巻き込むなだと……儂を罪人と呼び、神殿の長から引きずり下ろすつもりなら、そうはいかぬ! 処刑されるくらいなら、この国ごと滅びるがいい!」
誰もがその狂気に息を呑んだ。その一瞬の隙に、オズワルドは聖石を高く掲げると、石床へと叩きつけた。
乾いた音が、建国祭の広場に響く。
一瞬、誰も動けなかった。
淡い光を宿していた聖石の表面に、細い亀裂が走り、内部から漏れ出る光が大きく歪んだ。
「聖石が……」
アリアは気づくと席から立ち上がっていた。レナードも祭壇へ向かおうとしたが、それよりも前に、空が揺らいだ。
大結界の光が上空で大きく波打つ。白く薄い膜のように広がっていた守りが歪み、遠くの空へ向かって次々とひび割れていく。
「結界が……消えていく……」
民衆の観覧場所から悲鳴が上がる。
貴族たちは顔色を失い、空を見上げたまま立ち尽くしていた。王国全土を覆っていた大結界が、今、この瞬間に崩れ始め、やがて空から失われていった。
「だ、大結界をもう一度、生み出せないのか!」
貴族の一人が叫んだ。だが、答える神官の声は弱い。
「歴代の聖女は、初代聖女様が築かれた結界を維持してきただけです。一から作り直す術など、神殿にも残されておりません……」
その言葉で、広場の恐怖は決定的になった。
オズワルドは騎士たちが迫っても逃げようとはしない。もう手遅れだと、そう言わんばかりに砕けた聖石を見下ろしている。
「初代聖女の大結界は誰にも作り直せぬ。これで、この国は終わりだ!」
オズワルドは勝ち誇ったように笑う。
そんな中、アリアは砕けた聖石へ視線を移すと、恐怖に染まる空気の中で、一歩を踏み出した。
「終わりにはさせません」
アリアは祭壇へ向かって歩き出す。砕けた聖石の前で笑っていたオズワルドの顔から余裕が消えた。
誰もが絶望に呑まれる中、ただ一人、アリア・フォードだけが顔を上げていた。




