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第六章 ~『大結界の人質』~


 アリアとレナードが王家の席へ腰を下ろすと、広場のざわめきは少しずつ落ち着いていった。


 祝祭の日にふさわしい華やかさが広場を満たしている。それでも、祭壇へ向かう神官たちの表情だけは硬い。


「始まるね」


 レナードの言葉を合図に、アリアも祭壇へ視線を向ける。


 王都神殿の扉が開かれ、数人の大神官が銀細工の施された箱を運んでくる。


 広場にいた人々が息を呑む。


 箱は祭壇の中央へ置かれ、受け取ったオズワルドが慎重な手つきで蓋を開く。中から現れたのは、拳ほどの大きさをした淡い光を宿す宝石だった。


(あれが聖石ですか……)


 王国全土を覆う大結界を生み出している宝玉であり、普段は王都神殿の地下に安置されている。建国祭の儀式中だけ、こうして地上の祭壇へと運び出され、人の目に晒されるのだ。


「あの小さな石に宿る魔力が、王国全土を覆う大結界を支えているんだ」

「初代聖女様は、本当に偉大な方だったのですね」

「ああ。だからこそ、この国の誰もが建国祭で感謝を捧げる」


 初代聖女が大結界を築いたのは、神殿の権威を高めるためではない。王家の力を示すためでもない。


 魔物と瘴気に苦しむ人々を救うため。ただ、その願いのためだけに、彼女は王国を包む守りを残したのだ。


 やがて、祭壇の上でオズワルドが一歩前へ出る。


「皆様。本日は建国祭にお集まりいただき、感謝いたします」


 よく通る声が、広場に響いた。


 民衆のざわめきが収まり、貴族たちの扇の動きも止まる。オズワルドはその反応を確かめてから、ゆっくりと聖石へ手を向けた。


「この国が今日まで守られてきたのは、ひとえに初代聖女様の偉業によるものです。王都も、辺境も、街道も、港町も、鉱山も、農村も。すべては大結界の守りのもとにあります。そしてそれを今日まで支えてきたのは、我ら神殿でございます」


 神官席に並ぶ者たちが深く頷く。


 民衆の目にも神殿への敬意が浮かんでいた。貴族たちもまた、聖石とオズワルドを見比べながら頷いている。


 だが唯一、同意していない者がいた。アリアの隣に座るレナードだ。


「やはり、神殿の功績を強調してきたか……」


 レナードが小さく呟く。


 アリアが答えるより早く、祭壇の上でオズワルドがゆっくりと王家の席へ向き直った。


「建国祭という晴れの日に、このような申し入れをすることは本意ではございません。ですが、神殿として、レナード殿下にお伝えせねばならぬことがございます」


 広場がざわめいた。


 初代聖女へ感謝を捧げるはずの場で、王家へ申し入れをする。誰も予想していなかった言葉に、貴族席でも顔を見合わせる者が現れた。


 レナードは立ち上がり、祭壇の上にいるオズワルドを見据える。


「君は、ここが建国祭の場だと理解しているのかな?」


 穏やかな問いに聞こえたが、その声には明らかな警戒が滲んでいる。


 それでも、オズワルドは少しも怯まなかった。


「建国祭だからこそです。王国全土の守りを担う神殿の判断を、王家には重く受け止めていただかねばなりません」

「……内容を聞こうか」

「神殿は、王家推薦の聖女候補アリア・フォードを、正式な聖女として認めることに反対いたします。ゆえに、我らの要求はただ一つ。アリア・フォードを聖女候補とする認定の撤回でございます」

「ずいぶん急な話だね」

「いいえ、殿下。聖女候補の選定は、本来、神殿が担ってきたもの。そもそも王家が聖女候補の選定に関わること自体が、誤りだったのです」


 暗黒街を救い、エーゼン公爵を救ったアリアの名は、すでに王都で知られている。その彼女を、建国祭の場で否定する。


 神殿の提案は、今の王都に広がりつつある空気へ真っ向から逆らうものだった。


 だが、オズワルドはそこで終わらない。


「もしこの要求を拒まれ、それでもアリア・フォードを聖女として認めるのであれば、神殿は今後、大結界の維持について責任を負いかねます」


 その一言で、広場の音が消えた。


 誰もがすぐには意味を理解できず、短い沈黙が落ちる。だが、言葉の意味が広がるにつれて、貴族たちの顔色が変わっていった。


 レナードは表情を変えないまま、冷静にオズワルドを見据える。


「それは、王国全土を守る結界を人質に取るという意味かな?」

「人質などとは心外です。神殿の判断を軽んじるのであれば、神殿もまた、大結界を守る義務を果たせなくなる。それだけのことでございます」

「物は言いようだね。でも、理解しているのかな? 大結界が乱れれば、王都だけの問題では済まないんだよ」

「ええ、もちろん。砦には魔物が押し寄せ、街道には瘴気が流れ込み、辺境の農村にまで被害が及ぶでしょう」


 その言葉に、貴族たちの間で囁きが広がる。自分の領地へ危険が及ぶかもしれない。その考えが頭を過った瞬間、貴族たちの視線は迷いを帯びたものへ変わっていく。オズワルドはその変化を見逃さない。


「神殿に逆らえば、国を失うことになります。その覚悟はおありですか?」


 大結界が失われる。そうなれば危険に晒されるのは、この広場にいる者だけではない。王国中の罪のない人たちが犠牲になるのだ。


 アリアは膝の上で重ねていた指に力を込める。


「レナード様。私が退けば、大結界は守られるのでしょうか?」

「違う」

「ですが、私が聖女候補でいるから、皆さんが危険に――」

「君が退いても、この男はまた同じことをする。一度でも結界を人質に取った者は、自分の地位を守るために、何度でも悪行に手を染める。それを許すことはできない!」


 レナードの声が広場の隅にまで届く。この場で退けば、暗黒街のように新しい犠牲者を生むことに繋がる。


 ならば、アリアがするべきことは一つだけだ。民を守るための結界を、人を従わせるための道具に変えようとする者には屈しないことだ。


 アリアは瞳に強い意志を宿し、オズワルドを見据えるのだった。



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