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現実世界にダンジョンが現れたが、俺は誰にも従わない ~家の裏の第零迷宮から世界を攻略する~  作者: HATENA 
第二十三章 すべての迷宮の先

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第百十六話 星の数だけ

 黒い壁の向こうに、床はなかった。


 暗闇へ浮かぶ無数の入口が、近づいたり離れたりしている。石の門、土に開いた穴、地下鉄の階段、用水路の隙間。どれも現実にある通常迷宮だった。


 人が立てる場所は、入口から垂れた細い線だけだ。


「先へ行く前に肩を見せて」


 灯さんが俺の胸当てを引いた。


「ここで脱ぐのか」


「床がないところでやる?」


「床のないところではやらない」


「脱いで」


 さっきと同じやり取りだったが、痛みは同じではない。


 固定テープを剥がすと、左肩の傷から新しい血が流れた。布の下に溜まっていた分が二筋、腕を伝う。


「今ここで縫い直せる?」


 千紘が聞く。


「今は無理。端がもう脆い」


 灯さんは傷を寄せず、厚いガーゼを当てて圧迫する。


「止血だけ。腕は下げたまま」


「分かった。腕は上げない」


「次も肩を使うつもりでしょ」


 否定できなかった。


 灯さんは返事を待たず、胸当ての留め具を一つ外した。左側だけ緩くなり、腕を上げても保護板が傷を擦らない。


「その代わり、防御は落ちたから」


「防御が落ちるのは困る」


「肩を残す方を選んだの」


 神崎さんが黒杭を下ろす。


「前は俺が受ける。今度こそ後ろにいろ」


「前に床がないです」


「できたらの話だ」


 千紘が小さく笑い、すぐ暗闇へ目を戻した。


 左手の受信器は鳴り続けている。


 二回、三回、五回。


 今は八回も混じった。


「また増えてる」


「向こうの人数が?」


「たぶん。同じ入口から返る回数」


 千紘は耳当てを外さない。


 左手を握ったまま、指先で振動を分けている。


 俺も表示を開いた。


 未配分は百六十。


 さっきの一撃で、速さが足りなかったわけではない。


 右が見えないことも、左肩を上げられないことも、数字を配れば消えるわけではない。


 それでも、触れたあとに線を保持する時間は必要だった。


 筋力と耐久へ四十。敏捷へ三十。器用へ二十。感覚へ十。精神へ二十。


――――――――――


能力値を配分しました。


筋力:1,620 → 1,740

耐久:1,920 → 2,040

敏捷:1,550 → 1,625

器用:800 → 840

感覚:480 → 495

精神:1,025 → 1,075


最大HP:4,900 → 4,960

最大MP:1,580 → 1,600


現在HP・MPは回復しません。

未配分能力値:0


――――――――――


 HPは三千八百、MPは七百六十のまま。


 千紘は俺の配分を覗かず、自分の表示へ指を動かしていた。


 筋力へ十。耐久、敏捷、器用、感覚へ二十ずつ。精神へ三十。


――――――――――


能力値を配分しました。


筋力:200 → 210

耐久:490 → 510

敏捷:630 → 660

器用:780 → 820

感覚:1,075 → 1,125

精神:880 → 940


最大HP:3,720 → 3,780

最大MP:1,320 → 1,340


現在HP・MPは回復しません。

未配分能力値:0


――――――――――


「精神に十多く振った」


「聞こえないふり、難しいから」


「聞こえないふりなのか」


「全部を聞くよりはまし」


 千紘の現在HPは三千百二十、MPは千六十。


 数値を閉じても振動は止まらない。暗闇の入口が一つ光り、次にその隣も光った。受信回数が増えた入口から順に、細い線が太くなっていた。


「収容した人数が道になる?」


 ノアが一番近い穴へ手を伸ばす。


 土の入口から垂れた線は、指一本分しかない。


「その線には触るな」


 薫が右腕を掴んだ。


「触らないって分かってる」


「今、触ろうとした」


「熱を見ようとしただけ」


「それを触るって言う」


 ノアは手を引いたが、薫の腕を振りほどかなかった。


 十四人のうち、年配の女が二人の横を通る。


「それ、私がつないだところ」


 細い線の前で膝をついた。


 入口の奥には、石造りの小部屋が見える。壁際に干した草が束ねられ、木の寝台が五つ並んでいた。


「四人残ってるって言ってたな」


「ええ、そうです」


 女が線へ手を置く。


 入口の光が五回、明滅した。


 暗闇へ垂れていた線が板ほどの幅へ広がる。


「私を入れて五人です」


「元の世界へ戻るのか」


「戻らない。まだ」


 女は入口の向こうへ声をかけた。


 知らない言葉だった。


 少しして、寝台の間から子供が顔を出す。


 女は笑わない。


 何か短く言い、手のひらをこちらへ見せた。


 子供も同じように手を上げる。


 線の幅は消えなかった。


「つながってる人が両側で認めれば、太くなる」


 エルマーが透けた半身を押さえながら近づく。


「中枢の生存記録とは違う。保持しているのは人数ではなく、互いの照合です」


「一人ずつ核を割り当てなくていい」


「ええ。ただし、片側だけで登録すれば、また管理記録になります」


「向こうの人も選ぶ必要がある」


「選べる状態の者は」


 言い方が引っかかった。


「選べない人は?」


 エルマーはすぐ答えなかった。


 病室で眠ったままの人。


 迷宮へ身体の大半を固定され、声を出せない人。


 六万二千三百九十七人の全員が、今ここで手を上げられるわけではない。


「代理で決めるなって話なら、また止まるぞ」


 神崎さんが言う。


「ここでは止めません」


 灯さんは十四人の処置を続けたまま答えた。


「返事できない人を置いて進むとも言ってない」


「じゃあ、どうやって進める」


「返事が来るまで待てるようにする」


 灯さんは腹を押さえていた男の服を切った。


 皮膚には傷がない。


 代わりに腹の中で、迷宮核と同じ青い光が弱く脈打っていた。


「この人たちの身体、もう中枢だけで保ってたわけじゃない。切ったあとも止まってない」


 男が息を吐く。


「俺の核に、眠ってるやつも二人いた」


「向こうから返事は」


「ない。でも、切る前と同じ音が残ってる」


 千紘がしゃがみ、男の腹へ触れずに耳を傾けた。


「三人分ある。一人だけ速い。二人はずっと遅い」


「選べない二人を置いてきた?」


 灯さんが聞く。


「置いてきたくなかった。だから俺の線に重ねた」


 正しかったのかは誰にも分からず、本人たちが望んだかも聞けない。けれど、二人の脈は消えていない。


「返事を待てる保留を作る」


 俺は暗闇の入口群を見る。


「選べる人は両側で照合する。返事がない人は、今の生命維持をそのまま通常核へ移す。統合も移送も確定しない」


「いつまで待てる」


 薫が聞く。


「起きるまで。別の方法ができるまで」


「つないだ核が壊れたら?」


「ほかの自立核から支える」


「その核が全部壊れたら」


「全部壊れる前に直す」


「それ、答えになってない」


「答えじゃないのは分かってる」


 薫は銃を拾わなかった。


 黙ったまま、千紘の左手を見ている。


 振動が変わった。


 三回、短く一回。救助終了の合図が、世界中から重なる。


 すべてが終わったという意味ではない。各地で、今できる移し替えが終わっただけだ。


 星のような入口から、太さの違う道が中央へ伸びる。


 一人分、五人分、数百人分。返事のない者を保留した灰色の道も、切られずに残っていた。


 道は一枚の床にはならず、隙間だらけのまま暗闇の奥へ続いている。


「これを渡るのか」


 神崎さんが黒杭を持ち上げた。


 足元にいたガルが、先に一歩を置く。


 最も細い線だった。


 前脚が沈む。


 すぐ隣から、青白い大きな手が伸びた。


 フロストジャイアントの一体が、掌を線の下へ差し込んでいる。


 命令は外れている。支えろと頼んでもいない。


 ガルは巨人を見上げ、手の上を通った。


 残り三体も別の隙間へ腕を渡す。


 十四人が歩き始めた。誰かが先頭を決めたわけではない。


 年配の女は自分の入口前へ残り、子供と話を続ける。腹を押さえた男は灯さんの肩を借りながら進み、蓮は灰色の保留線へチョークで印をつけた。


 薫とノアはエルマーを挟まなかった。


 透けた男の前を歩き、足が止まったときだけ振り返る。


 俺たちも、靴幅ほどしかない線の道へ乗る。


 右側が見えず、足先を置くたび暗闇へ半分はみ出している気がした。


 千紘は手を貸さず、一歩前を歩き、右へ穴があるときだけ踵で二度鳴らす。


 俺はその音へ足を寄せた。


 道の途中で、右手首が震えた。


 直人からの信号ではない。


 千紘も送っていない。


 道の先に、無数の入口から伸びる線を翼へ巻きつけた巨大な影がいた。


 四本の脚と長い首。角は左右で形が違い、鱗の隙間に線路、枝、道路、氷、海面が浮かんでは消える。


 ドラゴンだった。胸の中央へ、十一個の核を収める窪みがある。


 窪みはすべて空だった。黒い翼が開き、線の道が揺れた。


 神崎さんが俺より前へ出ようとする。


 ドラゴンは攻撃せず、長い首を下げて俺へ頭を垂れた。


――――――――――


終端管理個体《世界杭統括竜》が適合者を確認しました。


対象情報

種族ランク:未判定

個体分類:最終管理個体

レベル:120

HP:250,000/250,000

MP:80,000/80,000

筋力:18,000

耐久:22,000

敏捷:15,000

器用:9,000

感覚:13,000

精神:20,000


適合者:大月在真

種族:《真竜人》


全迷宮管理権限を継承しますか。


承認後、通常迷宮を含む全存在へ命令可能となります。


――――――――――


 どの能力も、真竜人になった俺の数値を大きく上回っている。筋力だけでも十倍を超えていた。それでも竜は牙を向けず、俺へ頭を下げていた。


 星の道が、俺の足元だけ太くなった。

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