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現実世界にダンジョンが現れたが、俺は誰にも従わない ~家の裏の第零迷宮から世界を攻略する~  作者: HATENA 
第二十二章 最終攻略隊

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第百七話 入口に残る人

 最初に黒壁を越えたのは、ガルだった。


「待て」


 神崎さんの声にも止まらない。開ききっていない隙間へ身体を入れ、尾まで向こうへ消えた。


 すぐに鼻先だけが戻ってくる。


「見てきたのか」


 ガルは答えず、俺の胸当てを噛んだ。引くのではなく、留め具の横へ歯を当てている。


「これ?」


 直人がしゃがみ、胸当ての脇を押した。朝まで使っていた予備の保護具に、黒い樹脂板が一枚増えている。閉鎖前に第零迷宮から持ち出せた端材を、直人が手で削って左肩へ重ねたものだ。


「痛いとこ、ずれてない?」


「少し当たる」


「先に言え」


「今つけたから分かった」


「昨日も寸法取っただろ」


「昨日より腫れが引いた」


 直人が留め具を外し、樹脂板の穴を一つずらした。


 ガルはもう口を離している。


「お前の方が先に気づくの、腹立つな」


 鼻を鳴らし、また黒壁の向こうへ入った。


「ガルは入る、と」


 東條さんが名簿へ書く。


「今ので決めるんですか」


「本人がもう入りました」


「戻ってきたけど」


「鼻だけです」


 名前の横には、所属も役職もない。迷宮獣、ガル。それだけだった。


「次、決めるぞ」


 神崎さんが言う。


 全員の返事を集めてから決める時間はない。だからといって、神崎さんが順番を割り振るわけでもなかった。


「俺は入る。外の救助指揮は村瀬へ渡した」


 端末を見せる。村瀬さんから返ってきていたのは、長い了解文ではなかった。


『帰路はこっちで作る。そっちで勝手に残るな』


「同じこと言われてますね」


「お前には親父さんがいるだろ」


「神崎さんにも村瀬さんがいる」


「あいつは親父じゃない」


 少し離れたところで、父が笑った。


 神崎さんは聞こえなかったふりをして、救助ロープを確認する。


「退路標示が終端の層でも残るか試す。残らなければ、道具だけで戻す」


「退路標示が戻らなかったら?」


 灯さんが聞いた。


「その判断をするために、お前がいる」


「それ、私が入る前提?」


「入らないのか」


「入るよ。聞き方が嫌」


 灯さんは医療用の背負い袋を地面へ下ろし、中身を半分出す。輸液、固定具、消毒、縫合用品。迷宮内で使える量には限りがある。


「こっちは置いてく。入口で使う方が多いから」


「灯さん、避難所は」


「交代してきた。全迷宮が消えるかもって聞いて、一晩で治してほしい人、まだ並んでる」


 袋へ残したのは、止血と搬送に使うものが中心だった。


「向こうで治療槽が使える可能性は?」


 レオンが聞く。


「使えても先に患者を見る。攻略者用って決まってないから」


「在真を先に診てください」


「本人がちゃんと申告したらね」


 俺を見ずに言った。


 名簿へ三人目が加わる。


 レオンは自分の樹脂板を一枚ずつ外していた。首から下げていた十二枚を、三枚まで減らす。


「何を置いていくんですか」


 東條さんが聞く。


「私が死んだあとも必要な記録です」


「聞き方を変えます。何を持っていきますか」


 レオンの手が止まり、残した三枚を裏返す。


 一枚目には、エルマーの写真。


 二枚目には、世界杭と通常迷宮の線を分けた手書き図。


 三枚目には、名前だけが並んでいた。


 マティアス。


 イングリッド。


 エイダ。


 オーウェン。


 雨宮灯。


 三枝千紘。


 大月在真。


 ガル。


「記録です」


「人の名前だ」


 直人が言う。


「今は、同じものです」


「それ言うとまた怒られるぞ」


「誰に」


「書いてある全員」


 レオンは名前を見直し、樹脂板を首へ戻した。


「では、怒られに入ります」


 四人目。


 東條さんは自分の名を記入しなかった。


「私はここに残ります」


「各国との連絡?」


「それだけなら代われます」


 折り畳み机の下から、黒い箱を出す。終端迷宮入口へつながる物理閉鎖装置だった。第零迷宮が自動で閉じなくても、物置ごと耐火壁を落とせる。


「内部から世界統合へ変更された場合、入口を封鎖します。止められる保証はありません」


「俺たちが変えたら?」


「理由を聞きます。通信できなければ、変更された事実だけで閉じる」


「最初から信用してないんですね」


「信用と、閉じる手段を残すことは別です」


 東條さんは俺を見た。


「それでいいです」


 笑う場面ではなかった。


 けれど、少しだけ口元が動いた。


 直人は名簿へ近づかない。


「俺も外に残る」


「入らないのか」


「昨日、お前が触った十秒で機械の方が先に答えを出しただろ。中に持っていくより、世界中に置いてある七百台を使う」


「海外に置いた分も動いてるのか」


「正規品はな。コピー品まで含めたら、たぶん倍以上」


「把握してないの?」


 千紘が聞く。


「勝手に真似されたやつだから。ネジの位置まで違う」


「それ、ちゃんと鳴るの」


「鳴らす。壊れたら、そこの人に叩いてもらう」


 直人は千紘へ、小さな受信器を渡した。イヤホンへ直接つなぐものではなく、手のひらに振動を伝える薄い板だった。


「耳だけで拾うと頭痛いんだろ。手でも分けられるようにした」


「いつ作ったの」


「昨日の夜中」


「試した?」


「一応、俺の手では」


「それ、試したって言わない」


 千紘は受信器を返さず、左手袋の内側へ入れて指を二度曲げる。


「強い。半分にして」


「今ここで?」


「今しかない」


 直人は小さな工具で裏蓋を開けた。


 同じ形のもう一枚を、俺へ投げる。


「大月は右。二枚で打った振動も拾う」


 右手首のバンドへ差し込んだ。握ると、千紘の手袋から送られた二回が皮膚へ返る。誰が入るか決める間にも、装備はまだ完成していない。


 千紘は自分の名前を名簿へ書いた。俺の次でも最後でもない、空いていた五行目に自分で書いた。


「大月さん」


 東條さんがペンを差し出す。


「俺は聞かれないんですか」


「聞く必要がありますか」


「一応」


「入りますか」


「入ります」


 六人目。


 在真、千紘、神崎さん、灯さん、レオン、ガル。


 名前を書いた順番と、向こうで歩く順番は違う。


 父と目が合った。


 何か言われる前に、俺から口を開く。


「行ってくる」


「帰ってこい」


「帰る」


「帰ったら何をする」


「指輪を取りに行く。一週間後だ」


 父は俺の左肩を避け、胸当ての中央を拳で一度押した。


「店が一週間後もあるようにしてこい」


 返事をすると、うまく言いすぎる気がした。


 だから頷くだけにした。


 黒壁の向こうから、ガルが低く吠える。


 直人が受信器の裏蓋を閉じた。


「出力、半分にした」


 千紘が握る。


「まだ強い」


「もう行け。中で布巻いて調整して」


「雑」


「時間ない」


 東條さんが時計を見る。


「十六時二分。外部との通信試験は進入後三十秒で行います」


 神崎さんが先へ出ようとする。


 千紘が腕をつかんだ。


「ガルが戻ってこない」


「先で待ってる」


「足音が遠ざかってる」


 俺たちは黒壁を越えた。


 そこに、昨日までの階段はなかった。


 地面は駅のホームだった。


 天井から樹海の根が下がり、その間を首都高速の標識が横切っている。足元の黄色い線より低い場所には灰色の海があり、遠くで氷原の黒い環が回っていた。


 全部を並べた景色ではない。一歩ごとに、どれかが前へ出てくる。


 ホームへ足を置けば発車ベルが鳴り、根を避けると身体の下が横へ変わる。標識の矢印へ視線を移しただけで、灰海が膝の高さまで上がった。


「入口!」


 神崎さんが振り返る。


 東條さんたちのいる庭は、まだ見えていた。


 距離は三歩ほど。救助ロープを投げる。


 ロープの先は庭へ届かず、途中で雪へ埋まった。


 神崎さんが《退路標示》を使う。


 ホームの床へ、黄色い矢印が浮かんだ。


 入口を向いていない。


 ガルが進んだ奥を示している。


「帰路じゃない」


 神崎さんが矢印を踏まずにしゃがむ。


「戻るための道を出した」


「終端の方が、戻る場所を決めてる」


 千紘は左手の受信器を握った。


「外、鳴ってる」


「聞こえる?」


「手なら。耳は別の音が多すぎる」


 東條さんの姿が、黒い膜の向こうで揺れる。


 三十秒にはまだ早い。


 それでも直人は、もう中継器を鳴らしていた。


 三回。短く一回。


 救助終了の合図。


 入ったばかりなのに。


「違う」


 千紘が受信器を握り直す。


「これ、東山じゃない。同じ打ち方が、何百個も重なってる」


 灰海の下で何かが動いた。


 ゴブリンの短い腕。


 スライムの膜。


 サハギンの背鰭。


 白いスケルトンの指。


 別々の迷宮にいたものが、水面のすぐ下へ押し込まれている。


 どれもこちらを見ず、奥へ向かって互いを踏み越えながら泳いでいる。


 その先にガルがいた。黒い柱へ前脚をかけ、首だけをこちらへ向けている。


 柱には二つの入口が開いていた。一つは、太い黒線が下へ続く道。もう一つは、無数の魔物と通常迷宮の線が流れ込む道。


――――――――――


終端迷宮 第一分岐


《世界杭中枢路》

《通常迷宮固有核路》


両経路の同時維持が必要です。


一方が停止した場合、攻略方針は失敗します。


――――――――――


「いきなり分かれろってこと?」


 灯さんが医療袋を背負い直した。


 ガルは二つの道の間から動かない。俺たちが来る前に、どちらへ行くか決めていなかった。

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