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【完結】私の婚約者は優秀なのですが、ときどきどこかおかしい〜人と熊を対立させて、一番得をするのは鮭だったようです〜  作者: 木風


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第七話 アライグマの陰謀

王宮の東屋。

ここに来たいのか、来たくないのか。

ベアトリスは、今日こそ穏やかに紅茶を飲めると思っていた。


薔薇は美しく、風は穏やか。

焼き菓子は香ばしい。


そして婚約者のオスヴァルトは、分厚い資料を抱えてこちらへ歩いてくる。

穏やかな時間は早くも終わりを告げる。


「ベアトリス」

「はい」

「王都近郊の空き家問題について、どう思う?」


ベアトリスはカップを置いた。

珍しくまともな話題だった。


「管理されていない屋敷や納屋が増えると、治安にも衛生にも悪影響がございますわね」

「その通りだ」


オスヴァルトは重々しく頷いた。


「そしてそこに入り込む者がいる」

「浮浪者や犯罪者でしょうか」

「違う。アライグマだ」


やっぱり。

ベアトリスは微笑んだ。

完璧な淑女の微笑みである。

内心では、またですのね、と思っている。


「アライグマが空き家に入り込む、ということですの?」

「そうだ」

「それは困りますわね」

「困るどころではない」


オスヴァルトは資料を広げた。

王都近郊の地図に赤い印がいくつも付いている。


「これは?」

「アライグマの出没地点だ」

「随分と住宅地に近いですわね」

「そうだ」


オスヴァルトは声を潜めた。


「彼らはただ山から下りてきたのではない」

「では?」

「物件を選んでいる」

「物件」

「そうだ」

「アライグマが?」

「アライグマが」


ベアトリスはそっと目を閉じた。

始まってしまった。


「彼らは空き家に忍び込み、屋根裏や床下に住み着く」

「ええ」

「人間が気付いた時には、すでに占拠済みだ」

「それは困りますわね」

「つまり実効支配だ」

「違いますわ」

「不法占拠だ」

「そこは少し合っておりますわ」

「そして次に彼らは、周辺物件の価値を下げる」


ベアトリスは目を開けた。


「なぜですの?」

「アライグマが出る家に住みたい者はいない」

「まあ、そうですわね」

「すると周辺の地価が下がる」

「はい」

「そこで彼らは安く買い叩く」

「買いませんわ」

「買う」

「買わんて」

「買う」

「どのように?」


オスヴァルトは一瞬黙った。

そこは考えていなかったらしい。

しかしすぐに真顔で言った。


「代理人を立てる」

「誰を?」

「タヌキだ」

「違う動物が出てきましたわ」

「外見が似ているからな。身元を偽装しやすい」

「似ておりませんわ」

「遠目には似ているし、たぬきは化けるだろう」

「不動産契約は遠目でしませんわ」


オスヴァルトは少し考えた。


「では、書類係はハクビシンにする」

「増やさないでくださいませ」


ベアトリスはこめかみを押さえた。

猿の次はアライグマ。

そして今、タヌキとハクビシンまで参入しかけている。

このままでは王都の不動産業界が動物だらけになってしまう。

もちろん、オスヴァルトの頭の中だけで。


「オスヴァルト様」

「何だい?」

「そもそも、なぜアライグマが不動産を欲しがるのです?」

「家賃収入だ」

「家賃収入」

「不労所得だ」

「アライグマが?」

「アライグマが」


ベアトリスは紅茶を飲んだ。

少し冷めていたけれど、美味しい。

恐らく、侍女が冷めても美味しい茶葉を探してくれたのだろう。


「彼らは可愛い顔をしているから、人間は油断する」

「確かに、手を洗う仕草は可愛いですものね」

「そこが危険だ」

「可愛いことが?」

「可愛さは武器だ」


オスヴァルトは真剣だった。


「人間は可愛いものに弱い。可愛い顔で近づき、空き家を占拠し、地価を下げ、代理人を使って物件を買収し、最終的には王都近郊の土地を支配する」

「随分と長期計画ですわね」

「不動産は長期戦だ」


妙に正しいことを言うから、困ってしまう。

その時、侍従が慌てた様子で東屋へやってきた。


「殿下」

「何だ」

「北門近くの倉庫で、小動物が入り込んだ形跡が見つかったとの報告がございます」


オスヴァルトの目が鋭くなる。


「特徴は?」

「黒い縞のある尾が見えたと」


オスヴァルトはゆっくりと立ち上がった。


「来たか」

「来てませんわ」

「買収の第一歩だ」

「倉庫に入っただけですわ」

「倉庫は物流の要」

「また物流ですの?」

「リスで学んだからな」

「学ばなくてよろしいですわ」


オスヴァルトは資料に新たな赤い印を付けた。

北門倉庫。

占拠疑惑。

さらにその横に、小さくこう書き加える。


要調査。

タヌキ関与の可能性。


「タヌキから離れてくださいませ」

「いや、外部協力者の可能性は捨てきれない」

「捨ててくださいませ」

「ベアトリス」


オスヴァルトは真剣な顔で彼女を見た。


「敵は思った以上に巧妙だ」

「そうですわね」

「可愛さ、空き家、地価、代理人」

「並べると嫌な言葉ですわね」

「そして不労所得」

「急に現実的ですわ」


オスヴァルトは深く頷いた。


「だからこそ、今のうちに手を打たねばならない」

「どのような?」

「まず、王都近郊の空き家調査を行う」


まともだった。


「それはよろしいと思いますわ」

「次に、屋根裏への侵入経路を塞ぐ」

「それもよろしいですわね」

「そして、アライグマの資産状況を把握する」

「最後で台無しですわ」


オスヴァルトは不思議そうに首を傾げた。


「必要だろう?」

「必要ありませんわ」

「土地を持たれてからでは遅い」

「持ちませんわ」

「持つかもしれない」

「持たんて」

「では、持った時は?」

「その時は税を徴収してくださいませ」


オスヴァルトが固まった。

そして、ゆっくりと目を輝かせる。

しまった……ベアトリスは自分の失言に気付くが、時すでにお寿司。


「なるほど」

「違いますわ」

「アライグマ課税」

「違いますわ」

「これは新しい財源になる」

「なりませんわ」

「王国初の外来不動産税だ」

「絶対に議会へ出さないでくださいませ」


オスヴァルトは真剣にメモを取り始めた。

ベアトリスは天を仰いだ。

この人は、ときどき本当に危険である。

妙な方向に有能だから。


「オスヴァルト様」

「何だい?」

「今日の議題は、ここまでにいたしましょう」

「なぜ?」

「これ以上進めると、アライグマに納税通知書を送ることになりますわ」

「それは少し気が早いな」

「早い遅いの問題ではありませんわ」


ベアトリスは立ち上がり、彼の手から羽ペンをそっと取り上げた。


「今はまず、空き家の管理と、民への注意喚起。それだけで十分です」


オスヴァルトは彼女を見つめた。

少しだけ、表情が和らぐ。


「君がそう言うなら、そうしよう」

「ええ」

「だが、アライグマが納税義務を負う可能性は残しておく」

「残さないでくださいませ」

「検討事項だ」

「忘れてくださいませ」

「分かった。今日のところは忘れよう」


オスヴァルトは小さく笑った。

今日のところは。

不穏な言葉だった。


その日の夕方。

王宮の掲示板には、空き家管理の徹底と、小動物侵入への注意を呼びかける正式な通達が貼り出された。

内容は極めてまともだった。

ただし、オスヴァルトの執務机の引き出しには、別の草案が残されていた。


題名は、


『アライグマによる不動産買収および課税可能性に関する暫定報告書』


その余白には、小さくこう書かれていた。

タヌキの関与、要再調査。

多分、まだ終わっていない。

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