第五話 鮭の陰謀再び
王宮の東屋。
いつもなら近くにくると香るはずの紅茶の香りがしなかった。
その代わり、壁一面に資料が貼られていた。
そして意味不明な矢印。
ベアトリスは東屋の入口で立ち尽くした。
地図。
図表。
メモ。
カラス。
鳩。
リス。
「……何をなさっているんですの?」
オスヴァルトは振り返った。
その顔には三日ほど徹夜した学者のような迫力があった。
「ついに真実へ辿り着いたんだ。座って聞いてくれるか」
座ったら嫌な予感が確信に変わってしまう。
「嫌ですわ」
「お願いだ」
婚約者にそこまで言われると弱い。
ベアトリスは席につくと、オスヴァルトは壁を指差す。
「まずカラス」
「はい」
「彼らは情報を集める」
「ええ」
「次に鳩」
「ええ」
「情報を運ぶ」
「ええ」
「リス」
「木の実を集める」
「その通りだ」
オスヴァルトは大きく頷いた。
「では共通点は?」
ベアトリスは少し考えた。
「……集めることでしょうか」
「そう!」
オスヴァルトは机を叩いた。
「集めるんだ!」
それくらいは分かる。
「そして彼らは皆、ある場所へ向かう」
オスヴァルトは王国全土の地図を広げた。
そこには大きな青い線。
川。
「川ですわね」
「そうだ」
オスヴァルトの声が低くなる。
「全ては川へ繋がっている」
ベアトリスは静かにカップを持ち上げた。
もう答えは分かっている。
「それで?」
「気付かないか?」
「気付いておりますわ」
オスヴァルトは目を見開いた。
「本当か!?」
「ええ」
もはや説明は不要だった。
ベアトリスは紅茶を飲むと、ゆっくりと口を開く。
「鮭ですわね」
「なぜ分かった?」
「経験ですわ」
鮭だけに。ってやかましいわ。
オスヴァルトは感動したように目を潤ませた。
「流石だ……」
「ありがとうございます」
「君は僕の思考に追いついた」
「不本意ですわ」
オスヴァルトは壁の中央に貼られた一枚を指差した。
そこには見事な鮭の絵。
妙に上手い。
「全ての事件の黒幕」
「鮭ですわね」
「鮭だ」
二人の意見が一致した。
珍しいことである。
「カラスは情報収集」
「ええ」
「鳩は通信網」
「ええ」
「リスは資金調達」
「ええ」
「そして鮭」
オスヴァルトは声を潜めた。
「指揮系統だ」
ベアトリスは頷いた。
もうここまで来ると否定する意味がない。
「鮭連合ですわね」
「その通り」
オスヴァルトは興奮で震えていた。
「彼らは数十年をかけて王国内部へ浸透している」
「恐ろしいですわね」
「まず食文化を支配した」
「ムニエル」
「そう」
「カルパッチョ」
「そう」
「塩焼き」
「そうだ」
二人は真顔だった。
端から見たら完全に変人である。
オスヴァルトは東屋の外を見る。
「そして人々は鮭を愛するようになり、気付けば皆、鮭を歓迎している」
「確かに」
「これが侵略でなくて何だ」
「侵略ですわね」
「だろう?」
オスヴァルトは嬉しそうだった。
その時、近衛騎士が飛び込んできた。
「殿下!」
「何だ!」
「大変です!」
オスヴァルトが立ち上がる。
ベアトリスも少しだけ緊張した。
「北方の川で大量の鮭が遡上しております!」
「始まったか……」
「始まりましたわね……」
オスヴァルトは天を仰ぎ、二人は同時に呟いた。
騎士だけが意味不明そうな顔をしている。
「さらに!今年は例年より豊漁とのことです!」
オスヴァルトは静かに目を閉じた。
「兵力増強か」
「兵力増強ですわね」
ベアトリスも頷いた。
あれだけ気を付けていたにもかかわらず、気が付けば完全に毒されていた。
「至急、対策会議を開く。ベアトリス、来てくれるか?」
オスヴァルトはマントを翻すと、ベアトリスは立ち上がった。
「当然ですわ。私はあなたの婚約者ですもの」
オスヴァルトの顔が少し赤くなる。
「ありがとう。これほど心強いことはない」
「ですが条件があります」
「何だい?」
ベアトリスは彼の耳元で囁いた。
「会議のあとは、私とのダンスですわ」
オスヴァルトは少しだけ考えた。
そして力強く頷く。
「ああ、もちろんだ。鮭対策より優先しよう」
彼はベアトリスの手を取ると、二人は並んで歩き出す。
その背後。
机の上に置かれた最後の資料が、風でめくれた。
そこには大きな文字でこう書かれていた。
『鮭連合・組織図(暫定版)』
最上段。
【大鮭老】
その下。
【中鮭】
【若鮭】
【新巻鮭】
そして一番下。
【しらす(研修中)】
多分、もう誰にも止められない。
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