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【完結確約!】スターマイン・シンドローム~東京、二万発の写し手〜  作者: 吉良カンタ


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第二話 消し手が来る

「――今!」


隼さんが、蕾の火花を、指先で弾いた。

 ぱっ、と玄関ガラスの向こう、歩道の上空に、直径三十センチの赤い小花火が咲いた。黒いスーツの影が、目を押さえて、よろけた。


「走れ、三浦!」


私は、走った。

 非常階段の三階から、一気に一階まで。膝はとっくに笑っていたけど、隼さんに手首を掴まれているので、止まれなかった。手すりに指先が触れるたび、そのたび小さな花火がひとつ、階段に落ちた。赤、青、金、紫、白、銀、紫、紫、紫。


「私、花火、撒き散らしてませんか」

「撒いてる」

「まずくないですか」

「まずい。追手への目印になってる」

「止められないです!」

「だろうな」


一階のロビーを、斜めに横切った。深夜のロビーは無人で、警備員の詰所も消灯していた。玄関の外で、消し手だった男が、まだ目を押さえていた。三秒が、まだ続いていた。

 ガラス扉を、隼さんが蹴り開けた。タクシーが停まっていた。


「乗れ!」


私を後部座席に押し込み、隼さんが助手席に飛び乗った。運転手が振り向かないまま、車を出した。顔は見えなかった。運転手もきっと、火工庁の人間なんだと思った。


「レインボーブリッジ経由で、芝方面」

「承知」


車が走り出す。後ろを振り返ると、歩道の消し手が、ようやく目を開けて、走り出すタクシーの方に手を伸ばそうとしていた。間に合わなかった。

 私は、助手席の隼さんの肩越しに、彼の右手を見た。線香花火は、すでに燃え尽きていた。黒く焦げた竹ひごだけが、彼の指先に残っていた。


「……それで、一本、使っちゃったんですね」

「蕾は三秒しか持たない。仕方ない」

「予備、ありますか」

「胸ポケットに、あと四本」


隼さんが、スーツの胸ポケットを、ぽんと叩いた。四本。今夜、これから使える線香花火が、四本。



「隼さん」

「隼でいい」

「……隼さん」

「なんだ」

「私、これからどうなるんですか」

「東京タワーに着けば、説明する時間がある。それまで、一つだけ覚えとけ」

「はい」

「夜景を、見るな。網膜に映った光が、全部お前の中に写る。花火大会で二万発写した上に、東京の夜景をまるごと写したら、君の体は持たない」


私は、窓の外を見ていた。レインボーブリッジの手前、芝浦の夜景が、海側の窓一面に広がっていた。

 ――あ。

 目を逸らす前に、見てしまった。ビルの赤いランプ、遠くの観覧車の青い光、高速道路のオレンジの街灯。それが全部、私の体のどこかで、ぽん、ぽん、と花になって咲いた。


「隼さん、ごめんなさい、見ちゃいました」

「どのくらい」

「たぶん、三十発くらい」

「……車の中で咲かせるなよ」

「我慢します」


我慢、できる気がしなかった。体の中が、熱い。肺が膨らむたびに、肺の中で花火が回っている感覚。指先で熱を逃がしたいけど、手を開けば、車内で花火が咲く。

 私は、両手をきつく握りしめた。掌の中で、小さな花火が潰れて消えた。熱が、もう少しだけ、楽になった。


「……隼さん。さっき、歴史上いないって言いましたよね。二万発、一人で受け止めた写し手」

「言った」

「私、そんなに変ですか」

「変だ」

「……」

「普通の写し手は、一晩で五発が限界だ。ちょっと筋のいいやつで十発、優秀で数十発。戦後でも、百発を超える写し手は五人しかいなかった。君の二万発は――桁が、違う」

「……桁」

「日本中の花火大会を、君一人で回れる。一年ぶんの紋様を、君一人の体に溜められる。それが、どういう意味を持つか、分かるか」

「……分かりません」

「分からないでいいから、今は走れ」


走れ、と言われても、車に乗っているんだけど。私は反論しなかった。窓ガラスに額をつけて、目を閉じた。夜景を見るな、と言われたから。

 でも、瞼の裏で、さっき見た三十発が、まだ回っていた。



 レインボーブリッジの上に差しかかったとき、タクシーが急ブレーキをかけた。前方の路上に、一人の男が立っていた。

 スーツ。黒いネクタイ。年齢は四十くらい。右手に、銀色のライターのようなものを持っていた。


「……早いな、黒淵さん」


隼さんが、低く言った。助手席のドアを開けて、降りた。私も慌てて後部座席を降りた。タクシーは、私たちを置いて、そのまま走り去った。

 黒淵と呼ばれた男は、静かに笑った。


「火工庁・第三課の黒淵だ。三浦紫織里さん、ですね」

「……はい」

「記憶の、処理に来ました」

「記憶?」

「花火大会で異能を発現したこと。天神と接触したこと。今夜のすべて。忘れていただきます。手続きですので」


男の声は、区役所の窓口みたいに、事務的だった。でも、事務的なのが、かえって怖かった。


「……天神さんは、走れって」

「天神は、若いですから。手続きを飛ばしがちです」

「黒淵さん」


隼さんが、間に入った。


「処理は、本人の同意の上で行う手続きです。承諾なしに執行はできない」

「書類は後で作る」

「規則違反だ」

「規則は、誰のためにある?」


黒淵が、銀色のライターを、ゆっくりと掲げた。

 それは、ライターじゃなかった。筒状の金属に、小さな吸い込み口。花火の煙を吸い込むための、専用の道具。〈消し手〉の装備。

 吸い込み口が、レインボーブリッジの夜景に向けられた。

 ふっ、と、橋の一部の光が、消えた。

 街灯、ビルの窓明かり、高速道路のオレンジ。その辺り一帯の光が、音もなく吸い込まれていった。夜景が、穴を開けられたように、黒くなった。


「……何、しました」

「光を、吸いました」


黒淵が、淡々と答えた。


「花火も、夜景も、発光している限り、私は吸える。三浦さん、あなたの体内の花火も、同じです」

「え」

「消しますよ。二万発、全部」


私の背中を、冷たいものが伝った。ただ記憶を消されるだけじゃない。体の中の花火を吸い取られたら――私の体は、からっぽになる。物理的に、どうなるかは、わからない。

 隼さんが、胸ポケットから、新しい線香花火を一本抜き出した。左手でライターを取り出し、右手の線香花火の先端に、火を点ける。

 ぽ、と赤い小さな粒が、蕾のように灯った。


「――蕾、点いた」


隼さんが、低く宣言した。線香花火の最初のステージ。



 黒淵が、ちらりと隼さんの線香花火を見た。


「天神。蕾で、私を止められますか」

「止められない。ただ、時間を稼ぐ」

「牡丹まで待ちたいのは分かりますが、あなたのは、いつも」


黒淵の言葉の途中で、隼さんが動いた。

 線香花火の蕾を、指先で、弾いた。

 弾かれた火の粒が、空中で、一瞬、小さな赤い円に変わった。直径三十センチ。蕾のステージで展開できる、最小の花火。それが黒淵の顔の前で、ぱっと弾けた。

 黒淵が、反射的に目を閉じた。

 その一瞬。隼さんが、私の手を掴んだ。


「走る!」


レインボーブリッジの歩道側を、走った。高速道路の真ん中で、車が通らない時間帯だったのが幸いした。

 黒淵は目をやられながら、銀色の筒を振り回していた。橋の街灯が、次々と消えていく。私たちの背後から、闇が追いかけてきた。


「隼さん、蕾って、あれだけなんですか」

「蕾は、そう。小さい花火しか出せない。でも三秒稼げた」

「次のステージは?」

「牡丹。燃焼が進むと、もう一段、花が大きくなる」

「いつ進むんですか」

「線香花火が、自然に進むのを、待つしかない」


隼さんが、走りながら、右手の線香花火を見た。蕾は、まだ蕾のまま、小さな赤い粒で灯っていた。


「待つって、どのくらい」

「あと、二十秒くらい」

「二十秒、逃げきれます?」

「――たぶん、無理」


正直な男だった。私は、走りながら、自分の手のひらを見た。

 体内に溜まった二万発のうちの、ほんの一つ二つが、指先で解放を待っていた。紫の、小さな花火。


「隼さん」

「なんだ」

「私、一発くらい、使ってみてもいいですか」

「使える気があるのか」

「分からない。でも、手のひらで燃えてるのは、分かる」


隼さんが、走りながら、私の顔を見た。それから、少しだけ、笑った。


「やれ」


私は、振り返った。追ってくる黒淵に、右手を向けた。

 掌を、開いた。

 紫の、小さな花火が、掌の上で回り始めた。直径、十センチ。それを――どうやって撃ち出すのか、分からない。

 分からないまま、私は、思い切り、掌を前に突き出した。

 ぱっ。

 掌から、紫の花火が、飛んだ。

 花弁が、黒淵の顔に、降りかかった。彼が、ちょっと驚いた顔で、立ち止まった。

 止まった。それが、私に分かった。


「……止まった、隼さん、止まりました」

「上出来だ、三浦」

「紫織里でいいです」

「紫織里、もっと走れ」

「はい!」


線香花火の蕾が、隼さんの指先で、ぽたり、と下に垂れた。燃焼が進み、第二ステージ――牡丹に、差しかかっていた。

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