9 決意
ふと目を開けると、私の目尻からは涙が零れていた。
眠りながら泣いていたらしい。
「私……、生きてるの?」
痛みを感じながら手を上げると、腕には白い包帯が巻かれていた。
どこの家かは分からないけど、とりあえず誰かが私をここまで運んで寝かせてくれたようだ。
(信じられない。あの高さから川に飛び込んだのに)
ごしごしと目を擦っているとひとりでに苦い笑みが浮かんだ。
(もう搾取されるのは嫌だと思っていたのに、転生しても同じ目に会うなんてね)
しかも今世は、前世よりもひどい扱いを受けた。
マルヴィン殿下は最初から私と結婚する気なんてなく、私の祝福だけが狙いで声を掛けて来たのだ。
婚約の話を持ち出せば、世間知らずな小娘はすぐに承諾するだろうと考えて。
(完全に結婚詐欺よね……)
前世の記憶さえあれば「話がうますぎる」と疑えたのに、無知な孤児の私はまさか王子様が騙す気でいるなんて想像もしていなかった。
でも無知な自分が悪いとは全然思えない。
当時の私は十二歳の子どもだったのだ。どう考えてもマルヴィン殿下が極悪人だ。
(せっかく助かった命なんだから、今度こそ自由に生きよう。そして行きたかった海にも行こう)
もう搾取されるのは二度とごめんだ。
「そのためにも、祝福を取り消す方法を探さないとね……。ところでここは、どこなのかしら」
体を起こそうとすると、あちこちがギシギシと痛みを訴えてくる。
私は「いたた」と呻きつつ、やっとの思いで上半身を起こした。
(街の中ではなさそうね)
周囲はひどく静かで、聞こえてくるのは鳥のさえずりや風が木々を渡る音だけだ。
窓から見える景色も木の枝や葉だけだから、もしかしたら山の中かもしれない。
壁や天井は木材がむき出しで、まるで木こりが暮らす家みたいだ。
きょろきょろと室内を見渡していたら、ドアの向こうから誰かの足音が聞こえてくる。
「気が付いたのか」
ドアを開けて入ってきたのは、とても背が高い青年だった。
髪は日本人のような漆黒だけど、瞳は暗紅色でエキゾチックな印象を受ける。
でも何よりも驚いたのは、彼のひどく整った顔貌だった。
(マルヴィン殿下も綺麗な顔をしていたけど、この人もすごく目立つ容姿だわ)
精悍な顔立ちながら、肌は滑らかでまつ毛は影を落とすほど長く、どこか人間離れした美しさだと思った。
ただ服装はマルヴィン殿下のように煌びやかな衣装ではなく、白いシャツに黒いズボンとかなりラフだ。
それが彼の容姿に比べてちぐはぐしていて、どんな身分の人なのか判別しにくい。
私は多分、自覚しないままじろじろと彼を見ていたのだろう。
でも彼も私のことをじっと観察していて、まるで私の中に邪悪なものでも潜んでいないか判別しているかのようだった。
「俺のことは知らないようだな」
やがて彼はぼそりと言い、ベッドのそばに置いてあった椅子にどかっと座った。
私は彼に注意を向けつつ、密かに家の中に耳を澄ませた。
何の物音もしない。
どうやらこの家にいるのは私たちだけで、私を助けてくれたのはこの人のようだ。
「あなたが私を助けてくれたんですね。ありがとうございました」
深々と頭を下げると、彼はぶすっとした顔で言った。
「川に水を汲みに行ったら、女性が倒れていたから仕方なく助けただけだ。ほっといて死なれたら気分が悪いからな」
そして人差し指を私の方に向ける。
「悪いが、勝手に着替えさせた。きみの服はすでに乾いている。何しろきみを拾ったのは三日前だからな」
言われて自分の体を見下ろすと、私が着ているのはだぼっとした綿の服だった。
(三日も寝ていたのね。この人がいなかったら、きっと私は死んでいたわ)
「治療までしていただいて、何てお礼を言ったらいいか……」
「礼なんていらない。俺は回りくどいやり方は好きじゃないから、単刀直入に訊く。どうして川に落ちた?」
ハッとして顔を上げると、暗紅色の瞳がじっと私を見ていた。
よく見ると瞳孔は円形ではなく、猫のように縦長だ。私は蛇に睨まれたカエルのような気分になった。
(この人まさか……人族ではないの? ここはまだランドルト国内だと思うんだけど)
さすがに国境を越えるほど川を流されたとは思えないから、ここはまだランドルトの中のはずだ。
なぜ人族しかいないランドルトの中に、獣人がいるのだろう。
そんな人に私の事情を話していいんだろうか……。
何も言えずにいると、彼は私にさらに問いかけた。
「川に入るならもっと泳ぎやすい格好をすべきなのに、きみは重ね着していた。しかも靴を履いたままで。誰かに突き落とされたのか?」
「……いいえ」
私の答えで何か悟ったのか、彼は口を閉ざした。
「自分で飛び込んだのです。ご迷惑をおかけしてすみません」
「追われる身かと思って、服を室内に干したのだが……正解だったな」
彼は低い声で言うと椅子から立ち上がった。
「怪我が治ったらすぐに出て行ってくれ。……本当はランドルト人の顔なんか、見たくもないんだ」
「はい、分かりました。あなたの望む通りにいたします」
やっぱりこの人は、見た目は普通の人間に見えるけど獣人のようだ。
(ランドルト人を憎んでいるくらいだから、きっとレニアにいた人だわ)
獣人はいくつもの種族に分かれていて、私たち人族は彼らをまとめて獣人族と呼んだりする。
きっと獣人族の中には、人間そっくりの見た目の種族もいるのだろう。
マルヴィン殿下は、レニア奪還のために戦争を起こした。
レニアが何年前に獣人族に奪われたのか私はよく知らないけど、過去を知らずにレニアで暮らしていた獣人たちは、急に攻め込んできたマルヴィン殿下たちを恨んでいるに違いない。




