32 麻酔薬
フードの下から現れた顔は確かにマルヴィン殿下だったけど、痩せこけて目ばかりギラギラ光って、異様な雰囲気を放っている。
彼は私の腕を強く掴んだまま、早口で喋り出した。
「どうして、だって? お前がリジェリアなんかに逃げたから、苦労して追いかけて来たんだろうが! 竜王がランドルト人の入国を禁じたせいで、通常の何倍もの時間がかかった!」
「通常の……」
普通、ランドルトから王都グラーダまで来るには、まずレニアから入国するはずだ。それ以外の陸路は、魔獣が出る危険な森を通らねばならない。
だから正規のルートだと、レニアから約一日かけてグラーダまで到達するはずなんだけど――マルヴィン殿下はその『通常』の方法を使わなかったらしい。
私はもう一度、マルヴィン殿下の全身を眺めた。
痩せこけた顔、薄汚れた体と衣服。
「まさか……、密航したのですか!?」
ランドルトの王子であるマルヴィン殿下が、法を犯したというんだろうか。
信じられない気持ちで彼を見つめると、マルヴィン殿下はこめかみに青筋を浮かべながら怒鳴った。
「竜王のせいでな! 全く無駄な手間をかけさせやがって……! でも僕の祝福を甘くみていたのが運の尽きだ。まさか舟でここまで来るとは思ってなかっただろう? お前は前から海に行きたいと言っていたから、海辺の街に住んでいるだろうと予想したんだ。正解だったな!」
口元に笑みを浮かべながらぶつぶつと言い、私の腕をぐいっと強く引く。
「い、痛い! はなして!」
「なぁエレナ、僕が間違っていたよ。今度こそ大事にするから、僕と一緒に来い」
「嫌です! 誰か……、ジル様!」
叫んだ瞬間、上を飛んでいたウミネコが「ミャア」と鳴き、慌てたように城へ飛んでいくのが見えた。
(きっとあのウミネコが、ジル様に伝えてくれるわ……!)
ホッとしたものの、マルヴィン殿下も気づいたようで舌打ちしている。
「チッ、ぼやぼやしていたら竜王が来てしまう。仕方ないな」
マルヴィン殿下は空いている手で黒いマントを探り、何かを取り出した。ハンカチと、コルクで栓をされた液体が入った瓶だ。
彼は歯で噛んでコルク栓を開けると、中に入っていた液体をハンカチに染みこませる。
「これが何か分かるか?」
「い、いいえ……」
何となく分かるけど、口にしたくない。
(まさか、塔に残っていた薬を……)
悪い予感ほど当たるもので、彼はそのハンカチを私の鼻と口に押し付けた。
「んんっ……!」
「お前が出て行ってから、僕はあの塔をくまなく調べたんだ。残っていた瓶や缶も内容を全部確認したんだよ……。これはお前が作った麻酔薬だ。よく効くだろう?」
効くなんてものじゃなかった。
吸い込んだ瞬間から強烈な睡魔が襲ってきて、瞼が勝手に閉じていく。
「おやすみ、エレナ」
マルヴィン殿下が満足そうに言い、私は悔しさに唇を噛みしめながら意識を失った。




