28 逆鱗
それはエレナに対するあてつけであり、名を言われずとも気づいた竜王は顔をしかめる。
「わざわざ、だと?」
「はい。薬草の採取は無駄な時間です。わたくしなら瞬時に回復可能ですわ」
竜王が不機嫌になった理由が分からないミラベルは、にこにこしながら彼の腕にそっと手を沿わせた。
しかし次の瞬間、乱暴に腕を振り払われる。
「あ、あら? どうなさいました?」
「口にしてはならない言葉を言っちゃいましたねぇ」
ずっと黙っていた宰相が面白そうに言い、ミラベルはきょとんとしたまま竜王を見上げる。
本当に、何が駄目だったのか分からない。
ミラベルは真実を口にしただけだから。
(言って駄目なことなんてあったかしら? わたくしは本当のことを教えて差し上げただけよ)
竜王は凍り付きそうな冷たい眼差しをミラベルに向けている。
「お前が無駄だと言う薬は、優れた薬師が作れば何千人もの患者を救える。お前はせいぜい一日に数人癒やすだけだろう。違うか?」
「それはそうですけども……。聖女が癒やすのは、特別な人間だけでよいではありませんか? 聖属性の魔力を持つ人間はただでさえ希少なのですから、その恩恵を受けられる人間は限定すべきです。わたくしの力は、竜王陛下のために使いとう存じます」
ミラベルが当然だとする考えを説明すると、ドアの横にいた宰相がたまりかねたように笑い出した。
「ははは! ここまで来ると、いっそ清々しいですね! いかがなさいますか、陛下」
ジルがどれだけ怒りを覚えているか分かっているくせに、あえて話を振ってくる。
ミラベルは宰相を不審げに見てから、竜王に情熱的な眼差しを向けた。
あなた様なら、わたくしの価値に気づいてくださるでしょう――そんな想いの籠った目線だったが、竜王は静かに激怒していた。
「お前の顔はどこかで見たと思ったんだが……レニアでマルヴィン王子の傍にいた聖女だな」
「わたくしをご存じでしたか! そうです、戦場でも大勢の兵士を癒やしました」
実績を誇らしげに口にしたミラベルだったが、竜王が纏う空気はさらに冷ややかになった。
「トカゲの獣人を見て、気味が悪いと言っただろう」
怒気が溢れる声だった。
びりびりと空気が震えて、竜王の怒りが伝わってくる。ミラベルはびくりとして一歩下がった。
「ま、まさか……。気のせいではございませんか? わたくしは前線から離れていましたし」
「獣人族はお前たちの何倍も耳がいいんだ。離れているからと油断して、本音が出たのだろうが……、お前のような人間を見ていると反吐が出る」
竜王は紅の瞳を怒りで燃やしながらミラベルを見下ろした。
「今すぐ立ち去れ。俺がお前を炎で燃やし尽くす前に」
「ひっ、ひぃぃっ……!」
ミラベルは恐怖におののき、わたわたよろよろと転びながら部屋を出た。そして二度と戻ってこなかった。
二人だけになった部屋で、クラウスがくすくすと笑っている。
「あなたが一番嫌いなタイプの女でしたねぇ」
「なぜあんな人間が聖女になれるのか、全く理解できない。エレナと比べるのもおこがましい。人間性の審査をした方がいいんじゃないか?」
「お、それはいい案ですね。ハジィズ王子に提言してみましょうか」
ジルとクラウスは執務室に戻り、以降はミラベルのことを思い出しもしなかった。
ホテルに戻ったミラベルは、部屋の中で手紙を書いている。
「竜王も所詮は獣人族だものね。人間ではない生き物に、聖女の貴重さなんて理解できる訳がないんだわ……」
獣人族を束ねているのは竜人族であり、竜王はその長である。
その彼に、人族しかなれない聖女のことを分かってもらおうなんて、あまりにも無謀だった。
(さて、どうしましょうか……。リジェリアにはもう用はなくなった。かといって、ランドルトには戻れないし)
ミラベルは常にマルヴィンの傍にあった。
彼がミラベルを呼べばすぐに王宮に向かい、用のない時は神殿にいろと言われたらそうしてきた。
だから今頃は、ミラベルが神殿にいないと気づいているだろう。
何よりもロト山でマルヴィンを置き去りにしたミラベルは、ランドルトに帰る訳にはいかないのだ。
もし戻ってマルヴィンに見つかりでもすれば、最悪の場合、牢に幽閉される恐れもある。
(マルヴィン殿下の精神は危険な状態にあるわ。絶対に近づかないようにしなければ)
こうなったら、ランドルトから遠く離れた異国で聖女として生きるしかない。
そう結論が出たので、手紙を二通書いている。
一通は両親に充てたものだ。
まず黙って出国したことを詫びて、さらにマルヴィン王子には未来はないこと、一緒にいると命の危険がありそうだから祖国には戻らないことを書いた。
「こう書いておけば、父はマルヴィン殿下を責めるでしょう。どう考えてもわたくしには非はないものね」
ミラベルは、マルヴィンの指示に従って生きてきただけだ。
彼を信じて一生を託す思いで生きてきたのに、その期待をマルヴィンは裏切った。
出来の悪い王子の婚約者になってしまったミラベルの身にもなってほしい。
「本当に迷惑な話だわ。でもこのままリジェリアから黙って去るのも癪ですものね……」
ミラベルは両親に充てた手紙に封をして、もう一通の方にペンを走らせる。
これはマルヴィンに送る手紙だ。
(孤児の聖女がわたくしよりも有能扱いされているなんて、見過ごせるものですか。でもマルヴィン殿下にも、少し仕返しがしたいのよね)
ことあるごとにミラベルとエレナを比較し、ミラベルを貶めてきたマルヴィンに、易々《やすやす》と情報を渡す気はない。
書き終えた手紙に封をして、ホテルの従業員に出しておくように指示をした。
そしてホテルから出たミラベルは西大陸行きの船に乗り、ランドルトからもリジェリアからも姿を消したのだった。




