24 ミラベルの野望
「私の父は貿易商なんだけど、手荒れがひどいと手紙で相談したらここに送ってくれたの。向こうではかなり人気の商品みたい」
「ハジィズ殿下が、リジェリアとの国交を戻してくださったお陰ね」
「ええ! 戦争が終わって本当によかったわ。五年も我慢したけど、何もいいことなんかなかったものね」
二人はくすくす笑いながら図書室を出て行ったが、ミラベルは俯いたままそこに佇んでいた。
(戦争をしていた五年間は、何もいいことはなかった……ですって)
確かにそうかもしれない。
聖女は兵士を癒やすために戦場に駆り出されて、不便かつ不衛生な場所で何日も過ごす羽目になった。
あの苦労は果たして意味はあったのだろうか。
これまでミラベルは、マルヴィンが実践することは全て正しいのだと信じていた。
彼は王太子になるために、着実に成果を上げていくだろうと信じ込んでいた。
「でも五年後の今は、ハジィズ殿下に負けてしまっているのよね……」
ハジィズは竜王と契約を成功させ、魔導列車の開通のために着々と準備を進めているらしい。
それに比べてマルヴィンは、いまだに逃げたエレナを追いかけてばかりいる。
(わたくしは間違ったのかもしれない)
このままマルヴィンに付き従っていても、ミラベルにとって利となる出来事は起こらないだろう。
むしろマルヴィンに引きずられるようにして、ミラベルまで落ちぶれる可能性が高い。
(どんな方法を使ったのかは分からないけど、エレナはリジェリアに逃げたんだわ。あの国には聖女がいないから、きっとエレナを英雄みたいにちやほやしているのよ。わたくしもリジェリアにさえ行けば……)
なぜか獣人族には、聖属性の魔力を持つ者は生まれないらしい。
その代わりのように彼らは強い肉体を持つが、怪我をすれば痛いし早く治ってほしいと願うはずだ。
そこへ回復魔法を使うミラベルが現れたら、彼らはミラベルを女神のように崇拝するに違いない。
「そうよ……、わたくしもリジェリアへ……」
ぶつぶつ呟きながら廊下を歩いていたミラベルは、後ろから「ミラベル!」と大声で呼ばれたことで我に返った。
驚きつつ振り返れば、そこには汗だくのマルヴィンが立っている。
いつも完璧な身だしなみを誇る彼の髪は乱れ、目は血走り、普段は汚れ一つない革靴はホコリだらけだ。
ミラベルは思わず一歩マルヴィンから下がり、彼に声を掛けた。
「ど、どうなさったんですか。議会は……」
マルヴィンは今日、元老院議会に出席していたはずだ。
本来ならまだ話し合っている時間帯であり、あまりに早く戻って来たのでミラベルは驚きを隠せなかった。
議会ではどのような議題が上がったのか知らないが、マルヴィンのこの様子だと、あまりいい結果ではなかったのだろう。
ミラベルは婚約者でありながら「もう関わりたくない」と思い、疲れを理由にして下がろうとした。
「わたくし、患者の回復で疲れておりますの。今日のところは……」
しかし言いかけたミラベルの腕を、マルヴィンが乱暴にがしりと掴む。
「マ、マルヴィン殿下……!?」
「来い! お前もロト山を捜索するんだ!」
何ですって?
ミラベルは一瞬、何を命じられたのか理解できなかった。
聖女であるミラベルの役目は、怪我をした患者を癒やすことだ。そのミラベルに、マルヴィンはエレナを探させるつもりらしい。
(なぜわたくしが……!)
そもそも山狩りのような体力が必要な仕事は、兵士たちだけでやるべきだ。
聖女が疲れて回復魔法が使えなくなれば、困るのはマルヴィンだろうに。
「もう老いぼれどもなんか、当てにするものか……! 今に見てろ、全てをひっくり返してやる」
ミラベルの抵抗は見えていないのか、マルヴィンはぶつぶつと呟きながら馬車にミラベルを押し込んだ。
そして御者に「ロト山まで行け」と命じて、自分も馬車に乗り込む。
逃げる隙を失ったミラベルは、唇を噛みしめながら外へと視線を向けた。
「兵士にもロト山へ集まるよう招集をかけた。今頃、大勢ふもとに結集しているはずだ」
マルヴィンはそう言ったが、ミラベルは少しも信じていなかった。
(大勢? 元老院に見捨てられたあなたについてくる兵士が、そんなにいるとは思えないわ)
マルヴィンの発言から、だいだい何があったのかミラベルは察していた。
恐らく議会でもマルヴィンの意見は無視されたのだろう。それで彼は焦って、こんな夕闇の中、エレナを探そうとしているのだ。
やがて馬車はロト山のふもとに到着したが、ミラベルは自分の予想が当たっていたことを知った。
そこには誰一人としていなかった。
山に繋がる森の入り口は閑散としていて、ただ落ち葉が風で転がっているだけだ。
「どこに兵士がいますの?」
馬車から降りたミラベルが責めるように問うと、マルヴィンは呆然として「なぜだ」と呟いた。
「これで分かったでしょう、マルヴィン殿下。もうあなたについて来る人間は、誰もいませんわ」
ミラベルは冷ややかに告げて、馬車に繋いでいた馬を一頭だけ解放した。
「わたくしは先に神殿へ戻ります。御機嫌よう」
馬にまたがり、颯爽と駆け出す。
しかし神殿に戻るつもりはなかった。
(このままランドルトにいても、わたくしに未来はない。リジェリアに行きましょう。そしてわたくしはかの国で、真の聖女となるのよ)
リジェリアを治める竜王はまだ未婚で、婚約者もいないらしい。
ミラベルが聖女として活躍すれば、彼の妃となるのも夢ではないかもしれない。
(この国で妃になるのは諦めるわ……。でもただでは起きないわよ)
果たせなかった夢は、リジェリアで叶えよう。
ミラベルは野望を胸に馬を走らせた。




