18 竜王と宰相
ジルは執務室でペンを走らせている。
しばらくしてドアが開き、分厚い書類を手にしたクラウスが現れた。
「……まだあるのか」
「誰かさんが私に仕事を押しつけて、五年も不在だったものでねぇ。後回しにしていいものは、どんどん先送りされたんですよ」
厭味ったらしい口調のわりに、クラウスは機嫌がよさそうだった。
目の下にクマがあるくせに表情は生き生きしている。
「何かいいことでもあったか?」
「楽しいお喋りができて嬉しいのです。あのエレナという娘、悪くないですね」
「お前が女性を褒めるのは珍しいな。いつも勝手に人間観察して、あれが駄目だこれが駄目だと言っていたのに」
「人を鬼畜のように言わないでください。私だってたまに褒めることもあります」
ジルは苦笑して「たまにな」と呟きながら、またペンを走らせる。
「それで、エレナのどこを気に入ったんだ?」
「自分の役目を理解しているところですね。あの娘は、私が用意した罠に引っかかりませんでした」
「……罠?」
こいつは俺が知らないのをいいことに、何をしでかしているんだ――とジルが半眼になっていると、クラウスは説明するかのように話し出した。
「何しろあなたが国外から連れて来た娘ですから、私としてはどんな性格かも分からない訳です。情報がありませんのでね。大人しそうな顔をしていても、あわよくばあなたの妃になろうと狙っているかもしれません」
「エレナはそんなことは望んでいないと思うがな……。むしろ男なんか要らんと言いそうだ」
エレナのこれまでの苦労を考えれば、男性不信に陥っていてもおかしくはない。
ジルは苦笑しつつ言ったが、クラウスは怪訝そうに片眉を上げた。
「口ではどうとでも誤魔化せます。あなたは自分のことをよくお分かりでないから改めて言いますが、人間離れした美貌の竜王と二人っきりで過ごしたのですよ? 普通の娘ならころっと落ちます。だから私はエレナの部屋に、煌びやかなドレスを山ほど用意しておいたのです。竜王に好かれたい女なら、絶対に着飾ろうとするでしょうからね」
「お前……えげつないことをするな」
「何と言われようが結構。竜王の周囲におかしな女がうろうろするのは困りますのでね。私はこれ以上、不要な仕事を増やしたくないのです」
それはそうだろうなとジルは思ったので、無言のまま頷いた。
マルヴィン王子が原因とはいえ、ジルは五年も王都を空ける事態となった。
その間のクラウスの精神的・肉体的疲労を想像すると、下手なことは言えない。
「それで、ドレスの出番はあったのか?」
「ありませんでした。エレナはドレスをかき分けて、奥の方に押し込んであった地味なワンピースを着ていました。彼女は完全に仕事をするつもりでリジェリアに来たのです。これだけでも面白いのですが……」
クラウスはそこで言葉を止めて、ジルの方を振り返った。
「先に結論を言います。エレナは城から出て暮らすそうです」
「……は?」
とうとうジルは持っていたペンを置き、クラウスをじろりと睨んだ。
「どういうことだ。彼女は俺が頼んだからリジェリアに来てくれたんだぞ。まさかお前が追い出したのか?」
「そう睨まないでくださいよ。冷静になって考えてみてください、竜王が未婚の女性を特別扱いして傍に置くなんて、問題が起きないはずがありません。それをそのまま伝えたら、彼女は城から出る代わりに住居を用意してくれと私に言ったのです。竜王に頼まれたからこの国に来たのに、まさか追い出したりしませんよねと私を脅して」
クラウスは目をキラキラさせて喋り、さらに続けた。
「どうですか? 面白くないですか? あんな無害そうな小娘が私を脅すなんて思ってもみなかったので、もう楽しくて」
「……もういい。後でエレナに謝罪に行こう」
「あの娘はあなたが考えているほど弱くありませんよ。見た目よりもずっと逞しいです。しかも薬草は自分で採取したいと言うので、王都のどこに住居を構えてやろうかと昨夜からずっと考えておりまして」
「お前が楽しそうにしているのは、彼女に惚れたからなのか?」
ジルが問うと、クラウスは想定外の質問だと言わんばかりに目を丸くした。
「いや、それはないですね。確かに論戦の相手としては充分ですが、私は伴侶を欲しておりませんので。あなたはどうなんですか? 他にも聖女はいるのに、わざわざエレナを選んだのは何故なんですかね」
「別に深い意味は……」
「深い意味がないくせに、私に惚れたかどうか訊いたんですか」
「……うるさいな。俺だって惚れたのかどうかなんて、よく分からないんだ。ただ一緒にいると落ち着くなと思っただけで……」
「へぇぇ。女にうんざりしているあなたが、落ち着くなんて口にするとはね」
「病み上がりなのに、俺のために回復薬を作ってくれたんだ。それが嬉しかっただけだ」
「竜王のくせにちょろいですね……。まぁ純粋培養みたいなあなたに、女慣れしろと言っても無理ですかね。しかしエレナは、当分誰とも恋愛する気はないようでしたよ」
クラウスが容赦なく言うと、ジルは「だろうな」と呟いて肩を落とした。
「誰かと両想いになるというのは難しいな。好いてほしい相手は、俺には興味がないようだし」
「私としては、面白い観察対象が増えて嬉しいですがね。ではエレナの新居は、陛下が通いやすそうな場所に絞りましょう」
クラウスの狙いが分からなくなったジルは、うんざりした顔になった。
「お前は何がしたいんだ。俺からエレナを引き離そうとしたり、かと思えば彼女の新居は俺が通いやすい場所にしようとしたり」
「竜人の人生は長いですから、楽しみは多い方がいいじゃないですか。私は陛下を応援しておりますよ」
「面白がってるだけだろう……」
ジルは深い溜め息を漏らした。
それは宰相であり側近でもあるクラウスの悪癖にうんざりしたからでもあり、何百年と生きる竜人の伴侶探しは楽ではないと改めて思い知ったからだった。




