16 到着
ハジィズ殿下がうまく動いてくれたのか、私とジル様がランドルトを脱出するのはそれほど困難ではなかった。
時おり小鳥が飛んできて、ジル様に何かを報告してまた去っていく。
「マルヴィンは、ロト山と神殿を念入りに調べているらしい」
「私が祝福を解除したからでしょうか?」
「恐らくな。解除方法を神殿の誰かが教えたと思い込んでいるんだろう」
私もジル様も追われる身でありながら、馬に乗ってのんびりとリジェリアに繋がる山道を進む。
ハジィズ殿下は馬まで連れてきてくれたので、徒歩で国境まで歩く必要がなくなったのだ。
「ランドルトと接する都市はレニアだけで、他の国境は森に覆われている。森には魔獣が出るが、竜人の気配を恐れて近寄ってはこないはずだ」
魔獣というのは、魔石を体内に取り込んでしまった動物が変化した生き物だ。
最初に魔獣化したのが鳥などの小さな生き物でも、食物連鎖によって最終的には大型かつ凶暴な魔獣になり、人や家畜を襲ったりする。
特に魔石が採掘される魔鉱山の周辺は魔獣が発生しやすいので、誰も森には近づかない。
(私はすごく幸運だったのね)
安全にリジェリアに行くにはレニアを通るしかないけど、そこにはマルヴィン殿下がいるから近づく訳にはいかない。
かといって他の国境は深い森で危険な魔獣が出るから、やっぱり一人でリジェリアにたどり着くのは無理だった。
私が今こうして平和に森の中を進んでいるのは、竜人であるジル様が傍にいるからだ。
有難さをしみじみと実感していると、前を進んでいたジル様が「見えて来たぞ」と言った。
「あの塔が国境の証だ。ああ、クラウスがいるな」
国境は川で隔てられていた。
その川のほとりに物見櫓のような高い塔があり、馬屋には馬が何頭も繋いであった。
先頭に立つ人物は長い銀髪をうなじの辺りでくくった男性で、メガネを掛けているからか理知的な印象を受ける。
王宮にいる文官のような服装をしていて、いかにも宰相という感じだ。一見すると人間にしか見えないから、彼も竜人かもしれない。
「お帰りなさいませ、陛下。ご無事で何よりです」
クラウスさんは一礼してから、ちらりと私の方に視線を向けた。
「そちらが手紙にあった聖女の方ですか?」
「そうだ。名はエレナといい、よく効く回復薬を作る」
ジル様はあの山小屋を発つ際に、鳥の足に手紙を結んでクラウスさんまで届けさせていたのだ。
「エレナです、よろしくお願いします」
私は馬を下りて、深々と頭を下げた。
クラウスさんは「こちらこそ」と言い、穏やかな表情をしているものの、目の奥は冷えている。
私という人間を見定めようとしているようだ。
(やっぱりランドルト人は警戒されてるみたいね……)
レニアに戦争を仕掛けたのはマルヴィン殿下であって、他のランドルト人は戦いなど望んではいなかった。
現にハジィズ殿下は戦争ではなく、貿易という手段を選んでいる。
でもそんなことは、リジェリア人からすればどうでもいい話だ。
(私が彼らに認めてもらうには、自力で有能だと証明するしかないわ)
時間はかかるかもしれないけど、私が望む通りの人生を送るには必要なことだ。頑張ろう。
塔で少し休憩し、軽食を取って、また馬での移動を開始した。
しばらく草原の中を進むと、遠くに大きな街が見える。
「エレナさん、あれがリジェリアの王都グラーダです。海に面した都市でして、カラフルな瓦屋根は観光客に人気があり。毎年何万人も訪れる……」
「クラウス、自慢はいい」
クラウスさんが街の説明を始めると、ジル様がぴしゃりと遮ってしまった。クラウスさんは「は」と言ったまま数秒間固まって、その後はムスッと口をひん曲げた。
「初めてグラーダに来る方にちょっと自慢するくらい、いいではないですか」
「ちょっとじゃない、お前の話は長すぎる。どうせ城に着くまでずっと喋ってるんだろう」
ジル様は呆れたような口調で言ってから、私の方に視線を向けた。
「疲れていないか?」
「はい、大丈夫です」
私は答えつつ、二人は仲良しなんだなぁと考えていた。
ジル様もクラウスさんも二十代の半ばくらいに見えるから、幼馴染なのかもしれない。
二人がああだこうだ言い合ってるのを聞いている間に、私たちはグラーダに到着した。
(綺麗……。トルコの街並みに似てるかも)
私は旅行に行くような暇はなかったけど、写真で見たトルコの街並みに似ていると思った。
街の中はカラフルで、あちこちから美味しそうな匂いが漂ってくる。
「あっ、陛下だ!」
「お帰りなさい、陛下!」
街道を進んでいると、頭に猫やウサギの耳が生えた獣人たちがジル様に手を振っている。
彼は一人一人に手を振って笑顔で応えていた。
(ジル様は街の人に慕われてるのね)
よく考えたら、彼はレニアの戦争のせいでグラーダには五年も帰ってこれなかったのだ。
住人たちはさぞかし心配しただろうなと、少し申し訳なく思った。
やがて王城に到着し、私は城の中の一室に案内された。
「エレナさんはこの部屋をお使いください。念のため訊きますが、陛下に何か用はありますか?」
部屋に案内してくれたクラウスさんが言い、私は首を横に振った。
「いいえ、何も。お疲れでしょうし……」
ゆっくりと休ませてあげたい――という意味合いのことを口にしようしたけど、その前にクラウスさんがにっこり笑って言った。
「それはよかった! 陛下に確認してほしい書類が山ほど溜っているのですよね。しばらくは執務室に篭っていただく予定です」
「は、はぁ」
「ではゆっくりとお休みください」
嵐のようにバタバタと去っていった。
(ジル様は五年間も王都を空けていたんだものね。その間はクラウスさんだけで仕事をさばいてたんだわ)
さぞかし大変だったことだろう。
窓の外を見ればすでに日が暮れつつあり、藍色に染まりかけた空を雲が流れていく。
「もう寝ようかな……」
今日はずっと移動ばかりでかなり疲れがたまっていた。
とは言え私が今着ているのは普段着のワンピースで、このままでは眠りにくそうだ。
何かないかと衣装棚の扉を開けば、中は色とりどりのドレスで溢れていて、その迫力に思わず一歩下がってしまった。
(もっと地味な服はないのかしら)
分厚いドレスをかき分けていくと、かなり奥の方に地味で動きやすそうなワンピースも掛けられている。
すごく簡素な夜着も。
ちょうどいいのがあったわと安堵しつつ着替えて、早めに就寝したのだった。




