幼かった頃の戯言ではない
時は流れ、少年だった身体はいつの間にか大人の形へ変わっていった。
背丈は伸び、視界の高さも変わり、子どもの頃には見上げていた棚や人の顔が、今では自然な位置にある。声も低くなり、立っているだけで昔より少しは落ち着いて見えるらしい。けれど中身まで急に別人になれるわけではない。道満に言わせれば、変わったのは器だけで、中身は驚くほどそのままらしかった。
自分でもそう思う。
こはくの隣にいたいという気持ちは、少年の頃から少しも変わらなかった。むしろ、年を重ねるほど輪郭がはっきりしていった。最初は、拾ってくれたことが嬉しかった。気味悪がらず、見えるなら使えばいいとでも言うような顔で、自分をそこに置いてくれたことが嬉しかった。
だが、それだけではなくなったのは、いつ頃からだろう。こはくを探すことが当たり前になり、隣にいると落ち着き、他の誰かがこはくの近くにいると少し気になってしまうようになった頃には、もう誤魔化しようがなかった。
好きなのだと、とうの昔に理解している。
だから、ある日の執務室で道満にそのことを蒸し返されても、今さら隠すつもりはなかった。
執務室にはいつものように紙の匂いと結界の気配が漂い、こはくが中央にいて、その傍に自分と道満が並んで立っていた。書類仕事の合間、ふいに道満が口を開く。
「そういえば」
書類から顔を上げる。
「何だ」
「子どもの頃、こはくと結婚すると言っていたな」
ああ、その話か、と思う。別に忘れていたわけではないし、今さら気恥ずかしくもならない。あの頃は子どもの言葉だったかもしれないが、今はそうではないだけだ。
「ああ」
頷くと、道満は鼻で笑った。
「随分と大層なことを言っていたものだ」
からかうつもりなのは分かった。だが、からかわれたところで事実は変わらない。清明はごく自然に答えた。
「今でもそのつもりだが」
その瞬間、道満の表情が凍る。そこまで驚かれる理由が清明にはあまり分からない。昔から言っていたことを、そのまま貫いているだけだ。
「……は?」
「何か問題あるか?」
問い返すと、道満は間髪入れずに言った。
「あるだろう」
不思議でならない。何がそんなに駄目なのだろう。こはくが嫌がっているならともかく、少なくとも今は拒絶されていない。何も言わないのはいつものことだ。分からないことは分からないままだが、それでも隣にい続けることくらいは許されている。
「どこに」
「全部だ」
そう言われても、ますます分からない。清明はこはくを見る。相変わらず何も言わない。否定もしないし、肯定もしない。ただ静かにそこにいる。その姿を見ると、やはり昔と同じように胸の内が落ち着いてしまう。
だからこそ、清明は淡々と続けた。
「昔より今の方が現実的だと思うが」
「何がだ」
「年齢的に」
道満がこめかみを押さえる。どうやらまた呆れられているらしい。だが、そこはかなり重要なことだと清明は本気で思っていた。子どもの頃に言う結婚と、大人になってから言う結婚では、現実味が違う。少なくとも自分の中では、昔より今の方がずっと真面目な話だ。
「そういう話をしているんじゃない」
「じゃあどういう話だ」
そう返すと、道満は苛立ったように言った。
「私の主だぞ」
その一言で、ようやく少しだけ見えてくる。ああ、道満はそこが気に食わないのか、と。けれど、それならなおさら引くわけにはいかなかった。
「私の主でもある」
「……何だと」
道満の目が細くなる。だが清明は引かない。これは理屈でも意地でもなく、事実だった。屋敷付きとしてこはくに仕え、護衛として傍に立つ以上、こはくは自分の主でもある。道満だけのものではない。
「屋敷付きだ。護衛だ。主に仕える立場だろ」
それは間違っていないはずだ。なのに道満はますます機嫌が悪くなる。
「一緒にするな」
「なぜ」
「お前は護衛だ」
「お前は式神だ」
言い返した瞬間、空気がぴたりと止まった。やや言いすぎたか、とほんの少しだけ思う。だが訂正する気にはなれなかった。式神であることは道満自身も否定しないし、それが自分にはないこはくとの強い繋がりであることも、清明は知っている。だからこそ、羨ましいと思うことさえある。
「言うようになったな」
低い声に、少しだけ怒気が混じる。清明はそれを正面から受け止めた。
「事実だろ」
道満は昔から、こはくの傍にいることに妙な執着を見せる。皮肉を言い、文句を言いながら、結局一番離れない。少年の頃はそこまで深く考えなかったが、今は分かる。あれは単なる忠義ではない。もっと面倒で、もっと個人的な感情が混ざっている。
それでも清明は譲れなかった。自分だってこはくの傍にいたい。伴侶になりたいと思っている。道満が何を抱えていようと、それは変わらない。
こはくは相変わらず、二人の間に立ったまま何も言わない。その沈黙が、かえってこの場を逃げられないものにしていた。
「私の主だ」
道満が低く言う。
清明はほとんど反射のように返していた。
「私の主でもある」
言葉にした瞬間、自分でもはっきり分かった。これは子どもの頃の延長ではない。初恋の続きを大事に抱えたまま大人になってしまった結果でもない。ただ、自分の中でとうに決まりきっていることを、今さら確認しただけだった。
こはくの隣にいたい。
その願いは少年の頃よりずっと具体的で、ずっと重い。伴侶になりたいという言葉の意味も、昔よりは理解している。それでもなお、そう望む気持ちは少しも揺らがない。
道満はまるで食べられないものを噛んだかのような顔をした。けれど、その奥にある感情は、単なる苛立ちだけではない気がした。昔の自分なら気づかなかっただろうが、今は分かる。道満もまた、こはくに対して自分と似た執着を抱えている。形は違っても、譲れないものを持っている。
だから、このやり取りはきっとこれからも終わらないのだろうと、清明は妙に冷静に思った。
道満は退かない。自分も退く気はない。こはくは何も言わず、二人を平等にそこへ置いている。
面倒なことになっている自覚はある。それでも、嫌ではなかった。少なくとも、自分の気持ちを誤魔化しながら生きるよりはずっといい。
執務室の空気はじわじわと重くなっていく。道満は心底面倒そうな顔をし、こはくは沈黙を纏い、清明はそんな二人の真ん中で、ただ静かに立っていた。
昔より今の方が現実的だ、という言葉は、本心だった。もう子どもの戯言ではない。こはくの隣を望むのは、今の自分が選び続けている願いなのだと、清明ははっきり知っていた。




