清明、言われたことはそのまま受け取る
屋敷全体を包む空気は相変わらず静かで淡々としたものだったが、清明がそこに介在するだけで、どこからともなく大真面目な“概念の説明会”が発生するのが、今や日常の光景となっていた。
静かな屋敷の廊下。
薬屋はいつもと変わらぬ、どこか人を食ったような軽い足取りで姿を現す。
「やー、清明くん。今日もこはくのとこ行くの?」
清明は無言のまま、ごく微かに首を傾けて頷いた。
薬屋は面白がるように、口元ににやりと歪んだ笑みを浮かべる。
「ほんとお似合いだねぇ」
その言葉には、何の深意も込められていなかった。
からかい半分、観察半分といった程度の、廊下ですれ違いざまに交わすただの世間話に過ぎない。しかし、その一言を聞いた清明は、歩みをピタリと止めた。
静寂の中で、彼の双眸が真っ直ぐに薬屋を捉える。
「そう見えるのか」
薬屋の薄笑いが、瞬時にして引きつった。
(あ、これ真面目に受け取った)
恐れていた予感は、見事なまでに的中する。
清明はかすかに視線を落とすと、深く思考の海へと沈み込むように呟いた。
「……悪くないな」
薬屋の顔から、完全に余裕の笑みが消え失せる。
「えっ」
清明は自らの納得を深めるように、もう一度重々しく頷いた。
「お似合いという関係性は肯定的だ」
事態の面倒さを察した薬屋は、じりじりと後退りしながら手を振った。
「いや待って待ってそういう意味じゃ」
だが、すでに清明の思考の枠組みは完成しており、薬屋の弁明など耳には届いていなかった。
「理解した」
問答無用のひとことで会話は遮断される。薬屋はその場で頭を抱え、天を仰ぐしかなかった。
「めんどくさい真面目枠だこれ……」
◇
それから数日が過ぎた頃。
護衛の同僚が、業務の合間の何気ない雑談として問いかけた。
「清明様って、こはく様とどういう関係なんです?」
他意のない、ごく日常的な問いかけに過ぎなかった。
だが、その一言で清明の動きが完璧に静止する。
「関係……」
落ちてきた言葉を、彼は噛み締めるように反芻した。
そして珍しく思考の迷路に足を踏み入れ、押し黙ってしまう。
数秒、十数秒。
静まり返った空気の中で沈黙だけが引き延ばされていき、やがて彼はぽつりと呟いた。
「……わからないな」
問うた同僚の顔が固まる。
「えっ」
清明は寸分の狂いもない真面目な顔つきのまま、淡々と事実を並べ立てていく。
「伴侶になりたいとは思っている。だが現在の位置は定義されていない」
同僚の表情が引きつっていく。
「え、あの……主従とか……」
清明は即座に首を縦に振った。
「主従……。それが最も近い分類だろう」
同僚がほっと胸を撫で下ろそうとした瞬間、清明は逃さず言葉を重ねた。
「だが、それだけでは不足している」
「不足!?」
清明は真剣そのものの眼差しで言い切る。
「再定義が必要だ」
同僚は何も言えず、そっと音もなくその場から後退りしていった。
その日の夜、道満は清明から呼び出されるよりも前に、すでに嫌な予感を察知していた。
「またか」
すっと静かに扉が開く。
予感通り、清明はいつものように一切の欠片も崩さぬ大真面みな表情で入室してきた。
「一つ確認したい」
道満は頭痛を堪えるように、最初から机に両手をついた姿勢で応じる。
「言え」
清明は間髪入れずに切り出した。
「こはくとの関係は主従で正しいか」
道満は一瞬だけ瞼を閉じ、胸の底から重苦しい息を吐き出した。
「……それでいい」
清明は長年の胸のつかえが取れたかのように、安堵の気配を漂わせて頷く。
「理解した」
しかし、相手の思考パターンを知り尽くしている道満は、ここで会話を終わらせなかった。不穏な気配を感じ取り、鋭く釘を刺す。
「待て」
清明がゆっくりと顔を上げる。道満は顔を歪めながら言った。
「お前、また“整理”しようとしてるだろ」
清明は誤魔化すこともなく、静かに頷いてみせた。
「適切な分類が必要だ」
道満は片手で強く額を押さえた。
「やめろ。相手は分類で動く存在じゃない」
清明は思考を巡らせるように、しばし沈黙する。
「では現状維持か」
道満は即答した。
「そうだ。現状維持だ」
清明はその指示を愚直なまでに真面目に受け止める。
「了解した」
少しの間が落ちたあと、道満はふと思い出したように言葉を付け加えた。
「それとだ」
清明が再び視線を向ける。道満はわずかに視線を泳がせながら言った。
「しょっちゅう求婚みたいなことしてるだろう」
清明は一瞬だけ思考の時間を挟んだのち、一切の真偽を濁さずに答えた。
「事実確認と意思表示だ」
道満の思考がピタリと停止する。
「……は?」
清明は何の悪びれもなく言葉を繋ぐ。
「伴侶を望む意思は明確に伝えるべきだと判断している」
道満は落胆するように深く息を吐き出した。
「それを“良くやる”って言っているのではない」
清明は首を傾げ、解釈を試みる。
「評価されたのではないのか」
「違うそうじゃない、頻度の話だ」
道満の即座のツッコミに、清明はほんの少しだけ不思議そうに首を傾げた。
「多いことは問題か」
道満は痺れを切らしたように、バシと机を叩く。
「重い」
清明はその一言を、冷たい事実として静かに受け止めた。
「そうか」
そして、わずかな思考の間を置いて告げる。
「では調整する」
道満は本日何度目になるか分からない溜め息を漏らした。
「いや調整ではない。根本の話だ」
清明は変わらぬ顔で深く頷いた。
「理解した」
道満はそのまっすぐすぎる背中が去っていくのを見送ったあと、自嘲気味にぽつりと呟いた。
「……こいつ、一生説明必要だな」
そうして、諦めたように静かに手元の書類へと意識を戻していった。
◇
地獄の夜は、今宵も過剰な説明と一方的な誤解の連続によって織り成されている。
閻魔の執務室は、相変わらず表面上は軽やかな空気を装っていたが、その中心にある気配だけは歪に凝縮していた。
清明はその静寂のただ中に、凛と真っ直ぐ立っていた。
「一つ確認したい」
開口一番の問いかけ。
閻魔は机の上の書類からゆったりと目を上げる。
「んー、なに?」
いつもの軽薄なトーン。
清明はわずかな間を置き、探るような声調で口を開いた。
「伴侶とは何だ」
一瞬、室内のあらゆる音が静止した。
そして閻魔の口元が、ゆるやかに吊り上がっていく。
「またそれ?」
清明は身じろぎ一つしない。
「定義を知りたい」
閻魔は椅子に深々と身体を預け、愉悦に満ちた仕草で指先をくるりと回してみせた。
「いいよ、説明してあげる。簡単に言うとね“一番近い人”ってやつ」
清明は一度だけ静かに瞬きをした。
「距離の話か」
「そう」
閻魔は当然のように頷く。
「距離でもあるし、優先順位でもあるし、呼び方でもある」
清明はその言葉を脳内で一つずつ静かに整理していく。
「つまり、最も関係性が近い者」
「うん、まあそんな感じ」
閻魔は適当に応じながら、意地悪な光を瞳に宿して煽るように言った。
「でもさ、それって一人とは限らないよね」
清明の視線がすっと持ち上がる。閻魔は畳みかけるように続けた。
「人間とか神とかさ。“一番”って言いながら、複数持つやつもいる」
清明は数秒の沈黙を守ったのち、静かに問う。
「それは矛盾ではないのか」
閻魔は無責任に肩をすくめてみせた。
「矛盾してても成立するのが関係ってやつ」
清明はその曖昧な回答をゆっくりと咀嚼し、再び核心へと踏み込む。
「ではこはくはどれに当たる」
閻魔はそこで、あえて焦らすようにたっぷりとした間を作った。そして底意地の悪い笑みを深める。
「いいとこ聞くねぇ」
清明は表情一つ変えない。閻魔は机に肘をつき、顔を近づけて言った。
「それはね、お前が決めるもの」
清明の瞳が、わずかに鋭く細められる。
「他者定義ではないのか」
閻魔は即座にそれを否定した。
「違う、そういうのは全部後付け。最初に決めるのは当人」
清明はしばらく無言でその事実と向き合っていたが、やがて淡々と結論を口にした。
「理解した」
閻魔は満足そうに口元を綻ばせる。
「うん、それでいい」
だが、間髪入れずに釘を刺した。
「たださ」
清明が静かに顔を上げる。閻魔は机を軽く叩いて注意を促した。
「その“理解した”で終わるやつ、だいたい暴走するから気をつけなね」
清明が一拍の間を置く。
「暴走とは」
閻魔は可笑しそうに笑った。
「真面目に突っ走ること」
清明は自らの行いを振り返るように少しだけ考え、静かに言った。
「私はいつもそうだ」
閻魔の動きが、一瞬だけ完璧にフリーズした。
そして次の瞬間、堪えきれずに爆笑した。
「そういうとこだよ」
清明は己の何がツボにハマったのか理解できない顔のまま、佇んでいる。
閻魔はひとしきり笑い転げたのち、ふっとトーンを落として呟いた。
「まあでも、お前みたいなのが一番面倒で、一番面白いんだけどね」
清明はその言葉には返答をしなかった。
ただ静かに一礼を捧げると、執務室をあとにした。
重厚な扉がバタンと閉まったあと、閻魔は静まり返った部屋でぽつりと零した。
「……ほんとに、どこまで行くんだろね」




