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地獄からの申請書

地獄からの申請書を目にした瞬間、獄露は眉間に深い溝を刻んだ。


整然と片付けられた執務机の上、その凛とした静寂を乱すように、一枚の紙が不穏な気配を放って混ざり込んでいる。どれほど美しく整えられていようとも、そこから漂う「面倒な匂い」までは隠しきれていなかった。

 

「地獄側人員・短期派遣申請」

発信元の名義には、あの地獄の主――閻魔の名が厳然と刻まれている。

その二文字を確認した時点で、獄露の表情はあからさまに険しくなった。ろくでもない。その完璧な建前の裏には、決まって文字に書けない余計な尾ひれが付いて回るのが常だった。

 

獄露は諦めたように紙を指先でつまみ上げると、氷のように冷ややかな視線を走らせた。

——護衛補佐

——術式支援、および地獄側との連携要員

——短期

――清明

 

「清明」の二文字に差し掛かったところで、獄露の指先がぴたりと動きを止めた。無言のまま、数秒ほどその名前を凝視する。室内を満たす沈黙のなか、彼は肺のすべてを吐き出すかのような、深々とした溜息を漏らした。

 

「……急に面倒なものを寄越すな」

 

低く、そして心底嫌悪を孕んだ呟きが、無人の執務室に虚しく響く。

清明という男のことは、当然記憶に刻まれている。かつてこの屋敷に籍を置いていた護衛であり、元は人間の術者。そして死後、その卓越した魂の格ゆえに地獄側へと囲い込まれた特異な個体。その実力と性能に関しては、わざわざ過去の記録を紐解くまでもなく把握していた。

 

一言で言えば、あまりにも「有用」だ。そこには一転の曇りもない。

術者としての引き出しは多く、かつて護衛として前線に立った経験もある。何より、主であるこはくへの理解が深く、地獄側との連携役を務めるにはこれ以上ないほど適任だった。書面の上では、まるで絵に描いたように綺麗な論理が並んでいる。だからこそ、獄露にとっては反吐が出るほど不愉快だった。

 

「……性能で切れない」

 

獄露は吐き捨てるように書類を机へと戻した。まさに最悪の展開である。

もしも能力不足であれば、一瞥して却下の烙印を押せば済む話だ。あるいは屋敷に害をなす危険性があるなら叩き落とせるし、そもそも人員が過剰なら不要の一言で切り捨てられる。


だが、この申請はそれらの防衛網をすべて嘲笑うかのように潜り抜けてくる。実力は折り紙付き、過去に前例もあり、大義名分も完璧。その上、地獄の王である閻魔のお墨付きだ。

 

しかし、裏を返せば、それは「何かを隠すために磨き上げられた盾」のようでもあった。

あの悪趣味な閻魔が、何の企みもなしにこれほど美しい書類をよこすはずがない。間違いなく、この裏には何かがある。獄露は机の上で指を固く組み、獲物を狙う鷹のような鋭さで書類を睨み据えた。

 

「道満より扱いやすい」

 

通せば間違いなく内憂が増えるが、切るための正当性も足りない。非常に、非常に面倒な天秤だった。脳裏に、あの底意地の悪い地獄の主の、薄汚い笑顔が浮かび上がる。あの男、こちらの苦悩を見透かした上で、絶対に面白がっているに違いない。

 

「……先に主へ回すか」

 

こはく自身が「必要ない」と首を振れば、その瞬間にこの茶番は幕を閉じる。逆に「必要だ」と言えば、そのまま通せばいい。

 

獄露は手際よく書類を揃えると、決裁を待つ書類の束のなかへと滑り込ませた。余計な手間が増えた。今日処理すべき仕事の山に、また一つ暗雲が混ざり込んだ。それも、最悪の結末を予感させる特大の暗雲だ。獄露は静かに、しかし冷徹な息を吐き出す。

 

「閻魔め……」

 

あの男が、屋敷の静寂をかき乱すための爆弾を放り込んできたのは明白だった。

 

「……ろくでもない案件だ」

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