壮年になった清明
術を紡ぐたびに、身体の奥底で何かが少しずつ変わっていくことには、道満に指摘されるよりずっと前から気づいていた。
ほんのわずかな遅れだった。
若い頃にはなかった感覚だった。
かつては思考よりも先に身体が動いていた。敵の気配を察すれば自然と足が踏み出され、術は呼吸と変わらぬほど当たり前に放たれていた。しかし今は違う。考えは昔以上に冴え、術理への理解も深まっているにもかかわらず、その命令に身体が追いつくまで、ごくわずかな時間を必要とする。
誰も気づいてはいない。そう思っていた。
ただ一人を除いて。
最初にその微かな綻びに気づいたのは、他でもない道満だった。
術を紡ぐ清明の、衣服の翻る動きが、ほんの一拍だけ、絹糸が引き連れるように遅れる。
戦場で交わる視線の中で、道満だけが、その一瞬を見逃さなかった。
気づかれた。そう悟った時、清明は驚きよりも、やはりという思いの方が強かった。
あの男だけは誤魔化せない。
編み出される術の威力は変わらない。的確な状況判断もいささかも鈍らない。だが、その魂を包む器である肉体だけが、砂時計の砂が落ちるように、少しずつ、確実に世界の速度から遅れ始めていた。
それは紛れもない事実だった。
否定するつもりはなかった。
人は老いる。自らもいつかそこへ至ることを当然の未来として受け止めてきた。
惜しむ気持ちはあっても、怯えはない。
ただ一つだけ気掛かりがあるとすれば、その身体で、あとどれほどこはくの前へ立ち続けられるかということだけだった。
それ以来、道満だけが、その目に見えぬ変化に対して妙に苛立つようになっていく。
その変化は、言葉よりも先に伝わってきた。
視線が鋭くなる。自分を見る回数が増える。
戦場ではいつの間にか近くに立ち、術を放つ間隔まで見計らっている。
あれほど露骨な男だ。隠しているつもりでも、その苛立ちは周囲の空気を軋ませるほど分かりやすい。
だからこそ、清明は何も言わなかった。
慰めても意味はない。
「まだ大丈夫だ」と言えば無理をするなと返され、「もう駄目かもしれない」と言えば、なおさら苦い顔をするだけだろう。
道満は、自分よりも老いを認めたくない。
そのことだけは、嫌というほど分かっていた。
「無理をするな」
ある激しい戦闘ののち、残響の消えぬ戦場で、道満は地を這うような低い声で吐き捨てた。
清明は、上がった息を無理に整えながら、冷えた鉄のような声で返す。
「してない」
本心だった。無理をしているつもりはない。
疲労はある。身体は重い。それでも、まだ戦えると判断したから立っているだけだ。
「している」
「まだ動ける」
そう返した途端、道満の眉間に刻まれた皺がさらに深くなる。
ああ、また怒らせてしまった。
そう思う一方で、それ以外の答えを清明は持っていなかった。
限界を誤れば、倒れる。
だが、限界より手前で退けば、こはくへ届く刃が一つ増える。
その二つを秤にかけ続けることが、自分の役目だった。
だから、まだ動ける以上は立つ。それだけだった。
その、己の限界を呪力で圧し切ろうとする強情な返答が、道満にとっては一番腹立たしかったようだ。
こはくは変わらず無言のままで、軍師である獄露はまだ戦力として使えると冷徹に判断し、地獄の王はただ、黄昏を見つめるように静かにそれを見ている。誰も止めない。止める大義名分も、理由もどこにもないからだ。
清明も、それで良いと思っていた。
戦える者が戦う。それは昔から変わらない。
だが、誰も何も言わない中で、道満だけが必死に拒んでいるように見えた。
老いをか。それとも、人間の終わりをか。
あるいは、そのどちらもなのだろう。
清明は何も言わず、ただ小さく息を吐く。
自分はいずれ役目を終える。それは受け入れている。
だが、その事実を受け入れられない者がいるのなら、その者の前では、せめて最後まで変わらぬ顔で立っていたいと思った。
だから今日も、杖ではなく自らの足で立ち、息を整え、静かに歩き出す。
まだ、こはくの前に立てるのだから。




