見れないものは聞くしかない
それ以降、清明はこはくの乱れた姿をただの一度も目撃していない。
道満が徹底していたからだ。
出先の任務では決して核心へ近づけず、こはくの力が暴走しそうな兆候を察知すれば、何よりも先に清明をその場から追い出す。日々の執務中も、妙に目を光らせ、少しでも空気が怪しくなれば、清明はあからさまな別件で遠方へ飛ばされた。
清明は気づいていた。
気づいてはいたが、力ずくで突破しても道満が首を縦に振らないことも分かっていた。ならば方針を変えるしかない。
見られないのであれば、聞けばいい。
「一つ聞きたい」
その日もまた、書庫の中で、清明は何事もない顔で道満の前に腰を下ろした。道満はその言葉を聞いただけで顔を歪める。
「またか」
「一つだ」
「お前の一つは倍々で増える」
清明は否定しなかった。実際、聞きたいことは一つでは済まない。
「主は熱が上がる前に兆候はあるのか」
道満は不審げに眉をひそめる。
「……ある」
「先に気づける程度には?」
「慣れればな」
「どこを見る」
道満は露骨に嫌そうな顔をした。教えたくないのだろう。だが清明には、教えてもらう必要があった。
「視線」
道満は、最低限の情報を吐き出すように短く答える。
「焦点が少し鈍る」
「呼吸が浅くなる前に一拍長く止まる」
「指先が冷える時と熱を持つ時がある」
清明は深く頷いた。覚える。一言も漏らさずに。
「喉元は」
その瞬間に、道満は盛大に顔をしかめた。
「そこから先だ」
「聞いている」
「聞くな」
「必要だ」
「下心が混ざっている」
清明は、ほんの少しだけ言葉を詰まらせた。
「……否定はしない」
次の瞬間、道満の持っていた本が清明の額へ叩きつけられた。バキ、と鈍い音が響く。
清明は避けなかった。避ける理由がなかった。道満が怒るのも分かる。だが、怒られたからといって必要性が消えるわけではない。本が床へ落ちる前に受け止め、机の上へ戻す。
「だが必要でもある」
「それが厄介だと言っている!」
清明は黙って道満を見る。厄介なのだろう。自分でもそう思う。けれど、厄介だからやめる、という選択肢はなかった。
「抱えるなら横と正面、どちらが楽だ」
「熱が上がる時、冷やすべきか逃がすべきか」
「喉元と背、先に触るならどちらだ」
「指先が冷える時は何が先に崩れる」
「眠らせた方が良い時はあるか」
「抱いて落ち着くなら、どの程度の圧が負担にならない」
清明は一つずつ聞いた。道満が隠している部分を埋めるように。知識の穴を塞ぐように。
もちろん、すべてが純粋な護衛としての問いではなかった。こはくに触れることを考えると、胸の奥が熱くなる。喉元。指先。背。抱きとめる角度。それらを考えるたび、あの日見たこはくの姿が蘇る。
けれど、それを乱暴に扱いたいわけではない。
むしろ逆だった。
知っておきたい。間違えたくない。傷つけたくない。
「喉元は、普段触れても反応があるのか」
「お前な」
「……手を取る時、指先は握るより撫でる方が良いのか」
「お前な」
「抱いた時、主は逃げないが、あれは許容か」
「お前な!」
道満が凄まじい勢いで机を叩いた。空気が震える。
清明は本気で首を傾げる。
「何だ」
「何だではない!」
道満は肺の底から怒鳴る。
「途中から明らかに必要知識ではないだろうが!」
清明は一瞬だけ考えた。
必要知識。
確かに、屋敷の維持や緊急の対応としては不要なものも混ざっているかもしれない。だが、それが不要かと問われれば違う。
「必要ではある」
「どこに!」
「私に」
道満が完全に絶句した。
清明はその沈黙を受け止めながら、自分の中の欲を改めて見つめる。
下心はある。こはくに触れたい。こはくの反応を知りたい。自分が触れた時、嫌ではないのか、心地よいのか、困っているのか、それを知りたい。
だが、それはこはくを損なうためのものではない。
もっと大事に触れるためのものだ。
「……お前は」
道満が、絞り出すような低い声で呟く。
「見せない方がまだましだと思わせておいて、見せない間に別方向から完璧に外堀を詰めてくるな」
清明は、少しだけ思考を巡らせた。
「見せてもらえないからな」
それは当然のことだった。見せてもらえないなら、聞くしかない。聞いても教えてもらえないなら、観察するしかない。清明は諦めるつもりがなかった。
道満は机にがっくりと突っ伏した。
「……本当に面倒な男になったな」
その言葉を聞いて、清明はほんの少しだけ満足げに目を細めた。
「成長したと言え」
道満は返す言葉の代わりに、無言のまま二冊目の分厚い本を容赦なく投げつけた。




