4-55.狼に戻る
穴はほとんどサイクロプスの腕に塞がれていて、人間が歩いて通り抜けるような隙間は見当たらなかった。
けれど、四つん這いなら通れるだろうな。
サイクロプスから離れた狼たちが隙間から外に出ていく。その内の一頭が振り返り、短く吠えた。敵意を感じさせるものではなかった。
何に向って吠えたのかは、すぐにわかった。人間の声で吠え返した者がいたから。
ホイだった。森の中で四つん這いで佇んでいた彼は、腰を上げて穴に向かっていく。
「ホイ!?」
僕がかけた声に彼はちょっとだけ止まって振り返った。けれど、すぐに穴に向き直って城壁の外に出てしまった。
止めるべきだったのだろうか。でも、どう声をかければ止められたのかなんて、僕にはわからなかった。
「きっと、わたしのせいね」
アンリが静かに呟いた。
「もふもふを連れてくる時にね、この街で生きて恋をするのは辛いって、声をかけたの。それでも大きくなっていけば、幸せな恋が出来るって教えたの。けど、ホイはそんなの待つことはできなかった」
アンリのことを好きになって、拒絶された。そして深く傷ついた。情緒が子供のホイにとっては、二度と味わいたくない感覚だったのだろう。
それでも人間なら、その傷を抱えたまま大人になるしかない。そして大人の情緒というものを獲得して、改めて恋をするのだろう。
しかしホイには別の選択肢があった。彼はまだ狼だった。
夜に遠吠えをすれば、応えてくれる相手がいたのかも。遠吠えは、群れからはぐれた狼がするものなのだから。
祭りの最中で家人はみんな留守。僕にはわからない理由で、家の扉も開け放たれたらしい。ホイにとっては家を抜け出し森に戻る絶好のチャンス。
森で狼に混ざって生きるのが、ホイにとって快適なのかは知らない。けれど少なくとも、人と関わることはない。叶わぬ恋に苦しめられることもない。
だからホイは行ってしまった。森に住んでいた狼を仲間にして。
「盾で穴を塞げ! サイクロプスの腕を切ってどかせ! 誰か本部に行って状況を報告しろ! 城壁の補修が完了するまで、何も入れるな! 森には魔物が潜んでいるかもしれない! 城壁の中には絶対に入れるな!」
隊長の指示が飛び、兵士たちが慌ただしく一斉に動き出した。
彼はそのまま続けた。
「もうひと踏ん張りだ! 最大の危機は去った! あと少し、市民たちに誇れる仕事をするぞ!」
兵士たちの返事からは士気の高さが伺えて、彼の人望がよくわかった。
僕とアンリはサイクロプスの足に刺さったままの剣を抜いて回収してから、ジェゾたち準備会の方へと向かった。ティナもついてくる。
「さすがですヨナ様! あんな巨人でも臆することなく突っ込むなんて、勇敢です!」
「ティナ? もふもふを突っ込ませたのはわたしなんだけど?」
「はい! アンリさんも勇敢です!」
「そ、そう? えへへ、そうよね! わたし、アンリーシャみたいに勇敢よね!」
「いえ。それはわかりませんけれど」
「なんでよ!? いいじゃない伝説的な勇敢さで!」
「アンリーシャさんのこと、直接見てないので」
「見てなくてもいいのよ! それくらいすごいって言いなさいよ! ヨナの時みたいな勢いで」
「僕とアンリは同じくらいの感じで褒めてたよ」
アンリーシャと並べるのはわからないってだけだ。
僕たちを、準備会が歓声を上げて迎えてくれた。
「また助けられたな、ヨナ! しかもセイホラン様の像に新しい伝説が生まれた! あんたのおかげだ!」
ジェゾは満面の笑みだった。他の面々も同じく。
「伝説?」
「セイホラン様は街に出てきた怪物から人々を守り、被害が出ないように森まで連れて倒してくれた」
「後世にはそう残るってことねー。豊穣の神にして、災厄から街を守った神様にもなる。セイホランのありがたみが増すのよ。来年から、お祭りはより賑やかになるでしょうね」
未だにセイホラン像の肩に乗っているゾーラが声をかけた。
なるほどな。尊敬する神の性質が増えたのか。住民にとっては嬉しいことなのだろう。
それよりゾーラは、もう役目は終わったのだから降りてくればいいのに。
「ほら。こうやって降りればいいんだよ。簡単だろ?」
既に降りているキアが上に声をかけるけど、ゾーラはセイホラン像の顔を掴んで動こうとしない。
「無茶言わないで! あんたと同じ動きができるわけないでしょ! ていうかあたしを置いてひとりで降りないでよ!」
「ははは」
「笑うな! ほら、ロープでなんとか助けて!」
「なあゾーラ。ロープで引っ張り上げることはできても、引っ張り下ろすことはできないんだ。そんなことすると落ちるから」
「わかってるわよそんなこと! じゃあどうしろって言うのよ!?」
「近くの木の太い枝に引っ掛けて、下に垂らして」
ロープの一方の端にしがみついたゾーラを、もう一方を複数人で持って支えながら、ゆっくり下ろしていく。
「助かったわ。ありがとうヨナくん」
「この方法、ゾーラの方が先に思いつきそうなものだけれどね」
「焦って思いつかなかったのよ。この馬鹿が勝手に降りるから」
「あはは」
「だから! 愉快そうに笑うな!」
「ジェゾさん。この像はこれからどうなるんですか?」
「分解して、細かく砕いて森の栄養にする。それがいつか、森の恵みにつながるんだ」
そうだった。こうして豊かな森は作られ続ける。
次に、こちらに警備隊長がやってきた。彼の部下たちは剣を使ってサイクロプスの体を解体して、城壁外に突き出した部分をなんとか引っ込めようとしていた。
あれも森の栄養になるのだろうか。
「ここは危険だから、君たちは街に退避しなさい。像の分解も、後日行うこと。城壁の修理と補強が必要だ。終わったら準備会に連絡する。……皆さんの活躍のおかげで街は救われた。感謝します」
頭を下げた隊長に、こちらもお辞儀を返した。




