4-39.遠吠え
オーゲル邸に戻った僕たちは、夕飯を食べながらゾーラたちにあったことを話した。向こうもホイの教育の状況を教えてくれた。
立って歩くことはできるようになったそうだ。手を自在に使うまではまだだけれど、それもいずれ解決するだろう。
「体を支えたり、食べ物を地面に押さえつけるみたいな使い方はしてたのよ。その応用に気づくのはすぐね。そして人間らしい動きができるようになれば、言語能力が追いついてくるのも、すぐよ」
ホイの成長は問題なさそうらしい。文明社会の物の名前を覚えるために、名札生活はしばらく続けることになるけれど。
それよりも問題は僕の方だ。
「そうかそうか! ヨナもやるな! あの男に恥かかせるなんてな!」
「ええ! すごいわ! ざまあみろね!」
キアとアンリは能天気に喜んでくれているし、それでいいと思う。
そしてやっぱりゾーラは冷静で。
「ドラントが手を出せないって理屈はわかったわ。けど、相手は街の最高権力者の息子。なにをしてくるか、わからないわよ」
「用心はすべきかな」
「一応ね。まあ、そこまで心配することもないと思うけど。ドラントがリーサに惚れてるなら、その心象を悪くすることはしないでしょうから」
それもそうか。とはいえ相手は思慮深い性格はしていない。自分が賢いと誤解して、なにか無茶な行動をしてくる可能性はある。
だから用心はすべき。
「ごめんなさい。わたしのせいで、皆さんにご迷惑を」
「気にしないで、リーサさん。あたしたちのお節介みたいなものだし。それなりに楽しくやってるから」
「だといいのですけれど。なんだか、知らない間にわたしが中心になっているのが怖くて」
たしかに、ドラントがリーサを好きになってしまったのが問題だ。
それからホイも、椅子に座ったままリーサを見つめていた。その感情はわかりやすい。ゾーラもそちらを一瞬だけ見てから微笑んだ。
「罪な女も辛いものね。さっさと好きな男に告白して旦那にしちゃいなさい。こういうのはね、必要なら女から動くものなのよ」
「ゾーラさんもティナさんと同じこと言うー」
「え。貧乳と同じ? それはちょっと考えものね……」
「ちょっ!? それどういう意味ですか!?」
「あたしの方が年上で大人だから、もっと気の利いたこと言わないとって思って。スタイルも圧勝だし」
「みっともなくぶら下げてる、動きにくそうな脂肪がなんですかー?」
「これがある方が、女は魅力的だって思う男が多いのよ」
「むきー!」
「あの。おふたりとも気持ちは嬉しいのですが、告白はもう少し待って貰えればと。お祭りの日にジェゾが告白してくれるのは、もう決まったようなものなので。なので、それを楽しみにしてるんです」
「そう。ムードは確かに大事ね。お幸せに。あなたなら素敵な家庭を作れるわ。ティナもそれでいいわよね?」
「はい。あ、パンが焼けましたよー。どうぞ」
ティナが食卓に焼き立てのパンを持ってくる。一口齧ったリーサが目を見開いた。
「これ、美味しいです! どうやって焼いたんですか!?」
「知りたいですか? いいですよ!」
「ティナさんが作った他の料理も美味しいですし、すごいです! わたしもこれくらい、料理上手になりたいなあ」
「その向上心があるなら、素敵な奥さんになれそうね」
「そうね。あんな生意気な男と結婚するなんて良くないわ」
「リーサさん。ジェゾさんのために、料理の勉強頑張りましょうね!」
「は、はい! いえジェゾのためだけではないですけれど! 自分のため! そう自分が美味しいもの食べたいからです!」
「そうね。それも大事。幸せになりなさいな」
「はい!」
和やかな食卓だ。心配事はあっても、楽しく過ごせている。
けれど食卓の中でもホイだけは、どこか寂しげな顔をしていた。みんなの会話に入れないためか、それかリーサが自分以外の男が好きだと悟ってしまったためか。
悲しい気持ちは理解できる。けど、僕には何もできなかった。
その夜、庭から雄叫びのようなものが聞こえた。
ホイが狼の真似をして、遠吠えをする声だった。
まだ、狼としての習性が残っているのだろうな。窓からその様子を見つめた。
「これも、街の中で過ごすうちに、薄れていくと思うわ」
「止めなくていいの?」
「止めたらストレスになるわ。力ずくでやめさせて、お互い怪我をしたら嫌だしね。心配しなくても、人間の体は狼と違う。遠吠えをするのに適した体はしていない。だから疲れるし、もっと楽なコミュニケーションの方法があると学ぶのよ」
そのための教育だ。
もちろん、狼の記憶が完全に薄れる頃には、僕たちは街にいないのだけど。
「でも、なんで遠吠えなんかしてるのかしら。ねえゾーラ。狼が遠吠えするのって、どんな時?」
「あたし専門家じゃないんだけどね。自分の縄張りを主張する時にするそうよ」
「つまり……ホイはこの家を縄張りだと考えている?」
認識は狼っぽくて変だけれど、でもここを自分がいるべき場所だと捉えているのは良いことだ。
けれど。
「もうひとつあるわ。群れからはぐれた狼が、仲間を探すためにやるの」
「そっか」
それは真逆の意味になってしまうな。ホイが狼だった頃のことを忘れられず、失われた仲間を探して吠えているなら、今の生活は苦しいってことだろう。
狼に混ざっていた頃が幸せだったとは言えない。けど、今の生活は戸惑うことばかり。
それに、人を好きになってしまう苦しみとも無縁だったし。
好きになって、それが叶わないと繰り返し思い知らされるのって、辛いだろうな。
「そのうち、今の暮らしに慣れるわよ」
ゾーラはその考えを崩さなかった。




