4-13.神が死んだ日のこと
ホイは、ただひとり奇跡的に産まれて、ある程度まで成長した子供。だから名前を与えられた。ホランが一瞬だけ考えてつけた、いい加減な名前。
母親は、憎い男に孕まされて産んだ子とはいえ、ホイ自体を恨むことはできなかったらしい。献身的に育て、知っている限りの知識を教えたという。言葉も、周りから自然と覚えていった。
「ホイ自身は、お父さんをどう思っているの? 憎い?」
「わ、わか、わかる、ない? かんがえて、ない。おかあさん、すき」
「……そっか」
別に自分の境遇に重ねたわけじゃないさ。僕はまだ、この男と比べれば恵まれていたのかもと、ふと考えただけ。みんなが僕に心配そうな目を向けていたのに気づいて、僕はホイに続きを促した。
ホイがある程度成長した頃に、事件が起こった。正確に彼が何歳の頃かは不明。外界との接触を絶たれた環境だから仕方がない。
ホランが老いによる衰えを見せてきた。ずっとこんな環境だったせいで、老け込みは早かったのかもしれない。
それと同時に、建物の付近に狼が出没するようになった。狼は元から森の中にいたのだろう。それが、ホランの衰えに合わせて恐れなくなり、近づいてきたのかも。ホランが元気な頃は、狼を追い払っていた可能性もある。
とにかく、ある日狼は、森の中にいる邪魔な人間たちを排除することに決めた。群れで建物に襲いかかり、衰えたホランや娘たちを次々に噛み殺していった。
ホイは母親に庇われて、彼女の命と引き換えに生き延びた。そして森に入った彼は、狼の糞が落ちているのを見つけた。それを体に塗りたくり、狼と臭いを同じにして、四つん這いになることで狼の仲間を装った。
実際に狼がホイを仲間と認識したかは、誰にもわからない。しかし狼はホイを襲うことはなかった。そして無人になった建物に住み着いた。
ホイもまた、森で過ごすわけにはいかず、狼に混じって建物内で暮らすことになった。
「森に住んでもいいと思うんだけどな」
「その考えになるのはキアさんだけですよ」
「いいだろ別に」
いいんだけど、とにかくホイはそういう決断をした。
建物の近くには、村人たちがいつも捧げ物を持ってくる場所があった。狼たちは村人が去ると、捧げ物を略奪した。逃げないように縛られた娘は噛み殺した上で建物に持ち帰った。捧げられた食料も同じ。
狼の群れはこれを建物の中で誰にも邪魔されずに食べる。
外の商人が扱う品には高級食材も含まれていただろう。栄養価の高い物もあったはず。
定期的な食料供給により狩りの手間が減り、雨風ををしのげる住居も手に入れたことで狼の生存率は格段に上がった。だから通常よりもよく育つ狼も出てきたし、個体数もどんどん上がっていく。
住居には全員は住めないため、出ていく一派もいただろう。こうして森の中で狼の数は増えていった。
近隣の村が狼に襲われることが増えていたのは、これが理由。狼が食べたものには人間の女も含まれていて、それで人間の味を知ってしまった。だから村の人間を襲うし、積極的に噛みつこうと跳びかかってくる。
ホラン様と言われる自称神様は、たぶん何年も前にとっくに死んでいた。なのに捧げ物の風習が続いた結果が、これだ。
狼の巣窟となった建物の中で、ホイは狼に混ざって生活していた。狼と同じ物を食べたりもしたのだろう。もちろん、人肉も。
そして生者との関わりは一切なかった。言葉を話す機会も数年間皆無で、狼の仲間として四つん這いで生き続けた。
これが真相。
村のリーダーである老婆に、ホラン様はただの人間で、数年前に既に死んでいたと話してみた。
信じられないという顔を見せた彼女だけど、それが本当だとわかった途端、落胆した様子を見せた。十数年分くらい、一気に老け込んだように見える。
とにかく、この村で凶行が行われることは、もうない。
旅人や商人が行方不明になることはなく、捧げ物も無くなるために森の狼は再び狩りに全力を出さなければならない。街の人間が対策のために村に来れば、あの神殿呼ばわりされていた建物も取り壊されるだろう。狼も駆除されるはず。
この森一帯に平和が戻る。
ここの村人はどうなるだろう。罪人として裁かれるのか。人を殺してきたのだから、それは仕方ないな。こちらを襲ってきた者の中には、ホラン様の登場の後に産まれた者もいる。
彼らは村の因習として仕方なく襲撃をしていたわけだけれど。それでも罪は罪か。
まだ小さな子供はどうなるかな。保護されて、街の孤児院なんかに預けられることになるのだろうか。
そこはセイホレハの街の判断に任せることになる。
「あなたはどうなるかしらね。悪いことはしていないと思うけど」
床に座ったまま、立つということをしようとしないホイを、アンリは気遣わしげに見つめた。
この人も悪事は行ってないよな。しかし立ち方すら覚えていない人間は、孤児院でも扱いに困りそうだ。というか孤児って年齢ではないし。
当のホイは、アンリに熱い視線を送っていた。
「ぼくと、アンリ、いっしょ、いたい」
そして、妙に力の入った声で言った。
「え? わたし? そっか! ありがとう! でもどうしよう……」
アンリは明らかに戸惑っている。どうしてそんな言われ方をしたのか、わかっていない様子。けど、生来の人の良さから頷いてしまった。
「ええ! わかったわ! セイホレハの街に着くまでは一緒ね!」
「アンリちゃん。そういうことじゃないと思うわ」
「え?」
「ほら。みんなお腹すきましたよね。ご飯にしましょう!」
ゾーラとティナがアンリを立たせた。よくわかっていないアンリは、促されるまま家から出ていく。
ホイを振り返れば、行ってしまうアンリに切なそうな顔を向けて、手を伸ばしていた。




