4-12.ホイ
入ると同時に感じられたのは、強烈な悪臭。獣の臭いと言うべきか。
「ずっと、中を狼に支配されていたんだろうな」
「ねえ、あれ見て。人がいる」
「本当だ。しかも生きてる?」
部屋の隅に、四つん這いでこちらを睨みつけている人間の姿があった。髪と髭が伸び放題で、半裸の体は汚れで真っ黒。男だとは推測できるけれど、年齢は判別できない。
こちらに向ける目には、しっかりと生気が感じられた。同時に怯えの色もあったけれど。
「正確にはわからないけれど、あの人若いわ。ホラン様を名乗った男の年齢には合わない」
「うん……」
ホラン様が村に来たのは三十年前。その時点での年齢は不明だったけれど、幼い子供ではないだろう。
目の前の男は、どう考えても三十より下に見えた。
「もうひとつわからないこと。狼はこの建物からも出てきたわよね? 住み着いているみたいに」
「うん」
「さっきの狼も村を襲ったのと同じ。積極的にこちらに噛みつこうとしていた。人間を喰らいたい様子だった」
「なのに、あの男は食われていない」
「ええ。なぜでしょうね」
「本人に聞いてみるしかないよ。本当のホラン様の行方もね」
「よう。お前はホラン様のなんなんだ?」
僕とゾーラの会話を聞いていたキアが、男に向き直り話しかける。ナイフは握ったまま、ゆっくりと近づく。
「そっちが大人しくしてくれるなら、アタシたちも乱暴はしない。こっちの方が人数も多いし、お前に勝ち目はない。わかるな?」
「……」
少し弱気な表情でこっちを見つめる男。
敵意は感じられないな。
「もう! キア! そんな言い方しても仲良くはなれないわ! こんにちは! あなたのこと、なんて呼べばいいかしら! わたしはアンリよ! よろしくね!」
アンリがキアを押しのけ前に出て朗らかに話しかけた。
「汚れてるわね! 今まで大変だったのね! ねえ、村に来ない? ご飯はあるわよ! それに体も洗ってあげる! お風呂、あの村にあったかしら! なんとかしてあげるわ!」
こっちからは背中しか見えないけれど、きっと満面の笑みで話しかけているのだろう。
それを見た男は口を開いた。口はわなわなと震えて、喋ろうとしてると言うよりは嗚咽を漏らしているみたいで。
「ぼ、ぼく、は。ほ、ほ、ホイ、だ」
拙い言葉で途切れ途切れに言う。泣きながらなのもあるし、話し慣れていない口調だ。
一応言語はわかるけれど、人と話すの自体が久々という様子。
アンリは大して気にしなかったけれど。
「そう! ホイって言うのね! よし! じゃあ行きましょう!」
「は、はい」
建物から出ようとする僕たちに、ホイは四つん這いで歩いてついてくる。
そう移動するのが当然といった様子だ。
「それ、疲れないの?」
「こ、こ、これが、ふふ、ふつう」
「普通?」
なにか事情がありそうだなあ。
人間が四つん這いで歩くと、普通よりも時間がかかる。それでもホイは、森の中の獣道を慣れた様子で進んだ。たしかに、こう歩くのが普通だって様子だ。
それから、建物内の異臭の原因が彼自身だとわかった。建物から出たのに強烈な臭いはついてくる。
人間の垢の臭いかとも思ったけれど。
「狼の臭いもするな。こいつ、狼に混ざって生きてたのか?」
キアが小声でそんな推測を口にした。
ホイ村に連れてきて、とりあえず髭を剃って髪を整え、体を洗ってやる。村には井戸くらいしか水源がなかったから、風呂にはなかなか入れないな。大衆浴場なんてのもなさそうだし。
というわけで、濡らした布で体を拭いてやるくらいしかできない。それでも彼の容貌は見えてきた。
若い男だ。ゾーラの言った通り、二十歳くらいか。ホラン様ではありえない。
「それでホイ。あなたのことを教えてもらえるかしら?」
少し綺麗になったホイを、村の家のひとつに入れて座らせる。と言っても、ホイは一貫して二本足で立とうとしなかった。
そんなホイの正面に座ったアンリが問いかけると、彼は途切れ途切れながらも話し始める。
「お、お、おとうさん、ホラン、な、なまえ?」
なんだか、喋り方を思い出しながら話している様子だった。話し方も妙に幼く、語彙も少ない。まともに成長をしていない。そんな雰囲気。
それでも、話しているうちに慣れたのか、少しだけ流暢になった。それでも拙い会話でしかなかった。何から話せばいいのか、話す内容をどう順序立てればいいのか、それをよくわかっていないって様子。
「おとうさん、たべた。たべ、られた? オオカミ。おかあさんも、お、おなじだ」
彼の話しを根気よく聞いて要約すると、こうだ。彼自身が知らない情報もあるから推測も含まれているけれど、大体は合っているはず。
ホランを名乗る男は神殿で、捧げ物として与えられた娘たちと暮らしていた。娘たちを殴って恐怖で支配することで、逃げるのを阻止していたらしい。娘たちも、ホランが神様だと信じ切っているから逆らえなかった。
娘の中にはホランとの間に子供を身籠る者もいたらしい。しかし、自給自足以下の劣悪な環境での暮らしは過酷だった。村から捧げられる食料は、ほとんどホランが独占していたから。
子供を産む前に死んでいく娘がほとんどだった。産んでも死産か、生きた赤子は長生きできなかった。
娘がバタバタ死んでいっても、ホランは気にもしなかった。森の方に死体を運ばせて放置するだけ。どうせ村から、新しい娘が捧げ物としてやってくるから、古い女はどうでもいい。
これは、ホイが直接見た前から同じだったらしい。




