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嘘つきなキスは、甘口で  作者: 終焉泡沫


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第6話_火曜日のディスタンス

昨夜の出来事は、夢だったんじゃないだろうか。

火曜日の朝。オフィスのデスクに座りながら、私はパソコンの画面をじっと見つめていた。けれど、文字は全く頭に入ってこない。

指先で、そっと自分の唇に触れる。

――全部が嘘だなんて、思わせないからな。

耳の奥で、タクシーの密室で聞いた長谷川の低い声がリフレインする。思い出すだけで、顔がカッと熱くなった。


(あんなの、完全に想定外。ゲームの範疇を超えてる……っ)


お互い本性を隠して、どっちが先に余裕をなくすか試し合っていたはずなのに。私を組み伏せて、あの強引で甘いキスを仕掛けてきた彼は、どう考えても反則だ。


「佐藤さん、おはよう。これ、今日のミーティングの資料」

「……っ!」


突然、頭上から降ってきた声に、私の身体が跳ね上がった。

声の主は、長谷川誠二。

きっちりスーツを着こなし、前髪を整えた彼は、社内100点満点の『完璧王子』の笑顔を浮かべて私の前に立っていた。

いつも通りの、爽やかな同僚の顔。

昨夜あんなに熱く私を貪った男とは、到底思えない。


「あ、長谷川さん……おはようございます。資料、ありがとうございます」


私も必死で「デキる先輩主任」の仮面を被り直し、平然を装って資料を受け取る。

指先が触れないように、細心の注意を払って。

長谷川は私のそんな過剰な警戒に気づいたのか、一瞬だけ、ふっと目を細めた。

だけど、すぐにいつもの営業スマイルに戻り、「じゃあ、後でね」と爽やかに言い残して自分のデスクへと戻っていく。


(……なによ、あの涼しい顔)


私だけがこんなに動揺して、一睡もできないくらい悩んでいたなんて、バカみたいじゃない。

やっぱりあのキスも、私を揺さぶるための彼の上手な『嘘』だったのかもしれない。そう思ったら、急に胸の奥がチクリと痛んだ。


***


午後、新プロジェクトの打ち合わせのために、私たちは社内の会議室にいた。

他の社員も数人同席する、パブリックな空間。


「――以上の理由から、今回のプロモーションはB案で進めたいと思います。佐藤さん、どうでしょうか?」

ホワイトボードの前に立つ長谷川が、私に意見を求めてくる。

仕事中の彼は本当に優秀で、隙がない。

「そうね、ターゲット層を絞るという意味でも、B案が一番効果的だと思う。……ただ、予算の配分だけ少し見直した方がいいかもしれないわ」


私がそう答えると、長谷川は「なるほど、さすが佐藤さん。鋭いですね」と、これまた完璧な笑顔で返してきた。

周囲の社員たちは「やっぱりあの二人、仕事の相性最高だな」「美男美女で絵になるし」なんてヒソヒソと囁き合っている。

誰も知らないのだ。この男が、夜になるとどれほど口が悪く、独占欲の強い男に変わるのかを。

そして、会議が終わり、他の社員たちがバラバラと部屋を出て行ったとき。

書類をまとめていた私と、ホワイトボードを消していた長谷川の二人だけが、会議室に取り残された。

ガチャリ、とドアが閉まる。

部屋が静まり返った、その瞬間だった。


「……なぁ、佐藤さん」


長谷川が、ホワイトボード消しを持ったまま、私を振り返った。

その声からは、さっきまでのビジネス用の甘さが完全に消え失せ、低く、気だるげな『裏の顔』が覗いていた。


「な、何ですか……長谷川さん」


身構える私に、彼はため息をつきながら近づいてくる。

長椅子の背もたれに手を突き、私を覗き込んできた。


「お前、朝から露骨に俺のこと避けてんだろ」

「避けてなんか……っ」

「触るなオーラ全開だし、目も合わせねぇし。……昨日のこと、そんなに引きずってんの?」


意地の悪い笑みを浮かべる長谷川。やっぱり、この男は私の動揺を楽しんでいるんだ。

悔しさが込み上げてきて、私は彼をキッと睨みつけた。


「引きずってなんかありません! 私は公私混同しないタイプなので。昨日のことは、ただの『ゲームのアクシデント』として処理しました」


ハッタリだ。心臓はうるさいくらいに鳴っている。

だけど、私のその言葉を聞いた瞬間、長谷川の目からスッと笑みが消えた。

彼は私の顎を指先でクイッと持ち上げ、有無を言わせない強さで視線を固定する。


「ふーん……アクシデントねぇ」


彼の顔が、昨夜の距離まで近づく。


「じゃあ、もう一回やっても、アクシデントで済ませられるんだな?」

「え……」

「試してみる?」


挑発するような低音に、私の思考が完全に停止する。

みんなのいるオフィスのすぐ隣。誰かが入ってくるかもしれない会議室で、長谷川の独占欲を含んだ熱い視線が、私の唇へと注がれていた。


(第7話へ続く)

第6話までお読み頂きありがとうございます!

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