第4話_あんなジジイに触られてんじゃねぇよ
新プロジェクトが本格的に始動し、その週の金曜日、私たちは取引先の重役たちを招いた接待の席にいた。
場所は西麻布の、いかにも高級そうな個室割烹。
「いやぁ、佐藤さんは本当に気が利くね。さすが我が社のエースが惚れ込む主任だ」
「ありがとうございます、五十嵐常務。そう言っていただけると光栄です」
私の隣に座る取引先の常務・五十嵐は、すっかり上機嫌で顔を赤くしている。
お酒が進むにつれて距離が近くなり、ついには私の肩に馴れ馴れしく手を置いてきた。
(……仕事、仕事。これくらいは大人の対応でしのげる)
私は心の中で小さく息を吐きつつ、営業スマイルを崩さないようにした。
ただ、常務の手がじりじりと腰のあたりに下がってきた瞬間、さすがに少し眉をひそめた。
そのときだった。
「五十嵐常務! こちらに珍しい銘酒が入ったそうですよ。ぜひ常務に一杯、と思って僕が頂いてきちゃいました」
「お、おお、長谷川くん!」
突然、私たちの間に長谷川が滑り込んできた。
彼はいつもの眩しい王子様スマイルで常務の意識を完全に自分へと向けさせると、私の背中を自分の体で自然に隠すようにして、さりげなく常務の手を弾いた。
一瞬、長谷川と目が合う。
その笑顔の奥にある瞳が、静かに、けれど確かに怒りで凍りついているのが見えて、私は息を呑んだ。
「佐藤主任、ちょっとお酒の追加を頼んできてもらえる? 僕が常務のお相手を代わるから」
「あ……はい。わかりました」
その声は、私にだけ「早く席を外せ」と低く命じているようだった。
***
会が終わり、現地解散になった後。
夜風に当たりながら大通りへ歩いていると、後ろから足音が近づいてきた。
「……乗れよ。タクシー拾ったから」
振り返ると、ネクタイを少し緩めた長谷川が立っていた。
いつもの王子様のオーラは消え、ひどく不機嫌そうな顔をしている。
促されるままに乗り込んだ、タクシーの後部座席。
ドアが閉まり、運転手が前を向いた瞬間、車内は二人きりの密室になった。
長谷川は窓の外を見つめたまま、低く、ドスの利いた声で吐き捨てた。
「……お前さぁ。あんなジジイに触られて、何ニコニコしてんわけ?」
「何って……仕事でしょう? それに、長谷川さんだって奥様方にデレデレしてたくせに」
言い返した、その瞬間だった。
長谷川が勢いよくこちらを振り向き、私の手首をガシッと掴んだ。
そのまま強引に引っ張られ、私の身体が彼の方へと傾く。狭い車内、逃げ場のない距離で、長谷川の熱い体温と、お酒の匂いが一気に押し寄せてきた。
「長谷川さ――」
「あれとこれとは一緒にするな。……イラつくんだよ」
掴まれた手首に、ぎゅっと力がこもる。痛くはないけれど、絶対に離さないという強い意志。
見上げる彼の瞳は、暗がりの中で獣のように鋭く光っていた。
「俺の前ではあんなに生意気に突っかかってくるくせに、なんで他の男のあからさまな下心には、黙って触らせてんだよ」
「それは、仕事の場だから……!」
「仕事なら何されてもいいわけ? 違うだろ」
長谷川は顔をさらに近づけ、私の耳元で、低く地を這うような声を落とした。
「お前は、俺の秘密を握った『ゲームの相手』だろ。……他の男に安売りすんな。俺以外の男に、そんな顔見せるな」
「っ……」
心臓が、今日一番の音を立てて爆発しそうになる。
長谷川の指先が、私の頬にすっと触れた。
昼間の完璧な王子の面影なんて、どこにもない。
ただの嫉妬で余裕をなくした、一人の男の顔が、そこにあった。
(第5話へ続く)
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